◎編集者コラム◎ 『くさまくら 万葉集歌解き譚』篠 綾子

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『くさまくら 万葉集歌解き譚』篠 綾子


 万葉集歌解き譚シリーズ最新刊は、江戸の東郊にある歌の名所・葛飾の真間へのワンデイ・トリップから始まります。賀茂真淵の弟子で薬種問屋と油問屋を兼ねる伊勢屋の娘・しづ子と、同じく弟子の若侍・加藤千蔭、伊勢屋に出入りする陰陽師の末裔で総髪の占い師・葛木多陽人、それに小僧の助松を加えた四人が、安藤広重の浮世絵でも名高い手児奈(てこな)の継橋を訪ねます。しづ子がここを選んだわけは、本作の第一章にあたる「第一首 くさまくら」をお読みいただくとして、時節柄、旅に出られずにうずうずなさっているであろう読者諸兄姉に、どんなところか、ご紹介いたしましょう。

 JR市川駅もしくは京成線市川真間駅乃至国府台駅からほど近い真間の継橋(写真①では、つぎはしと表記)に立ち、市川駅を背にして北に目をやると、100メートルほど先に古刹弘法寺(ぐほうじ)の石段が見える。その手前、10メートルほど先の右手に手児奈霊堂(写真②、作中では手児奈霊神堂と表記)がある。手児奈とは、自ら命を絶った健気で見目麗しい娘の名前で、どんな悲話があったかは、ぜひ「第一首」をご覧あれ。さらに、手児奈霊堂の北奥に位置する亀井院の入り口左手には、その手児奈が水を汲んだという真間の井の石碑が建っている(写真③)。

 さて、天平9(737)年に行基が建立した求法寺が始まりとされる真間山弘法寺は急な石段を50段ほど登った国府台上にあり、標高は22メートル余(写真④)。山門にたどり着き、南を振り向けば、市川駅前にある高層ビルが樹間に屹立している(写真⑤)。江戸時代には、海岸線が内陸に入り込んでいただろうから、われらが登場人物は、陽光煌めく江戸湾が望見できたはずだ。弘法寺の境内は広く、西南の崖際には、6世紀から7世紀に築造されたと表示板にある前方後円墳の崩れかけた土盛りが残されていた。西の崖下には江戸川が流れ、その向こうに江戸八百八町の家並が望めたに違いない。写真⑥は寺域の西はずれの崖上から垣間見える東京スカイツリー。弘法寺からツリー近くの浅草まで、直線距離でおよそ2里半(10キロメートル)、さらに1里(4キロメートル)余西の日本橋に伊勢屋がある。しづ子ら一行の眼前に広がる百万都市江戸の景観は、四人をどれほど魅了したことか。


 おっと、いけない。旅案内はこれくらいにして、本筋に戻りましょう。

 真間の継橋を目の当たりにしたしづ子の、万葉集への思いは深まるばかり。次なる旅は万葉集ゆかりの地、上野国伊香保に決まる。一行はしづ子と母親の八重、多陽人と助松、さらに伊勢屋手代の庄助と女中おせいの総勢六人。道中大過なく、伊香保温泉に到着した一行だったが、護衛役の多陽人が五日間、別行動を願い出た。どうやら、途中でなにか気になったものがあるらしい。しかし、約束の日時が過ぎても、いっこうに戻ってくる気配がない。八重の命で捜索に向かった庄助と助松の胸に、国境の藤ノ木の渡しで目にした人形祓いが重くのしかかる。この烏川の上流になにかあるにちがいない。勇を鼓して川を遡り始めた二人が霞の中に見たものは――。千年を超えて連綿とつづく和歌の魅力をわかりやすく伝えながら、歌の言の葉で心を通わす大店の娘しづ子と不思議な術を使う総髪の占い師・多陽人のほのかな恋の道行きを描く。バーチャル旅行も楽しめる「万葉集歌解き譚」シリーズ第3弾。

──『くさまくら 万葉集歌解き譚』担当者より

くさまくら 万葉集歌解き譚

『くさまくら 万葉集歌解き譚』
篠 綾子

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