私の本 第6回 大澤真幸さん ▶︎▷02
社会学者の大澤真幸さんにご登場いただいている今回の「私の本」。
幼いときからよく本を読まれていたという大澤さんですが、中学時代には読書のおかげで、"このとき自分は大人の入口に立った"というべきターニング・ポイントが訪れたとおっしゃいます。それはどのような体験だったのでしょうか──。
大人の入口に立った、中学時代の読書体験
誰でも、"このとき自分は大人の入口に立った"というようなターニング・ポイントがあるのではないでしょうか。
それまでは子供だったけれど、今後は自分に対して責任を取れるようになるというか、はっきりとここで飛躍したなという感覚が僕のなかで芽生えたのは、中学1年生の冬のことでした。
その飛躍と同時に読んでいた本が『次郎物語』です。これは下村湖人の自伝的小説で、ひとりの人間の精神が未熟な段階からどうやって大人になっていくかという過程を描いた、典型的な成長物語です。ドイツ語で、こういう小説を「ビルドゥングスロマン」と呼びます。
次郎は、その名のとおり二番目の子供で、家庭内で冷遇されているんですね。幼いころは里子に出されて、やがて実家に戻ることになるけれど、なかなか実家になじめずに里親のほうにまた帰ったりします。
兄の恭一は長男だから大事にされているし、弟の俊三は親からもっとも可愛がられる存在です。
恭一も俊三も、それぞれ祖父や父から名前から一字をもらっているけれど、次郎だけは二番目の男の子という意味しかない次郎なんです。いまひとつ、親に愛されなかった子供だということがこのこの単純な事実だけからでもわかる。
どうしてこの小説が、中学生の自分にそんなに印象に残ったのかと後年になって考えてみると、僕は長男だけれど、次郎的な状況にあったからだと思います。
母親は弟のほうが好きというか、弟のほうに思い入れがありました。弟を偏愛している母にとっての免罪符は、父が弟よりも僕を可愛がっているから、自分は弟のほうをというものでしたが、実際は父の愛はよりいっそう少なかったですね。
多分、親の愛に飢えていたのでしょう。次郎に自分の境遇を重ねていたのだと思います。
世間で当然といわれることに疑問を持つ
次郎は地方の名門中学校に入学すると、尊敬できる先生と出逢います。その先生は、次郎が悩みを相談すると、いちだん深い考え方を提示してくれます。
本のなかのその先生の言葉をとおして、真の答えというのはそんなに簡単に出るわけではなく、一筋縄ではいかないもので、ものごとはすべて根本から考えなければいけないのだということに僕もまた目覚めたのです。
もともと僕は幼い頃から、みんながあたり前のように思っていることに対して、どうしてそうなんだろう、と考えるタイプでした。
ウルトラマンシリーズもそのひとつでした。テレビの番組を観ながら、つねに疑問に思っていたことがあったんです。
ウルトラマンシリーズは、怪獣が理由もなくやってきて、はじめは科学特捜隊が抵抗するけれど倒せなくて、やがてウルトラマンが来て3分以内にやっつけて帰っていくという話ですよね。
僕の疑問は、ウルトラマンはどういう理由で僕たちを助けてくれるのか、どうしてそんなに我々の都合のいいように動いてくれるのかというものだったんです。
毎回来てくれるから「いい人」「正義の味方」とされているけれど、「正義の味方」ではなくて、「我々の味方」なんじゃないか、と思ったり。
それを周りの人に話したら、普通はそんなことは思わないものだ、と言われました。
でもそんなふうに、たとえみんなが当然だと思っていることでも、自分はそう単純には受け入れることはできないぞ、と考える子供だったんです。
考えることと読むことは表裏一体
考えることと読むことが表裏一体になるという読書体験がはじまったのも、やはり中学時代です。庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』も、そんな一冊でした。庄司薫は1969年に、この作品により32歳で芥川賞作家となっています。
まず文体がすごく印象的で、スラング調というか、当時の若者たちの日常的なくだけた話し言葉で書かれたという意味で、この小説は画期的でした。
当時、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』も同じような文体だったことから、比較されたりもしたんですね。
庄司薫自身は東京大学在学中に『喪失』という小説で中央公論新人賞を取っていて、それはタイトルどおり「喪失」が重要なテーマになっています。
その「喪失」というテーマをもう少しカッコつけないで書いたのが『赤頭巾ちゃん気をつけて』なんですね。
理想なき時代をいかに生きるか
語り手は都立日比谷高校3年生の「庄司薫」で、実際の作者よりもだいぶ年下です。日比谷高校は、かつて東京大学に百人以上がゆうゆうと入学するような日本一の進学校でした。ただ主人公の庄司薫より下の学年から、学区制が導入され、日比谷高校が特別な高校ではなくなり始める。作者は、そういう転換期に主人公を置きたかったのでしょう。
その上、1969年、大学紛争により東京大学の入試が中止になった年です。小説では、入試中止が発表された後のある1日のできごとが語られる。
日比谷高校の生徒は優秀で、学校の教科の勉強ができるのは当たり前だから、できる者は、学校の勉強をこえた教養や思想レベルで戦っている。正直なところ、教養をひけらかす嫌なヤツです。そういうできるヤツの中には、大きく、革命派、芸術派がいる、ということになっている。
革命派は、社会的・政治的な問題に関心がある。社会的な公正性とか正義とかに興味があるわけです。それに対して、社会よりも個人の実存を優先させ、芸術や美が大事だと見るのが芸術派は、やや斜めに構えています。
政治派という正統があって、それへのアンチテーゼとして芸術派という異端が存在する、という構図だったわけです。
でも、60年代末期のその頃になると、革命派が目標としている共産主義はもう成立しないという雰囲気が濃厚になってきた。つまり革命派の生徒たちにとっての政治的理想というものが失われてしまいます。
その正統がなくなると、異端もまた成り立たなくなってしまう。それで庄司薫たち芸術派は、「自分たちはこれからどうなるのか」と人生に悩むわけです。
小説の最後に主人公は銀座に行くんですけれど、そこでばったり小さな女のコと会って、こういう人たちを助け、守ってあげられるような自分でいなければいけないという想いに包まれます。
大きな理想はなくなってしまったけれど、この「赤頭巾ちゃん」たちを守っていくことに自らの生きる意味を見出すのです。
僕はのちに『不可能性の時代』という著作で戦後を25年ごとにわけて、1945年から70年までを「理想の時代」、70年から95年までを「虚構の時代」、そして95年以降を他者性を排した他者を希求する「不可能性の時代」としました。
庄司薫はこの理想の時代がなくなりかけたころの生きる意味に直面した若者たちの内面を描いたのです。
中学生の僕はその小説を読んで、当時の友達と内面や生きる意味について意見をいいあったりしていた。そういった思考の訓練も、大人になるためのひとつのプロセスだったと、そう思います。