私の本 第5回 今泉忠明さん ▶︎▷02
あらゆるジャンルでご活躍されている方々に、「この本のおかげで、いまの私がある」をテーマにお話を伺う連載「私の本」。
今回のゲストは、動物学者の今泉忠明さんです。近ごろ書店へ行くたび目に飛び込んでくる『おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』シリーズを監修されている今泉さんに、動物学者になるまでの経緯や、「本を読む」心構えについてお話しいただきました。
父との動物採集を楽しんだ学生時代
父は、動物学的には僕の先生です。でも、思春期というのは親と同じことをやるのが嫌なものでしてね。
僕も違う道に行きたいと、映画を観て海洋学者のクストーに憧れたこともあり、東京水産大学(現在の東京海洋大学)に進学しました。海や海洋生物の研究をしたいと思ったのです。
でも大学時代も、父と一緒によく同行した動物採集の楽しさを忘れたわけではありませんでした。やはり動物学者の兄が研究のために新潟に移り住んだこともあって、父も今まで以上に僕を助手として必要とするようになっていました。それで父親の山中の調査に協力し続けていたんです。
採集旅行は罠を仕掛けて、動物を捕獲し、標本を作るということを目的にします。
ある地点で調査して「ここのネズミはある程度、捕獲できた」と思ったら、別の場所へと移動する。
テントを張り、数日間はそうやって山のなかで過ごします。父に巻き込まれるように、大学の途中からは月1~2回のペースで採集旅行へ参加するようになりました。
その結果、流れでやはり動物学者になってしまった。流れなんだから仕方ないです(笑)。
でも大学を卒業するまぎわに、教授から「就職をどうするんだ」と聞かれて驚いたことをよく覚えています。「人間は就職するものなのか」と。そういうものだとは思っていなかったから。
実家で暮らしていたので食べるのには困らなかったし、動物採集が忙しく、そして楽しかったので、就職の必要性は感じなかった。だから僕は、フリーター1号なんです(笑)。
組織に属さず、在野で研究を続ける
それ以来、僕はずっと在野で研究を続けてきました。大学教授のなかには研究室でDNAを調べて、その結果だけで動物がわかったと思っている人もいます。
でもやはりフィールドワークが肝要で、動物が生きている場所や空気を知らないといけないんですね。
あるドイツの学者が言っていたことで面白かったのは、「DNAを研究しても生物はわからない。生命は機械ではない」と。
その学者は、ある重要な器官に関わるDNAを取り除いた実験用のネズミをつくりました。それで、いつかおかしい行動を取るはずだと飼っていたけれど、異常は出なかったというんです。
生物というのは足りない部分を他のものが補完してその種を保とうとします。そう考えると、DNAが違うから他の種だとも言えなくなる。
そういった事実が近年はわかってきたから、学者も研究室でDNAを調べるだけでなく、自然のなかで思考すれば、もっとすばらしいアイデアが湧くと思うのです。
本だけの知識は空想に過ぎない
机上の理論や、本だけの知識は空想に過ぎません。自然のなかに行って、それを実際に体験しない限り本物にはならない。言葉が巧みだったり、理屈でものを考えるのが得意な人もいますけれど、それだけだと単なる空想になってしまうということです。
登山はその典型でしょうね。登山に関する本を読むと大変に簡単に感じるけれど、実際に行くと天候の変化もあるし、じつに大変です。
気象や山岳に通じていた作家・新田次郎の著作は非常に面白くて、富士山の気象観測所をつくろうと努めた人物を描く『芙蓉の人』には、学ぶことがたくさんあります。
新田次郎は、「風は呼吸をしている」というんですよ。だから岩陰に隠れて、呼吸がやんだときに移動するんだ、と。
そして次の呼吸が訪れる前にまた岩陰に入って、少しずつ移動するという。これは実際、僕にとってもすごく役に立ちました。本を読んだだけではだめで、こうやって実際に行動に移してはじめて、血肉になるんですね。
その意味で、僕が生涯にわたり魅了されているのは、イギリス生まれの博物学者シートンの著作です。