◎編集者コラム◎ 『豊田章男が愛したテストドライバー』稲泉 連

◎編集者コラム◎

『豊田章男が愛したテストドライバー』稲泉 連


2011年、ニュルブルクリンクにて。

 トヨタで数多のクルマづくりに携わった〝伝説のテストドライバー〟成瀬弘さんが不慮の事故で亡くなった。享年67。成瀬さんは、豊田章男社長の「運転の師」と呼ばれていた──。ノンフィクション作家の稲泉連さんから、新聞で偶然目にしたという、そんな話を聞いたのは約10年前のこと。テストドライバーとはどんな仕事か。現場のエンジニアが創業家社長と特別な関係を築くとは? 稲泉さんの中で取材者としてのスイッチが入ったようでした。

 しかし、私たちにはトヨタに何のツテもありません。同社の代表番号に電話し、広報部に依頼書を送りました。しばらくしたら返事がありました。それはトヨタが開発の拠点としていたニュルブルクリンク(以下、ニュル)に赴き、同地で開かれる〝世界一過酷〟な24時間レースを取材してもらえるなら協力したい、というものでした。ニュルがトヨタ、成瀬さん、そして豊田社長にとっていかなる意味を持つ地なのかは本書をご覧いただくとして、そのときは取材の道が開けたことに、胸の高鳴りを感じずにはいられませんでした。

 以下、実際に私が著者とともにニュルを訪れ、今も記憶していることを列挙します。レース前日から車両が出入りするピットがピリピリとしていたこと。そこで不注意にも歩き回っていると車にぶつかりそうになったこと。それを豊田社長に「危ないよ」と注意されたこと(といっても、声は優しかったです。私の落ち度はあきらかでしたのに。すみませんでした)。以後、邪魔にならないよう控室でレースを眺めていたこと……。

 前夜祭もあわせると3日間に及ぶ長丁場です。いつ宿舎に戻っていいかさえ分からず、現地名物のカリーヴルスト(カレー風ソーセージ)を頬張りながらコース周辺を歩いていました。すると、ある光景に出会います。欧州から集まったレースファンたちが、ある人はビール片手に観戦し、ある人は野外パーティのように音楽に興じている。レースそっちのけでバーベキューに夢中な家族もいます。観戦というよりも、その空気を共有することこそが彼らの目的に思えました。それは欧州に根付くクルマ文化としか言いようがないものです。あぁ、こうしたクルマを愛する人々がいる地で成瀬さんはクルマづくりを行なっていたのかと妙に納得しました。

 ――と暢気な取材同行記を書いていますが、実際は帰国後、単行本完成まで5年を要する難行が待ち受けていました。さらに5年を要し、このたび文庫化されました。1枚の FAX から始まった取材がようやく一つのゴールを迎えたことに、いまはホッとしています。

──『豊田章男が愛したテストドライバー』担当者より

『豊田章男が愛したテストドライバー』
稲泉 連

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