物語のつくりかた 第17回 島崎 大さん(ワイン醸造士)
日本における「ワイン元年」と言われているのは、1973年のこと。食生活の欧米化が進み、今後はワイン需要が急速に拡大していくだろうと予測した各メーカーは、毎月いろいろなワインがノベルティと共に届く頒布会を企画するようになりました。
まだワイングラスやコルク抜きすら十分に普及していなかったこの時代。私の両親が頒布会で申し込んだ商品に、ワインに関する様々な蘊蓄が記載されたミニブックが同梱されていました。
何の気なしにこれをぱらぱらと眺め始めた中学時代の私は、世界には多種多様なワインが存在し、ラベルのデザインひとつを取っても非常にバリエーション豊かであることに、強く興味を引きつけられました。
さらに、ワインを好んだ歴史上の人物のエピソードや、ワイン造りに関する逸話などを知るにつけ、関心はますます強固なものになります。たとえば、領主が旅に出ている間にぶどうが熟し過ぎてしまい、やむを得ずそれを使ってワインを仕込んだところ、思いのほか美味しいワインができた。これが貴腐ワインというジャンルの発祥だという逸話などは、当時の私にとってとりわけ印象深かったですね。
どんどんワインの世界にのめり込んでいった私は、暇さえあればワインに関する本を読み漁り、そのうち自分で造ってみたいと思うようになります。そこで、高校卒業後は発酵生産学科がある山梨大学へ進むことを決めました。
この学科には、1学年あたり30人ほどの学生が在籍していたものの、ワイン造りを志していたのは私くらいのものでした。当時はそのくらい、日本におけるワインの認知度は低かったんです。
こうした事情は私が大学を出てマンズワインに入社する頃も、さほど変わりませんでした。日本における「ワイン元年」以降、消費量は次第に増えていったとはいえ、当時の日本人1人あたりの年間ワイン消費量は100ミリリットル程度でした。これは現在のおよそ20分の1の消費量に過ぎません。
フランス・ボルドーで本場の〝ワイン〟を学ぶ
さて、念願が叶い、私は入社直後から醸造の現場に携わることになりました。
しかし、日本でワインを醸すのは、簡単なことではありません。良いワイン造りとはすなわち、良いぶどうを育てられるかどうかにかかっています。50点のぶどうからは、どんなに頑張っても50点のワインしか造れません。つまり、まずは100点のぶどうを育て、そこからいかに点数を落とすことなくワインを仕上げるかが、醸造家の腕の見せ所です。
ところが、高温多湿な日本の風土は、決してぶどう栽培に適した土地とは言えません。これは大きなハンディキャップと言えるでしょう。
そんな中、私が幸運だったのは、入社早々にフランスへ研修に行かせてもらえたことでした。
フランスには3年半ほど滞在し、ボルドー大学で本場のワイン造りを徹底的に学びました。最大の発見は、有名産地であるボルドーが、実は決してぶどう栽培に適した環境ではなかったことです。むしろ、大西洋に面した厳しい気候で、雨量も多く、不利な条件もある地域だということに衝撃を受けました。
それにもかかわらず、現在、ボルドーがワインの一大産地として名を馳せているのは、そうしたハンディキャップを乗り越えるために人々が努力を重ねてきたからでしょう。困難な環境でも、創意工夫さえあれば、優れたワインを造ることができるのだと実感させられました。
だったら、ぶどう栽培に不向きとされる日本でも、美味しいワインを造ることは可能なはずなのです。そもそも長らく味噌や清酒を造ってきた日本人は発酵が得意ですから、いいぶどうさえ育てられれば、必ず世界に引けを取らないワインが造れるに違いないと、なんだか心強い気持ちになりましたね。
風水害と戦いながら良質のぶどうを育む
ぶどう栽培において重要なポイントのひとつが、収穫のタイミングです。
たとえば暑くて生育の早い年は、酸が落ちていくのも早いため、例年より前倒しのスケジュールで収穫する必要があります。ところが、気候条件によっては、酸に合わせると糖や香りが足りないといったことが起こり得ます。これが農業の難しいところです。
理想的な年は、糖や酸や香りといった複数の要素がすべて同時期にピークを迎え、結果的に最高のぶどうを収穫することができます。
マンズワインのブランドである「ソラリス」シリーズは、そうした理想のぶどうのポテンシャルを最大限に引き出したものです。逆に言えば、理想のぶどうが収穫できなかった年には、トップレンジの商品は仕込みません。日本酒やウイスキーなどと違い、一切加水をしないワインにおいては、それほどぶどうの出来に品質が左右されるのです。
ぶどう栽培における最大の障壁は、やはり風水害などの自然災害でしょう。雨も降りすぎれば病気の元となりますし、昨今の台風などによる水害の増加は、ぶどうに限らずすべての農家にとって大きな懸念材料です。また、長野県小諸市と、山梨県甲州市勝沼町にワイナリーを構える私たちにとっては、霜害や雹害のリスクも見過ごせません。
その意味でワイン造りは自然を相手にした非常に厳しい事業と言えますが、気象や気温をコントロールすることは不可能ですから、与えられた環境の中で、人の手で最善を尽くすことが私たちワインメーカーの使命と考えています。
さまざまな苦労を重ねながらも、私たちがワイン造りを続けているのは、ワインにそれだけの魅力があるからです。
ワインはとにかく種類が非常に豊富です。赤、白、ロゼ、スパークリング、辛口、甘口といったスタイルの違いに加え、シャルドネやマスカット・ベーリーA、甲州など、世界中に多くのぶどうの品種が存在しています。さらに熟成度や酵母の違いなど、その組み合わせは全方位的に広がっています。そのため、消費者としてはその時々の気分やシチュエーション、予算などに合わせたものを選ぶことができる。これはワインの大きな魅力でしょう。実際、日本ワインの認知度が高まってきた昨今では、そうしたワイン選びの楽しみが少しずつ広まりつつあるように感じます。
そもそも「日本ワイン」とは、日本国内で栽培されたぶどうを100%使用し、日本国内で醸造されたものを指します。現在、日本で消費されているワインのうち、日本ワインは約4%程度であると言われています。注目されてきたとはいえ、輸入ワインや、輸入原料を国内醸造したワインに比べると、まだまだメーカーも商品も、圧倒的に少ないわけです。
まずはこのシェアを10%くらいまで引き上げようというのが業界の目標です。そのために私が参考にしたいと考えているのが、スイスの例です。
スイスは日本と同様、農地が少なくて人件費が高いという、決してワイン産業に適した地域ではありません。スイスワインは生産量が少ないため、国外に輸出することなく、ほぼ国内のみで消費されているのが実情です。
逆に言えば、スイスワインは現地へ行かなければ飲めないわけで、世界のワイン愛好家たちにとって、スイス旅行の大きな楽しみのひとつとなっています。スイスの高級レストランでは、ワインリストのトップに自国ワインが並ぶのが普通です。
日本ワインもこうしたプレミアムな価値を持たせることができれば、シェア10%超えもそう遠い目標ではないでしょう。そうなればきっと、ワインを目当てに日本を訪れる旅行者も増えるはずだと考えています。
いつか、ワインリストのトップに日本ワインが並ぶのが当たり前になる日を目指して、これからも良いぶどうとワインを育てていきたいですね。
島崎 大(しまざき・だい)
1961年東京都生まれ。山梨大学工学部発酵生産学科卒業。83年、マンズワイン株式会社入社。87年、フランスへ派遣留学。ボルドー大学ワイン栽培醸造学部で学び、89年にワイン醸造士フランス国家資格を取得。90年には、ワインテイスティング適性資格を取得。帰国後、品質管理部長、研究開発部長、ソラリス醸造責任者を歴任し、2017年より代表取締役社長を務める。
Q&A
1.夜型? 朝型?
どちらかといえば朝型でしょうね。夜はワインを飲んで、22〜23時には寝てしまいます。
2.犬派? 猫派?
どちらでもないかもしれません。子供3人を育てましたので、それだけで手一杯で。ただ、イノシシやシカなど、動物の多い環境で生活していますけどね。
3.ワイン以外にはどのようなお酒を飲まれますか?
ワインと同じく毎晩飲むのはビールですね。その他、時期によって日本酒やスピリッツの類いを少々。焼酎は芋焼酎しか飲みません。
4.オフの日の過ごし方は?
地元のチームに入ってサッカーをやっています。月に2度ほど試合があります。基本的に50代のリーグに出場しているのですが、私は今58歳なので、60代のリーグにも出られるんです。多い時は1日に2試合出ることもあります。
5.ストレス解消法は?
サッカーと料理ですね。
6.影響を受けた本は?
A・C・クラークや、I・アシモフなどSF小説が好きでよく読んでいましたが、最も影響を受けたのは伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』です。後にヨーロッパで暮らすことになった時は感慨深いものがありました。
7.もし今この仕事をしていなかったら、どんな仕事をしていたと思いますか?
もともと海が好きだったので、山梨で醸造を学ぶか、それとも商船大学へ進むか迷いました。船を選んでいたら、がらりと異なる人生になっていたでしょうね。あるいは、料理が好きなので料理人になっていたかもしれません。
マクロン大統領も味わった日本ワイン
「ソラリス」シリーズ
「SOLARIS(ソラリス)」とは、ラテン語で「太陽の」を意味し、
勝沼、小諸のワイナリーでこだわりのぶどう造りから生み出される。
全日空(ANA)ファーストクラスの提供ワインにも選ばれた。
「マンズワイン」公式ホームページ
https://mannswines.com/