◇自著を語る◇ 山本甲士『つめ』

◇自著を語る◇  山本甲士『つめ』

そして母になる

 拙著の中に〔巻き込まれ型小説〕という名称でくくられている作品がある。

 最初は二十年ほど前に書いた『どろ』という、隣人トラブルがエスカレートしてゆく話だった。結果的にあまり売れず、文庫化された後でちょっと重版になっただけなのだが、もの書きとしては重要なターニングポイントになった。ひとつは、それまではトリックを使ったミステリーや、探偵などを主役にしたハードボイルド系のものなど、ありがちな小説ばかり書いていて、このままでは独自性を発揮することなく消えてしまうのではないかと焦っていたところ、『どろ』によって、自分はこういう小説も書けるのだと発見できたこと。もう一つは、一部の書評家さんや他社の編集者さんが『どろ』を気に入ってくれたお陰で、自分の方から「何か書かせてもらえませんか」という手紙に新刊本を添えてあちこちの出版社に送ったりしなくても執筆依頼の連絡をもらえるようになったことだった。

 次に書いたのが『かび』という、夫が脳梗塞で倒れたのに会社が責任を取ろうとしないことにブチギレた主婦が、さまざまな嫌がらせで対抗する話だった。この頃から版元さんがあちこちで山本甲士は〔巻き込まれ型小説〕の第一人者だ、という感じで宣伝してくれるようになり、そういうイメージが形成された。よくよく考えてみれば、小説では多かれ少なかれ事件や騒動などが描かれるのだから、たいがいの作品は〔巻き込まれ型〕なのだが、大切なことはネーミングによる印象である。その意味で版元さんの売り方は正しかった。何となく、山本甲士は独自路線をゆく作家だ、みたいな目で見られるようになり、そこそこ目立てるようになったことは間違いない。

 続いて発表した『とげ』は、地方公務員がわがままな市民や硬直した組織に振り回された挙げ句、ついに腹をくくって大胆な行動に出る話。こちらも売れ行きは威張れるほどではなかったが、映像業界でも〔巻き込まれ型〕シリーズは注目されていたようで、本作は『とげ 小市民 倉永晴之の逆襲』という全八話のテレビドラマになった。

 その頃は実のところ、『どろ』『かび』『とげ』の三部作で〔巻き込まれ型小説〕は完結かな、という認識だった。既に、リストラされたサラリーマンが野草などを材料にしたお弁当屋さんを始める『ひなた弁当』や、優しいウソの使い手である老女が意外な活躍を見せる『ひかりの魔女』など、〔巻き込まれ型小説〕のような、ささくれた世界とはかなりテイストの異なる作品が予想外に売れゆきがよく、執筆依頼の内容も変わってきたからだった。

 しかし、そんなときに報道番組で私は知ってしまったのだった。鍋を叩きながら大声で隣人をののしり、汚物を投げ込むモンスターおばさんの存在を。このおばさんと戦う主婦の話は絶対に面白い! 何が何でも書きたい! という誘惑には勝てなかった。

 さっそくプロットを作って編集長さんに目を通してもらったところ、注文がついた。物語の縦軸は、主婦がモンスターおばさんと戦う話でいいが、横軸となる家族の物語を考えて欲しいというものだった。これはいい提案だと思った私は、血のつながりがない夫の連れ子が学校でいじめを受けたり、やられたらやり返すという主人公の考えとは別の道があることを息子の行動で知る、といった横軸のストーリーを盛り込むことができた。

 詳細は読んでのお楽しみだが、本作は単なる〔巻き込まれ型小説〕ではなく、『そして母になる』物語でもあるのです。よろしくね。

山本甲士(やまもと・こうし)

1963年滋賀県生まれ。主な書著にロングセラー「ひかりの魔女」シリーズや『ひなた弁当』、巻き込まれ型小説として評判を呼んだ『どろ』『かび』『とげ』『俺は駄目じゃない』の他、『ひなたストア』『そうだ小説を書こう』『ひろいもの』『運命のひと』『戻る男』など多数。

書影
『つめ』

〈「本の窓」2020年8月号掲載〉
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第103回
◎編集者コラム◎ 『セイレーンの懺悔』中山七里