こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』
教室の外のゴルディロックスゾーン
学校だけがすべてじゃない。教室の外にだって、世界は広がっているんだよ。という言葉に救われたことは、今まで一度もなかったと思う。
小学五年生の時、それまで比較的平和な友好関係を築けている(と私は思っていた)子達から、急に無視されるようになってしまったことがある。ある日登校してみると、クラスにはすでに「そういう空気」が醸成されていた。グループ内でいざこざがあったわけでも、特定の誰かと喧嘩したわけでもない。今思えばそれは、持ち回り制の爆弾ゲームのようなものだった。この子が終わったら次はあの子、というように、見えないボールは常に誰かに押し付けられている。いじめに似た、いじめと呼ぶにはあまりにもスケールの小さい、いじめのような何か。
そうなってから毎夜、布団に入るたび「目が覚めたら世界が終わっていますように」と祈った。いやいやいや。世界の滅亡を願う前に、もっとできることがあるはずだ。と言えるのは今だからで、当時の私はいたって真剣だった。担任の先生に悩みを相談することや、家族に学校を休みたいと打ち明けることよりも、世界の滅亡を願うことの方が、ずっとずっと建設的で意味のある行為だと、そう信じていた。
あの頃の私に、学校が人生のすべてじゃない、なんて言葉をかけたところで、「……あ、はい(なんか言ってる大人を気遣う微笑み)」と返されるだけだろう。だってあの頃、私達は全員、そんなことはもう知っていた。学校が人生のすべてじゃないことも、教室の外に自分の知らない世界が広がっていることも。知っているのに、わかっているのに、人生のすべてではないはずのその世界が、今の私にとってはすべてである、というその事実がつらかった。
「いじめのような何か」は、それが始まった時と同じように、ある日唐突に終わった。それが何週間、あるいは何ヶ月に及ぶものだったのか、今となってはもう思い出せない。でも、当時の私にとっては永遠の時間のようにも感じる、長く苦しい日々だった。
学校だけがすべてじゃない。それは多分、かつて子どもだった私達のためにある言葉だ。あの頃を生き延びた、今は教室の外にいる、大人になった私達のための言葉。当時を振り返り、「あの頃は、こんな些細なことで悩んでいたんだな。学校だけがすべてじゃないのに」なんて言葉をぽろっと口にすることができた時、私達はあの頃の傷を、今よりも少しだけよいものだと思える気がする。
(……というようなことを考えながら書いたのが、本日発売の新刊『教室のゴルディロックスゾーン』です。ぜひ読んでみてください。)
こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。
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『教室のゴルディロックスゾーン』
著/こざわたまこ