週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.65 丸善お茶の水店 沢田史郎さん
『駅の名は夜明 軌道春秋II』
髙田郁
双葉文庫
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
とは、俵万智の『サラダ記念日』(河出文庫)から。日常のふとした瞬間の愛しさと、かけがえの無さ。それを飾らない言葉で表現した名歌ではなかろうか。
まるでコピペしたような毎日の中で、不意に輝きを放つ小さな幸せ。それは、年齢や立場にかかわらず、きっと誰にでも訪れる。しかし、日々の暮らしに追われるうちに、僕らはつい見落としていやしないだろうか? 或いは気に留める余裕も無いまま、いつの間にか忘れていやしないだろうか?
そこに気付かせてくれるのが上の短歌であり、そして今回紹介する髙田郁の『駅の名は夜明 軌道春秋Ⅱ』という短編集だ。
前作『ふるさと銀河線 軌道春秋』は、時代小説で盤石の支持を得ている著者の、初めての現代ものだった。そこには、養うべき家族を抱えながらリストラされた父親がいた。けんもほろろの扱いを受けながら、頭を下げ続ける営業マンがいた。誘惑に負けそうになる自分と、懸命に闘い続けるアルコール依存症患者がいた。
そしてこの度の続編には、幼い娘を亡くして失意の底に沈む夫婦がいる。イジメの標的になって学校に通えなくなった少女がいる。両親の離婚を受け入れられず、途方に暮れる小学生がいる。
描かれるどの人物も、順風満帆とは言い難い人生を歩んでいる。降りかかってきた不幸ばかりが胸を満たして、生きる意味を見失っている。しかし、絶望の一歩手前で彼らは思い出す。これまでの人生のそこかしこに、幸せを感じた瞬間は確かにあったと。ならば、今は辛く悲しい時間を過ごしているけれど、これから先、どこかで再び幸せに巡り会うことだって、きっとあるに違いないと。
第六話「夜明の鐘」で、主人公の友人が、しみじみと述懐する。
《振り返ってみれば、折々に、何処かで救いが用意されてた。ラジオから流れるパーソナリティの声だったり、翠からの電話だったり、定期購読の雑誌を届けてくれる本屋さんだったり……。他人から見れば他愛のないことでも、ぎりぎりのところで踏み留まっている者には、大きな救いになる》
それが〝大きな救い〟になったのは、〝他愛のないこと〟と見過ごしたりせず、そのかけがえの無いあたたかさを、そっと胸に刻んだからこそだろう。
そのつもりで、例えば第三話「途中下車」を読み返してみる。すると、《目的地に行くために必要な途中下車もあるさ。疲れたら、降りていいんだよ》《次の列車は、必ず来るからね》といった言葉に、主人公のみならず、読者も背中を押されるのではあるまいか。
或いは第五話の表題作。老々介護に疲れ果て、何もかもを諦め切って降り立った駅の名が〈夜明〉だった……。そう、夜は必ず明けるのだ。それに気づいた主人公は、かつて妻と育んだ幸せの記憶を抱きしめて、もう一度二人で朝日を浴びようと決めたのだ……などとは実は書いてない。書いてはいないが、僕にはそんな風に読めて仕方がない。
神は小さきところに宿る、という言葉がある。
ありふれた慰めや些末な喜び。いつも何かに追われているような忙しない暮らしの中でも、時にはそれを思い出してね。幸せは、きっと、小さきところに宿るものだから――。髙田郁のそんなささやきが、行間から漏れ聞こえてくるような、滋味掬すべき作品集。
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