ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第147回

「ハクマン」第147回
編集からの催促は
暴力による洗脳である。
今年は「覚醒」が目標だ。

すでに年が明けてから10日ほど経っており、新年一発目の催促が来てこれを書いているのだが、仕事は1日から始まっているし、言うまでもなく納まったのは31日だ。

去年もギリギリまで仕事があり、年が明けても仕事と催促があるのはありがたいことである。

そう言い聞かせてきたが、仕事、まして編集からの催促をありがたがるなど、DV野郎の暴力を「愛」と呼ぶに等しく、趣味人が女王様の黄金を拝領しているのとはワケが違い、完全なる暴力による洗脳だ。

よって今年の目標は「覚醒」である。

真正無職のころ面接に落ちるたびに親の前で落ち込むポーズをしながら「猶予延長」と思っていた時の「勘」を取り戻したい。

  

ところでご存じの方もいるかもしれないが昨年末、私の漫画のテレビドラマ化が決定した。

実写化については昨今いろいろありすぎたので正直不安もあるのだが、この日のために作家歴よりも長く実写版デビルマンを崇拝してきたと言ってもいい。どんな結果になろうと「永井先生はあのあとも普通に活動している」と思えば何も怖くない。

仮に何かあってもメディア化という目標を達成したならもう悔いはないほど喜ばしいことなのだが、何故かドラマ化の決定と発表に併せ、それを相殺どころか粉砕してマイナスまで持っていくプライベートの事件が起きたため、本当にめでたいことなのかイマイチ判別がつかなくなっていたのだが、発表後、読者からの喜びとお祝いの声を聞いてやっと、実感が湧いてきた。

やはり読者というのはありがたいものだ。「覚醒」したあとも「2兆円と読者の笑顔以外もう何もいらない」という気持ちは変わらないだろう。

  

プライベートで何が起きたかについてはとりあえず今ここでは書かないことにする。

エッセイをやる奴は「書くことがない」というオークを前にすると、意志が女騎士より弱くなるので、すぐに書きそうな気もするが、今はまだ時間が経ってなさすぎる。

いずれ書くのは仕方ないにしても、周囲の傷がかさぶたどころか砂がついている時点で世間に晒そうとするからエッセイをやる奴は余計怒られるのだ。

   

私は脳とXを Bluetooth してしまっているので、考えたことは大体Xにそのまま書くし、起こったことも大半原稿に書いてしまうが、そんな私でさえドラマ化のことは発表があるまでほぼ誰にも言わなかった。

発表があったのは去年末だが、決定自体は年始にしていたので、メディア化というのは決定から発表までかなりの時間が空くものなのであろう。

発表前に他言するというのは、普通に情報漏洩であり、怒られるどころではないだろう。こんなことで話がなくなったら死んでも死にきれないので、さすがの私も脳とXのペアリングを切らざるを得なかった。

しかし、以前、自身の作品のメディア化さらには主演の名前を発表前に、割と公な場で言っている人がいた。

その時はそのぐらい別にいいのかと思っていたが、似たような立場になると、あれは正気の沙汰ではなかったと感じる。

だが逆に漫画家とはかくあるべきなのではとも思った。

職業に漫画家を選択する時点で人生設計はムチャクチャなのだ、そんな選択をしておきながらメディア化が決まった途端銀行員のように慎重になるなど、そっちの方がどうかしている。

しかし、自分の人生がこれ以上メチャクチャになるのは「差分」でしかないとしても、これは結構広範囲に迷惑がかかる話な気がする

  

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

◎編集者コラム◎ 『ゴールドサンセット』白尾悠
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