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若い方にも読んでいただきたい

……『痛みの道標』は第二次世界大戦を題材にした小説ですが、正直なところ、私たちの世代でも、戦争のことは社会の教科書で習ったぐらいのことしか知識としてありません。そもそもこの作品を書かれたきっかけは、何かありましたか?

古内……前作『風の向こうへ駆け抜けろ』を書き終えた頃に、編集担当の方から「戦後七十年に合わせて、反戦小説を書きませんか?」と依頼をいただきました。もともと書いてみたかった題材の一つでしたので、一年半かけてじっくりと執筆しました。

滝沢……戦争ものの小説だと思って少し身構えて本書を手に取りましたが、ブラック企業で働く二十代後半の男性・達希が会社側の不正を自分のせいにされてしまい、自殺するシーンから始まります。ビジネス小説のようにも感じられ、この後、どう話が進んでいくのか、とても気になりながら読んでいきました。現代を生きる男性が主人公なのが効いていて、物語にとても入り込みやすかったです。

古内……そう言っていただけると嬉しいです。戦争ものはどうしても辛い現実ばかりが描かれるので、敷居が高くなってしまいます。また戦後、これだけ時間が経ってしまうと、自分の身近なものとして戦争を感じてもらえません。若い方にも読んでいただきたくて、主人公は現代の若い人にしようと決めていました。

……自殺しようと飛び降りた達希は、十五年前に死んだ祖父・勉に助けられます。勉から隠し口座のお金を譲ってもらう条件で、インドネシアのボルネオにいる石野紀代子という女性を一緒に捜してほしいと頼まれます。幽霊の勉と孫の旅という流れには、ファンタジー的な要素もありますね。

古内……本当はお祖父さんと一緒に孫が旅をできればベストだったんですが、当時、少年兵だったとしても、九十歳近い高齢なので、ボルネオまで旅をするのは難しいですよね。いろいろと考えた結果、ファンタジックな要素はあるけれども、幽霊という設定を考えました。ただあまりファンタジーには逃げたくなかったので、リアリティのある形に落とし込むようにしました。

滝沢……直接、お祖父さんの口から生々しい昔の話をすると、孫のほうも聞きにくくなってしまいますが、ちょっと軽いノリの幽霊と、何かの目的があってボルネオに行くという流れのおかげで、読者もへんに構えずに読み進められたように思いました。

古内……知識がないと読めないと思われてしまうのは避けたかったので、彼らの旅に私たちも同行しているように感じていただけたら一番ですね。

一つ一つがまさに慟哭の記憶

きらら……第二次世界大戦中に、戦場になった地域はたくさんありますが、達希たちの旅先として、インドネシアのボルネオを選ばれたのは何故ですか?

古内……三十代の頃、波照間島に一人旅をしたことがありました。きれいな海を望める「日本最南端之碑」という場所があるのですが、そこで一日中、海を見ているおじいさんに出会ったんです。「昔、ボルネオで軍医をしていて、ここから見える風景がボルネオと似ているんだよ」と仰っていて、今までは毎年、ボルネオに慰霊の旅に行っていたけど、高齢になり行けなくなったと……。
 当時、私もまだ若かったので、ちゃんと話を聞こうという気持ちが起きなかったのですが、今思えばもっと聞いておけばよかった。きっと海を見ながら、ボルネオで出会った誰かのことを思い出していたんでしょうね。悲惨な経験をされたはずなのに、懐かしいと思われているのが不思議で、ずっと私の心の奥底に残っていました。

……確かに私も今なら祖父に戦時中のことを訊いてみたいと思いますが、若い頃はなかなかそういう気持ちにならないんですよね。

古内……母方の祖父が亡くなる数年前に、今まで秘密にしてきたようなことまで、自分の半生を話して聞かせてくれたんです。その時、人間が死ぬ前に本当に残したいものは、財産でも名誉でもなんでもなくて、記憶なんだなと思いました。この作中で幽霊の姿で現れた祖父と一緒に旅するというのは、魂や記憶と旅をすることなんです。
 実はそれまでは現代のことにしか興味がなくて、祖父とのこの経験がなかったら、過去のことを書こうとは思わなかったかもしれません。昭和という時代は、戦争があって高度経済成長があって、バブルがあってと、ものすごく変動した時代。昭和にしかなかったものが必ずありますし、私も昭和生まれなので、そういった記憶を残したいと思っています。

……私も四十代に入ってから、少しおおげさに言うと、自分が生きてきた時代を知っておかなきゃという気持ちになっています。

古内……家族のことを知りたいと思うのも、ある程度年齢を重ねてからなんですよね。

滝沢……アジアの南方が戦場になっていたということは知っていても、それがどこなのか、地名までは知らなかったんです。『痛みの道標』を読んで、初めて知った史実が多くありました。

古内……私もいろいろと調べてみましたが、インドネシア領ボルネオに関しては、公的資料が残っていないんです。ただ、ボルネオには軍人としてではなく、軍属という形で、早くから日本の企業で働く人たちが移り住んでいました。彼らが残している手記が、今読むことができる主な記録です。職業作家が書いたものではないので、時系列が統一されていなくて読みにくい部分もありますが、だからこそ真に迫った事実が、彼らの一番書きたい順番で残っていて、一つ一つがまさに慟哭の記憶です。

女性が持つ強さが自然と出てきた

滝沢……紀代子を捜す道中で、達希たちはNGOで活動している雪音という十代の少女に出会います。ほかの人には見えないはずのお祖父さんを、彼女は見ることができる。達希とお祖父さんの二人だけの旅だとうまくいかなかったかもしれないけれど、雪音が加わることでいい効果が出ていますね。

古内……たとえ戦争ものであっても、エンターテインメント小説として書きたい気持ちがあって、そうするとやっぱり花が欲しいんですね(笑)。彼女は巫女的な霊感のある女の子として書いています。
 不登校を隠すため、父親から海外へ送られてしまった雪音も辛い生活をしていますが、書いているうちに彼女自身のほうから「私は負けない」と主張してきたんです。同じように傷ついている人として書いていた達希はウジウジしているのに(笑)。女性が持つ強さが自然と出てきて、自分でも意外でした。

……一年の半分を海外で過ごしているという真一郎という中年男性も登場します。達希と違って彼はポジティブ。どうしてもシリアスになってしまうところを、真一郎が明るくしてくれるのがまたよかったです。

古内……実は真一郎は『十六夜荘ノート』でも重要な役割で出てくるキャラクターです。真一郎のように、バブル期を経験し結婚もせずバックパッカーのような生活を続けている中年男性って、私の周囲にも結構いるんです(笑)。驚くほど明るくて、不思議な人ですよね。ほかの登場人物は書いていて悩むこともありますが、彼は書いていて楽しい。今後も真一郎のことは書いていくことになるだろうなと思っています。

滝沢……第二章では、勉の戦時中の実体験が語られています。第一章から一転して、戦争にぐっと踏み込んだ内容で、物語全体の柱になっていますね。勉と紀代子との関係も徐々に明かされていき、ミステリー的な要素もありました。

古内……この小説のプロットを立てている段階で、達希たちが紀代子を捜して回るルートと、勉が戦地で経験したであろう史実を、無理やり合わせるのは難しいと気づきました。そこで第一章はロードムービー的に、第二章では史実に合わせた戦時中の話、第三章で現代と過去が入り混じってくる構成にしました。

……歴史の本を手に取らなくても、小説のなかで太平洋戦争での実態を知ることができて、とても勉強になりました。会社の言いなりになって自殺に追いやられてしまう達希の姿は、現代社会が抱える闇を映していますが、偏った教育を受けて戦争に疑問を感じない特警の言動にも、当時の闇が見えます。戦時中にあった出来事にも、どこか今に通じるものがあるように感じられました。

きらら……勉は同郷で年上の佐藤という男性と出会います。佐藤は冷静に戦況を認識していて、まだ少年兵だった勉は佐藤の考えに反発もしますが、二人がお国訛りで本音を語るシーンには、少しほっとさせられました。

古内……日本は敗戦するだろうと、きちんと時代を読み解いていた人たちも多かったはずです。明治維新後の教育を受けて、自由な思想も持っていた当時の四十代と、生まれた時から戦争教育を受けていた十代では、物の見方がまったく違う。グローバルな考えを持っていた人たちですら、いつしか戦争に参加させられてしまうというのは、程度の差はあれ、達希がブラック企業で経験したことに近いものがありますね。

……勉が達希に「認めるのは自分のやったことだけでいい。それ以上のことは背負い込むな」と叱咤する姿が印象的でした。

古内……それは勉が若い時の自分に対しても向けている言葉でもあるんです。生き残ったことに罪悪感を覚えながら生きていくのは辛いですが、それでも家族が増え、達希にまで命が繋がっていく。一人一人が本当に奇跡的な存在ですし、そう思わなきゃいけないなと強く思いました。

……青春小説を読んだ時に感じる爽やかな感動もいいですが、知りたいという欲求を満たしてくれる小説を探している方に、ぜひお薦めしたいです。

古内……ありがとうございます。実際にボルネオでの慰霊祭に参列し、現地のたくさんの方にお世話にもなりました。加害者の国の人間として出向くのはちょっとこわかったんです。戦時中の出来事が刻まれた壁画を見て涙が止まらなくなった私に、みなさん、とても優しい言葉をかけてくださいました。
 いろいろな方の思いを受け止めて編み上げたこの小説を、今度は書店員さんの力を借りて、読者の方に届けていただく。そう思うと、書店員さんには感謝のひと言しかないです。

 

(構成/清水志保)
 

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