辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第14回「新時代の〝叱り方〟」

辻堂ホームズ子育て事件簿
体罰が禁止された令和。
幼少期を振り返り、
子育てを考えてみる。

娘「あーーー!(機嫌が悪くて積み木ガシャーン)」

私「投げちゃダメだよ、壊れちゃうから」

娘「あー! あー!(怒って積み木ガシャーン、ガシャーン)」

私「ダメって言ってるでしょ! 優しく使って!」

娘「あーーーーー!(もっと強くガシャーン)」

私「あーもう!!! やめてやめて!!!」

 さらに積み木を振りかぶる娘。まだ2歳になったばかりで、言葉が通じているのかどうかも怪しい年齢だ。手の甲をパチンと叩いて分からせられたらどんなに楽だろう、とよくない考えが頭をよぎる。しかしその方法は使えない。言っても聞かず、語気を強めてもまるで効果がないのなら、いったいどうすればいいのか──。

 子どもがいけないことや危ないことをした、もしくはしようとしたときに、それを正すのは親の重要な役目だと考えている。子ども自身や友達の身の安全を確保するためにも、社会に出てから人との関係性を上手く築けるようにするためにも、善悪の判断基準は小さいうちに教えておかないといけない。極端な例かもしれないけれど、親が何も注意せずに常に優しく接し続けていたら、子どもの悪戯が徐々にエスカレートし、リビングにわざと汚物を撒き散らすようになった、という話を小耳に挟んだことがある。叱ることを過度に忌避したばかりに、子どもの性根が曲がってしまっては本末転倒だ。

 だから、いくら面倒だとしても、躾を放棄するわけにはいかない。しかし、自分の親が私を叱るときに使っていた、最も簡単で効果的と思われる手段は封じられている。

 ではどうすればいいのか。とびきり恐ろしい声で怒鳴ってみる? いやそれも脅迫行為だ。どんなにイライラしても、問題の解決に至らなくても、冷静なトーンで注意するだけして、それでも子どもが言うことを聞かなければ、こちらが引き下がるしかないのか……?

 こうした葛藤を、夫にぶつけてみたことがある。

 すると夫は、「おもちゃを乱暴に扱ったらおやつ抜き、みたいのはダメなのかな?」と首を傾げつつ訊き返してきた。食事と違っておやつは生命の維持に必要とはいえず、ご褒美の意味合いも強いから、という理由らしい。

 でも、それはそれで違和感があった。「親の権力を利用して別のところで制裁を加えるのは、直接的な因果関係がなくて理不尽だと思うな。門限を破ったらあんたの携帯解約するよ、とか、部屋の片づけをしないなら習い事やめさせるよ、とか、そういうのと同種な気がする」「ああ、それはよくない。ダメだ、ダメだ」──夫もすぐに思い直したようだった。何か過去に心当たりでもあったのだろうか。

 とにもかくにも、夫婦でこんな会話をしている時点で、自分たちがすでに前時代的な価値観の持ち主に成り果てていることを認めなければならない。親世代の人間から「自分が子どもの頃は、体育教師が竹刀を持っていた」「教師に上履きで殴られるくらい普通だった」という話を聞いて驚愕していたけれど、いつの間にか、今度は私がそちら側の人間になっていたのだ。このまま突き進めば、ニュースで見る虐待事件の加害者たちや、部下の指導方法を改められないパワハラ上司たちと、同じ穴の狢になってしまう。


*辻堂ゆめの本*
\祝・第24回大藪春彦賞受賞/
トリカゴ
『トリカゴ』
東京創元社
 
\第42回吉川英治文学新人賞ノミネート/
十の輪をくぐる
『十の輪をくぐる』
小学館

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辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)

1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』など多数。最新刊は『二重らせんのスイッチ』。

ダニエル・ヤーギン 著、黒輪篤嗣 訳『新しい世界の資源地図 エネルギー・気候変動・国家の衝突』/ロシアによるウクライナ侵攻の必然と、これが単なる二国間の問題でない理由
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