その世界に一気に引き込まれる凄い本
市川拓司さん『MM』のラスト、彼らの仕掛けた大博打は誰もが夢見る大舞台だ。
第一部完結である。松本清張賞でデビューした阿部智里さんの『弥栄の烏』。この重厚で緻密な和風ファンタジーは現代への風刺もかなり効いている。人と烏の両方の姿をとる八咫烏たちと長年の宿敵である大猿との因縁。そこに彼らがかつて奉じていた山神さまも現れ最終決戦にもつれ込む。天変地異が起こる中、八咫烏軍の参謀、雪哉のとった作戦とは。大切な仲間を亡くし壊れていく彼にとにかく共感してしまい、目を離すことができなかった。絶望に心を凍らせてしまった雪哉の救い手とは。ふいに思う。自分も同じ方法をとるのではないか、復讐という甘美な逃げ場に身を預けるのではないか、考えることを考える。このループはこのシリーズの特質でもある。シリーズ六冊に張り巡らされた伏線に無駄はなく、読み終わった今もまた初めから読みたくなっている。特に前作『玉依姫』はこの作品と裏表の関係なので併せて読むと大猿と山神さま側の理由が見えてくる、惨劇の理由が。
日本は今でもスパイ天国らしい。芝村裕吏さんの『猟犬の旗』では日本人に使われる外国人スパイが「仕事だからな」と言いながらスポーツカーをブッ飛ばす。長年働いてきたおばちゃんスパイの突然の反逆。関空で新宿駅でのド派手な爆弾&銃撃テロ。スパイたちのどこまでが寝返ったのか。「俺」は何の因果か難民の少女を連れて戦う羽目に。国への忠誠心? まさか。仕事への誇り? それはある。静かな日本を作るため働いてやるさ、なんて少しぶっきらぼうな文体がシャープなスパイを際立たせる。それでいてカーチェイスに銃撃戦に一対一の格闘までこなし、本人の思惑とは違ってできる男は常に忙しい。顔を変えた俺がすぐそこで仕事を終えているかもね。
現実の自分となりたい自分のギャップに苦しむのは青春の特権。きっとみんな通ってきた道のはず。でしょ? そんなことをこの歳になって思い出してしまったのは市川拓司さんの『MM』。ハリウッドの脚本家を夢見る中学三年のジロと地元工場の支社長の娘モモ。接点のないはずの二人が色々な感情や環境に揺さぶられ化学変化を起こしていく様は甘く切ない。ラスト、彼らの仕掛けた大博打は誰もが夢見る大舞台だ。まえがきのようなもので実はぐいっと市川ペースにはまっていたんだな、とモモの手紙で気付く。凄い。