数字と闘いながら書き進めていく
きらら……つぶやきさんは『イカと醤油』で小説家としてデビューされていますが、そもそも小説を書かれるようになったきっかけは何ですか?
つぶやき……趣味として小説を書いていたというわけでもなく、仕事として執筆の依頼があったからですね。いったん小説を書き出したら、お笑いのネタを考えたりほかの仕事もしつつ、休みの日でも少しずつ書かなくちゃいけない。一日二千字は書くというノルマを決めて書いていきましたが、大げさにいうと本当につらくて地獄です(笑)。
新井……ページ数をカウントしているという作家さんの話は聞いたことがありますが、文字数で考えているというのは新鮮ですね。
つぶやき……ページ数だと「うん」で一行使ってサボる可能性があるじゃないですか。なにも書かずに一日が終わると、悪いことしているような気分になるんですよ。とにかく数字と闘って書き進めていくんです。
『私はいったい、何と闘っているのか』は全部書きあげたものを「きらら」で連載をしたので、脱稿からもう三年経っているんですよね。ようやく単行本になりこうやってインタビューを受けると、当時の気持ちを取り戻すのが大変。作家を本業にされている方だとこんなに時間をかけることはないんでしょうね。
内田……デビュー作も拝読しましたが、『私はいったい〜』もつぶやき芸を極めたつぶやきさんならではの独特の文体で、ほかでは味わえないのが魅力でした。
つぶやき……ありがとうございます。そういっていただけると嬉しいのですが、自分で意識した結果ではなくて……。僕は読書家といえるほど本も読んでいませんし、小説を書く基礎を学んだこともない。漫談やエッセイで文章を書いてきましたが、初めての長編小説にこの形が正解かどうかもわからないんです。ちゃんとした文章を知ったうえで、型に嵌まっていない崩した文章を書いてみたいですね。
この小説では報われない人を書きたかった
新井……『私はいったい〜』の主人公・伊澤春男はスーパーうめやで主任として働いていて、第一章「店長への道」では春男の職場での出来事が描かれています。春男は店長やほかの社員に必要以上に気を遣い、他人を立てるために陰で根回しをしますが、司令塔的な役割を自分から好んでやっているのに、やっぱりたまには自分のことも褒められたい。「ああ、わかるなあ」と春男に共感できる描写が多くて、こういう感覚が小説に活かせるものなんだなあと思いました。
つぶやき……僕はお笑いでもいわゆる「あるあるネタ」をやっていて、『イカと醤油』のときはそのままギャグの要素として書いていたんです。『私はいったい〜』では小説のなかに「あるあるネタ」を入れつつももっと広がりを持たせて「哀しさの向こう側にある面白さ」を書いています。他人の哀しい出来事って、意外と滑稽で面白く思えてしまう。結局、「笑い」って対比するものがあって、その差から生まれてくるものなんですよね。
きらら……第二章「ガッキー」では長女・小梅の彼氏と会うことになった父親の微妙な心情がうまく表現されていました。父親の威厳を見せたいのにうまくいかないのがもどかしかったですし、彼氏が超お金持ちで性格もいいという設定がよかったです。
つぶやき……「ガッキー」の話は評判がいいんですよね。ごくごく一般家庭のお父さんである春男と、お金持ちの男性という対比で見せているので、ちょっとギャグっぽいところもある話になっています。実は最初に書いたのがこの話で、担当編集の方に読んでいただいてOKをもらったので、次に「店長への道」を書きました。
内田……春男は店長にはなれないけれど自分が店を支えているという自負を持って働き、家庭では妻の律子を立て、娘二人息子一人の良き父でもある。いまお仕事小説が流行っていますが、仕事のことと家庭のことの両方がしっかり描かれている小説って少ないんですよ。つぶやきさんはその両方を丁寧に書かれていて、本書のもう一つの大きな魅力だと思いました。
つぶやき……僕が気づかないこともご指摘いただいて、やっぱりプロの書店員さんは違いますね。この小説が持っているポテンシャル以上のことを拾っていただき驚きました。
この小説では報われない人を書きたくて、突き詰めて考えていくと、世のお父さんたちの姿が思い浮かびました。仕事は大変で家庭では居場所がない。言いたいことを我慢していることもあるのかなと想像するうちに、春男という人物像が出来上がりました。
内田……春男はつらいことがあると、飲み会帰りの深夜でもつい近所の定食屋でカツカレーを食べてしまったりしますが、カツ丼でもいいものを、カツカレーを選んでいるのはどうしてですか(笑)?
つぶやき……カツ丼はムショから出たあとに最初に食べるイメージがあって。男が食べるものといえばやっぱりカツカレーでしょ。カレーだけだと寂しいし、男だからカツものせたい。夜中に食べるには高カロリーなのが少し悪いことをしている感じもして、またいいんですよ。
スーパーの仕事内容は全部僕の勘
内田……第三章「二刀流」では息子の亮太を軸に少年野球と少年サッカーを舞台に選ばれています。息子をスタメンで使ってほしいと思う保護者と監督との距離感などが絶妙でしたね。
つぶやき……少年野球や少年サッカー事情を知らないので想像でしかないんですが、大きく外れていないならよかったです。
「ガッキー」の章で女の子を中心に物語を進めたので、「二刀流」では息子をクローズアップしました。ナックルボールのこととかつい詳しく書きすぎてしまって、野球やサッカーに興味のない女性読者が離れてしまわないかなと心配です。
きらら……女性が読んでもとても面白かったです。二刀流といえば、ピッチャーとキャッチャーと思いきや、まさかこの二刀流とは(笑)。作中のところどころにくすりと笑える発想が盛り込まれていますが、お仕事柄、つぶやきさんにはネタのストックがあるのでしょうか?
つぶやき……ネタ帳を持ち歩いてまではやっていませんね。ライブが近いから無理やりネタを考えるのと一緒で、この二刀流も書いているうちに思いついただけで、ネタのストックもないんですよ。
新井……第四章「お昼泥棒」ではまた舞台がスーパーに戻りますが、スーパーの仕事内容のディテールが本当に細かいです。出入り口のカゴの置き方や特売のことなどにも詳しいので、もしかしてつぶやきさんは、売れない時代にスーパーで働いていたことがあって、その経験を下敷きに書かれたのかなと勘ぐったりしました。
つぶやき……実家が八百屋なので、まったく知識がゼロというわけではないですが、スーパーで働いたことはないです。全部、僕の勘で描いているので、本当にスーパーの方がひとつひとつ意識してカゴを置いているのかどうかもわかりません。昔、クーラーのない四畳半の部屋に住んでいた頃、夏場に涼みに行ったり、スーパーにはよく行きましたね。
内田……お客さんによる万引きとは別に、従業員による窃盗を指す内引きという言葉が出てきますが、これは一般の方には馴染みがないと思うのですが?
新井……内引きは書店で働いている私も知りませんでした。
つぶやき……ああ、確かにそういう言葉が出てくるとスーパーに詳しいと思われるかもしれませんね。どこで知ったんだろう? なにかのドキュメンタリーとかかな? テレビ番組のロケで万引きGメンを取材したことがあって、スーパーのバックヤードに入ったことはありましたね。事務所の様子などはそのとき見知ったものが活かされてはいます。
新しい人物を登場させる必要があった
内田……第四章まではスーパーの店長が仕事に家族にがんばる話だと思って読んでいましたが、第五章「二人との出会い」でがらりと物語のトーンが変わっていきました。伊澤一家のある秘密を知ることで、重苦しいのとはまた違うある種の重みが物語に出てくる。単行本の帯には錚々たる方々からの推薦コメントが載っていますが、作家の和田竜さんの『細部で笑わせながらも、ドラマとしてダイナミックなうねりもある、理想的な小説。中盤で必ず「おおっ」となります』というのはまさにその通りでした。
新井……私も芸能人が書かれた小説だと少し肩の力を抜きながら読んでいましたが、この章で春男と律子との秘密を知ってからは、居住まいを正してこの作品と向き合いました。
つぶやき……ここで流れを変えてやろうと意図していたわけではなくて、春男たちの過去がわかるエピソードゼロのこの章で、物語を完結させたつもりだったんです。ちょうど「二人との出会い」までで『イカと醤油』と同じくらいのトータル文字数になっていたので、「よし! 終わった!」と万歳したいくらいの気持ちだったのに、もうあと二つ書いてほしいとオーダーがありました(苦笑)。
内田……そうだったんですか。次の第六章では『イカと醤油』に出てくる親子が登場していて、デビュー作を読んでいた僕としては楽しい発見でした。
つぶやき……気づいていただけて嬉しいです。あと二章ぶん書くとなると、新しい人物を登場させる必要があったので、第四章で春男と電話で話していた他のスーパーの沼田さんを出したり、物語全体を繋げつつ膨らませていきました。
新井……春男は店長になれるのか、伊澤一家はどうなっていくのか、ネタバレになるのであとは本書を手に取って確かめていただきたいです。春男のように繊細でどこか生きにくい人のことを、こんなにも優しく書ける人はつぶやきさんしかいないと思いました。
つぶやき……僕自身が哀しい人だからかもしれないですね。ああはなりたくないって人から見られているという勝手な被害妄想が、こういう文章を生むのかもしれません。
内田……もうちょっと余裕があるといいんじゃないかとそっと教えてくれる小説で、ゆとりのないこの時代に疲れた人たちに読んでほしいです。
つぶやき……ありがとうございます。世のお父さんたちに春男の気持ちを汲んでいただけたら嬉しいですね。
(構成/清水志保) |