大貫智子『愛を描いたひと イ・ジュンソプと山本方子の百年』
母親として、女性として、生き方を学んだ5年間
思春期にさしかかった息子の声変わりが始まった。時々私に隠し事をしたり、嘘をついたりする。こんな時、山本方子さんはどう子供と接していたのだろう。
方子さんの夫は、韓国を代表する画家・李仲燮である。故郷は現在の北朝鮮で、朝鮮戦争により方子さんや2人の息子とともに韓国に避難した。焦土から立ち上がった韓国を象徴するようなエネルギーあふれる筆致が特徴で、韓国では圧倒的な知名度を誇る。しかし、日本ではほとんど知られていない。李仲燮は39歳で夭折したが、方子さんは今秋100歳を迎える。
夫婦に関する取材を始めてちょうど5年となった。きっかけはソウル特派員時代の2016年6月、李仲燮の生誕100周年記念の大規模展覧会に足を運んだことだった。李仲燮の作品や日本語で書かれた手紙に惹かれ、夫婦の物語に引き込まれていった。いつしか方子さんは私が悩みを抱えた時、常に頭に浮かぶ存在となった。
李仲燮との思い出話に及ぶと顔をほころばせ、言葉数が増える。困難な環境に置かれていた日本人が多かった敗戦直後の朝鮮半島において、幸せな新婚生活だったと振り返る。
そんな方子さんは夫を韓国に残して帰国した直後、結核にかかった。34歳で夫に先立たれ、息子たちを育て上げた。次男の泰成さんは自身の血筋に葛藤を覚え、方子さんと衝突するようになる。それでも常に前向きで愚痴をこぼすこともないとは、どれだけ芯の強い女性なのか。方子さんを知る人々に話を聞くたび、そう感じさせられた。
方子さんが李仲燮にあてた文面には、生き方そのものが凝縮されていた。連絡が途絶えた夫に対し、「私達の事を全然お忘れになっていらっしゃるのでしょうか」と訴えつつ、「入れ違ひにお返事があるかも知れないと胸をふくらませています」と締めくくっていた。
2人が交わした数百通に上る手紙のうち、私が読むことができたのは50通ほどだった。最も印象に残ったのが、この一通だった。こんな強さとしなやかさがあれば、私も素敵に年を重ねられるのではないか、と憧れた。そして、ワンオペ育児で壁にぶち当たるたび、「きっと方子さんならこうやって乗り越えたはず」と思い巡らせるようになった。
孫の亜矢子さんへのインタビューでは、別の素顔を垣間見ることができた。家族と食卓を共にするより、一人でピザやハンバーグなど好きな物を食べていたという。マイペースな暮らしも、充実した日々の源だったに違いない。私も、もう少し肩の力を抜いてもいい気がした。
日韓関係や北朝鮮問題などの取材に明け暮れていた私が夫婦の物語にとりつかれたのは、ドラマチックなストーリーや日本統治時代、朝鮮戦争といった時代背景に関心を持ったからだけではない。方子さんという一人の女性と、心の中で対話していたような5年間だった。
大貫智子(おおぬき・ともこ)
1975年、神奈川県生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。2000年、毎日新聞社入社。ソウル特派員、論説委員、外信部副部長などを経て2021年4月より政治部で主に外交を担当している。本書が初の著書になる。
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『愛を描いたひと イ・ジュンソプと山本方子の百年』
著/大貫智子