真面目で美人だけどドジで不器用
内田……垣谷さんは設定が一風変わった小説を多く発表されていますが、この『if サヨナラが言えない理由』も「患者の気持ちがわからない女医」というレッテルを貼られているルミ子が、患者の「心の声」が聞こえる不思議な聴診器を拾うというのがまず面白いですね。それでいて人の生き方、死に方が描かれていて、普遍性を兼ね備えています。垣谷さんはどういったことを意識されながら、この小説を書かれましたか?
垣谷……この小説では後悔について書きたかったんです。一般的には教育的配慮から子どもたちに対しては「今から頑張ればいい」とか「今からでもやり直せる」と言うことが多いですが、50歳を過ぎたあたりから、実は人生はやり直せるものではないという、当たり前のことをひしひしと感じるようになったんです。
後藤……子どもが小さい時に大学病院に入院していたことがあって、今でも死についてよく考えることがあります。私のママ友達ががんになった時に会いに行ったのですが、死期が近い彼女に、元気な私たちが会いに行ったことがよかったのかどうか、未だに答えが出ていません。がん患者たちが自分の人生を振り返るというシチュエーションが、自分にとてもマッチして、今まで抱えていたものをすくい上げられたようでした。
垣谷……天寿を全うした親族が、死ぬ前に「後悔はまったくない」と言い切っていたのですが、逆に後悔がたくさんあるように感じました。死ぬ間際になったら、後悔があっても、人を癒すのはもう慰めしかないんですよね。
きらら……ルミ子は聴診器を手にしたことで、後悔を持つ患者の・もうひとつの人生・を一緒に生き直すことになります。彼らの痛みを知ってルミ子自身も変化していきますが、彼女にはどんな女性像を投影されましたか?
垣谷……背が高くてかっこよくて勉強もできて、憧れの女性ですね。でも真面目で美人でいい子なのに、ドジで不器用なんです。
内田……ルミ子は不器用な性格ですよね。誰しも他人の気持ちがわからなくて苦労するわけですが、知ったからこその悩みもあって、知らないほうが幸せなこともあるかなと思いました。
状況が変わらないことへの怒り
内田……第一章「dream」では、大女優の娘として生まれた小都子の後悔が描かれています。彼女は芸能界デビューを夢見ていましたが、母親の反対もあって断念します。小都子は芸能人になった人生を生き直しますが、結局やり直したとしても今よりも幸せになるとは限らないんですよね。
垣谷……この話では有名になることの恐ろしさを書きたかったんです。作家になってから雑誌の取材などで写真を撮られることが増えましたが、最初の頃は顔が世間に知られるのが恐ろしくてたまらなかったんです。しかし、もし33歳で死ぬとわかっていたら、小都子のように思い切ったことをしたかったという気持ちも痛いほどわかります。
というものの、やはり平凡な人生がどれだけ幸せなことか。母親は娘のことをよく見ていて、素質を見抜いて正しい方向へ導いてくれていた。でもそういうことって本人が年を取ってからしかわからないんですよね。
後藤……第二章ではIT企業で働く慶一が主人公です。仕事優先に生きてきた慶一は、もっと家族と過ごせばよかったと後悔しています。仕事と家族との間で悩むことって、みなさん、よくありますよね。残業をせずにクオリティの高い仕事をしようと思っていた慶一の姿に共感しました。私自身も新規店に異動してから残業の多い毎日だったので。
垣谷……この章は四話の中で最後に書いたもので、担当編集者と「イクメン」と呼んでいました。この慶一が経験していることは、SEを20年ほどやっていた私の経験でもあります。日本のサラリーマンの状況がいつまでたっても変わらないことへの怒りが、この小説には含まれていますね。
内田……やっぱり垣谷さんの社会経験が作中で発揮されているんじゃないかと想像していました。
男性の視点から読むととても切実な話ですよね。家族のために仕事をしていても、やっぱり仕事と家族とどっちが大事なのかという話はよく出るものです。誰もが抱える悩みでもあって、のめり込むようにして読みました。慶一は「人生、誰しも明日死ぬかもしれないと思って生きているぐらいがちょうどいいんじゃないかと思います」とルミ子に言いますが、自分の生き方の鑑になるような物語でした。
後藤……最期に慶一が奥さんに「優しい男をみつけて再婚しろよ」と言い遺して亡くなりますが、残された妻を思いやる家族愛を見ました。
どんどん小説を書けるような気がする
きらら……連載時は「サヨナラが言えない理由」でしたが、『if』と変わりましたね。
垣谷……「サヨナラが言えない理由」だと別れられない男女の話のように、恋愛小説だと思われてしまう気がして、人生や運命をテーマにした物語だとわかるようなタイトルに変更しました。
後藤……がん患者四人を主軸にされていますが、岩清水の母親は事故で亡くなっている。突然別れなくてはいけなくなった側の後悔まで描かれていて、そこがまたリアリティのひとつだと思いました。
内田……それこそサヨナラが言えないのには、人それぞれの理由があるんですよね。この小説を読むと、自分の人生の後悔ややり残していることについて、考えるきっかけになりますね。
後藤……私は過去にひとつだけ、あの時ああしていたらどうだったろうと思うことがあります。
垣谷……私も後悔はたくさんあります。でも他人には言えないからこそ、深いものなんですよね。
後藤……エピローグでルミ子は、後輩医師の摩周湖に聴診器を譲ることにしました。これから先もなにかドラマがあるだろうと想像させるラストで、早くも続編が気になります(笑)。
内田……今回単行本のオビにコメントを載せていただきました。綾戸智恵さんの「本嫌いな私が吸い込まれるように読んでしまった」という推薦コメントがまたいいですね。
垣谷……ありがとうございます。みなさんには、熱心に読んでいただいて感激しましたし、感謝しています。自分に置き換えて考えてくださって、そうやって読んでいただけると作家冥利に尽きます。
ひと言で後悔といっても、みなさんが頭の中で想像されることはそれぞれ違うでしょうが、作品を通してなにかを共有しているようで嬉しいです。
最近、どんどん小説を書いていけるような気がしています。やっと脂がのってきたのかな。来月には東日本大震災を題材にした『避難所』も刊行します。気仙沼に住んでいる友人のところへお邪魔して、被災地を取材しました。被災された方たちに一番必要なものはなにかを考えていると、今の状況に腹が立って眠れないこともある。最終的には救いのある小説になっていると思います。こちらもよろしくお願いいたします。
(構成/清水志保) |