ニコデモ 風は思いのままに吹く

◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第9回
「それは恐らく、真面目な話なんでしょうけれど、でもごめんなさい、笑っちゃう」  そう言いながらアンティヌッティは笑みを浮かべた。しかしそれは決して嘲弄しているようではなかった。 「約束をしたんです」や
◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第8回
 墺太利(オーストリア)が独逸(ドイツ)の一部分になったあたりから、アンティヌッティはニコデモに向かってはっきりと、作曲を促すようになった。 「なぜ書かないの?」アンティヌッティはあどけなさを装うよう
◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第7回
   ラスパイユ通りのはずれから入るゴルゴン小路(こうじ)に面したアパートは、室内に入ると通りの薄汚さが噓のように広々として天井も高かった。僅かばかりの家財道具とベッド、それに古い書き物机と椅子、そし
◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第6回
 それを聞くとアンティヌッティの唇が、頰の上で大きく広がった。瞳がじっとニコデモを見た。まるで催眠術をかけようとしているみたいに。ニコデモは動じなかった。 「いいじゃない」アンティヌッティは言った。「
◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第5回
   ピリエ国での生活は修道僧の如(ごと)しで苦行を重ねておりますが、世間の風に曝(さら)されることもなく純粋なる学究の世界に埋没できるのは幸甚であります。また勉学に次ぐ勉学で息が詰まるということもな
◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第4回
「かよ」市兵衛(いちべえ)は赤ん坊をおぶった女の人に声をかけた。「せがれだ」  かよは「判(わか)ってる」と頷き、正太郎(しょうたろう)に「疲れてるでしょう。荷物をおろして、ひと休みしたらいいよ」と言
◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第3回
   気がつくと鈴木正太郎(すずきしょうたろう)は、またしても雑踏の中にいた。  昨日のことはすべてがぼんやりしていた。詰襟を着た東京の学生さんや、西洋人の女が乗せてくれた大きな船のことを忘れたわけで
◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第2回
 とうとう半ば常軌を逸したニコデモは、船着き場に積み上げられた大きな木箱の上によじ登り、たったひとつ残された小僧の形見を歌い始めた。    花よ、花咲けよ、花は花咲くもんだなし。 ・・・・・・・・・・
◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第1回
   昔むかしの大昔、日本が戦争に勝っていたころ、ある裕福な家に、一人の男の子が生まれた。両親はこの子をニコデモと名付けた。父母ともにキリスト教徒であったので、聖書にあらわれる名前から採ったのだった。