中島京子さん『夢見る帝国図書館』
本好きにはたまらない、間違いなく大切な一冊となる小説。それが中島京子さんの新作『夢見る帝国図書館』だ。上野で二人の女性が偶然出会ったことから、戦後を生きてきた一人の女性の人生と、日本初の近代的図書館の来し方が紐解かれていく。そこに込めた思いは。
日本の近代図書館の先駆けは
日本初の近代図書館ができたのは明治五年。湯島の聖堂にできた「書籍館」はその後「帝国図書館」と名前を改めつつ、複雑な変遷を遂げることになる。現在は国立国会図書館に統合され、上野の国立国会図書館支部であった建物は国際子ども図書館となっている。その歴史と、一人の女性の人生が交錯していく小説が、中島京子さんの新作『夢見る帝国図書館』。本好きにはたまらない一冊である。
現在、国際子ども図書館には明治期に建てられたレンガ棟と、二〇一五年に建てられたアーチ棟のふたつの建物がある。
「国際子ども図書館が二〇〇二年に開館したとき、きれいな建物だなあと思って行ってみたのが最初です。そこで図書館の歴史や、どんな作家が通っていたのか、ということを知って面白く思い、しばらく自分の中で温めておいたんですね。その後、小説連載の依頼が来た時に〝帝国図書館の話はどうでしょうか〟と提案したんです」
といっても、図書館の歴史をストレートに小説化したわけではない。
物語の語り手は、小説を書きながらフリーライター業で生計を立てている〈わたし〉。当時三十代だった彼女は、仕事で上野の国際子ども図書館を訪れた帰り、たまたま公園のベンチで隣に座った女性と言葉を交わす。白髪で〈孔雀を思わせる珍妙な衣装〉を着た六十代くらいのその人、喜和子さんは、自分はかつて図書館に「半分住んでいたみたいなもの」だという。次に会った時に彼女は〈わたし〉に、上野の図書館の小説を書かないか、と持ち掛ける。お題は『夢見る帝国図書館』──。
喜和子さんの人生、図書館の歴史
〈わたし〉と喜和子さんとの交流の物語の間に、時折『夢見る帝国図書館』のテクストが挿入されていく本作。
「図書館のエピソードはどれもすごく面白いんですけれど、それで一冊の長い小説を書くことは最初から考えていませんでした。『FUTON』や『イトウの恋』のように、違うテクストが交互に入る小説はこれまでも書いてきましたし、『エルニーニョ』のように小さい小説を間に入れていく書き方もしたことがあったので、そういうスタイルをイメージしていました。そのほうが図書館のエピソードが活きてくるんじゃないかなと思ったんです」
上野恩賜公園の西側の善光寺坂のそばに住み、明るく自由で、でも幼い頃の図書館と絵本の思い出を大切にしている喜和子さん。〈わたし〉は彼女がどういう人なのか、その来し方を少しずつ知っていく。
「喜和子さんについては、住んでいる場所と服装がまず決まったんです。次におうちに樋口一葉全集があることが決まったのかな。そこから、終戦直後に図書館にいた子、というのはどういう人物なのかを考えていきました。書き手の〈わたし〉と同じように、私も喜和子さんを探していく感覚でしたね。だから、この小説はフィクションですけれど、自分が小説を書くプロセスそのままを書いた、みたいなところもあるんです。〈わたし〉は狂言回しのような存在ですよね。今回は構造が複雑な小説で、三人称で書くとバラバラな印象を与え読みにくくなる気がしたので、一人称の語りにしました。物語を作る話でもあるので、作家を語り手にしました」
喜和子さんは終戦後、戦災孤児となって上野の界隈で見知らぬ青年二人と一緒に生活していたことがある模様。そのうちの一人の青年の背嚢にすっぽり入って図書館を訪れていたというのだ。
「終戦直後の上野には戦災孤児がたくさんいました。帝国図書館にまつわるエピソードを探していく中で、建物の側がすごく涼しかったので夏は図書館のあたりで過ごした、という孤児の話をどこかで読んだ記憶があるんです。そのエピソードから、喜和子さんのキャラクターが膨らんでいったのですが、後から出典を探しても出てこなくて(苦笑)」
書き手である〈わたし〉と喜和子さんという、年齢も生活もまったく接点のなかった二人が関係を築いていく様子も心地よい。また、喜和子さんの元恋人の元大学教授やホームレスの男性、彼女の長屋風住まいの二階に住む藝大生の青年などとも、不思議な交流が生まれていく。
「周囲の人たちについては、上野という場所から考えていった部分がありますね。上野にはある時期ものすごくホームレスの方々の青テントがあったからホームレスとも交流があっただろうとか、東京藝術大学があるから近所に藝大生が住んでいるだろう、とか。書き進めているうちに、それぞれの人物像が濃くなっていきました。たとえば元大学教授は最初はそこまで重要人物とは思っていなかったんですけど、後半になるといつのまにか、中心にどっかりと座っている印象ですよね(笑)」
図書館の奮闘と密かな恋
「夢見る帝国図書館」のパートでは、数々の事変が起きては財政難に陥り、隣で火災が起きるなどのトラブルが起き、移転を繰り返した歴史が語られていく。
「帝国図書館の歴史は西南戦争以降、戦費と闘っては負けることを繰り返している。図書館って自分でお金を稼ぐわけではなく、本を買うばかりなので大変なんですよね。『上野図書館八十年史』という図書館に勤めていた方が書いた冊子があって参考にしたのですが、ただ歴史を綴っているものなのに、お金がなかったことや予算を削られたことの悔しさみたいなものが行間からうわーっと漂っていて……。それは印象的でしたね」
永井荷風の父、永井久一郎が初期に館長をつとめ奮闘したことや、和辻哲郎や樋口一葉、宮本百合子、林芙美子といった作家が通ったこと、宮沢賢治も訪れたことなどが、ユーモラスな語り口で明かされていく。さらに図書館が樋口一葉に恋したり、谷崎潤一郎の短篇の主人公・インド人のミスラ氏が菊池寛の図書館小説『出世』のきっかけになったり、本同士が会話したりと、著者が想像力を膨らませたエピソードも楽しくてしかたない。
「面白い話がたくさんあったので、読む人にも一緒に面白がってもらえるよう書くことがひとつの挑戦でした。これまで永井荷風のお父さんのことは知らなかったのですが、知ったら〝なんて偉いんだ、久一郎!〟って思いました(笑)。この人のことをみなさんに知ってほしくなりました。それに、名だたる文豪たちも図書館に通っていたんですよね。ただ、資料を読むにつけて思ったのは、やはり燦然と輝いているのが、お金がなくてボロボロの格好で毎日通って本を読んでいた天才女流作家、樋口一葉。図書館にしてみたら可愛かったんじゃないかなと思う。図書館が恋をするなら樋口夏子、のちの樋口一葉だな、って(笑)。他に田山花袋も通っていたなど、書き切れなかったエピソードがたくさんあります」
男女の使用する部屋が分かれていた、GHQが資料を読みに訪れた、などと当時の時代背景が分かる話も盛りだくさん。さらには上野動物園のかわいそうなゾウの話など、周辺の地域で当時何が起きたかも語られる。
「実際に上野に住んだことがないので私が外から見た印象に過ぎないのですが、日本が近代国家になってからの百五十年を振り返ると、上野って象徴的な場所だなと感じるんです。とくに公園エリアは、寛永寺の広大な敷地だったのが戊辰戦争で焼け野原となって、その後で公園になって、関東大震災の時はみんなが逃げてきて。上野の西郷さんの銅像には人探しのビラがびっしり貼られていたそうです。戦後は戦災孤児も娼婦も男娼もいて、その後はホームレスがたくさんいる時期があったり、イラン人の方たちが集まるようになったり……。何かあると人が集まってくるという印象があります。私は〝東京小説〟をいくつか書いてきたのですが、上野についてもぜひ書きたいなという気持ちがありました」
本を愛し続けた喜和子さん
そして〈わたし〉と喜和子さんのパートでは、喜和子さんが探していたという絵本の謎や、彼女宛ての葉書に書かれた数字の謎、そして戦後を生き抜いた一人の女性の謎を追う展開が広がり読ませる。喜和子さんは戦後直後のことはあまり憶えていない、と言うが、
「戦災孤児の方の手記やドキュメンタリーはできるかぎり集めましたが、これまで語らなかったけれど歴史が消え去らないように語ろうとする方もいれば、個人の経験をけっして語らない方もかなりいらっしゃるようでした。喜和子さんという人物を造形する時に、そのことはすごく考えました。実際に当時の記憶が飛んでいる、ということもあるだろうし、憶えていても語ることができなかった方もおられるでしょう。語らなかった方たちがどういう人生を生きたかを考える中で、喜和子さんの人物像ができていった感じがします」
昔の喜和子さんを知る人それぞれが語る彼女の印象がまったく違ったりする点も、意外であり、納得いくものでもある。
「本好きで古本があれば貧乏でもいいやと言っているおばさんって、やっぱりある人から見たらものすごく地味に映ると思う。でも、本を読むことが好きな人から見たら、幸せそうに見えますよね」
図書館もきっと、そんな喜和子さんを見守り続けたに違いない。そう思わせてくれる内容になっている。
中島さんご自身ももちろん、図書館が好きだという。
「小さい頃には団地の子ども文庫で本を借りていたし、学校の図書室のひんやりした空気も好きでしたね。図書館って大事なものだと思っていたのに、日本の近代国家の始まりから、文化軽視の風潮と闘っていたことがショックでもありました。国際子ども図書館のような素敵な図書館が今もあるのは、すばらしいことだと思っています」
これまでにも直木賞受賞作『小さいおうち』をはじめ『東京観光』『眺望絶佳』など、東京の風景を描いてきた中島さん。
「そもそもデビュー作の『FUTON』は、モチーフにした田山花袋が『東京の三十年』という本を書いているので、裏コンセプトとして『東京の百年』を意識したものだったんです。やっぱり東京については時々書きたいなと思いますね。おそらくまた書くと思います」
文藝春秋