私の本 第7回 水野 学さん ▶︎▷03
人気連載「私の本」では引き続き、「くまモン」の生みの親でもあるクリエイティブディレクターの水野学さんに、本のお話を伺います。
昨年末からまた読書ブームが来ているという水野さん。ビジネス書から哲学書まで、ジャンルは多岐にわたります。実は、水野さんが好きな本にはある共通点がありました。
1冊の本を読むと100の疑問が湧く
僕は、1冊の本を読むのにすごく時間がかかるんです。なかでも、仕事に結びつきそうな本ほど遅くて。たとえば「地球は丸い」と書かれていると、「丸いかな」「誰が一番最初に丸いって言ったんだろう」「そういえば地球の写真って、誰が一番初めに撮ったのかな」と、もう100個くらい疑問が浮かんできてしまうんです。
それで調べてみたら、初めて地球を撮影したのはなんとナチスとされています。でもそうやって疑問を持つと、点ではなく線でものごとを見ることができます。それが、仕事でアイデアを考えるときにも役立つんですね。
先日、僕の知り合いの佐渡島庸平さんという元講談社の編集者で、いまは作家のエージェント会社をしている方に教えていただいたのですが…。
彼は灘高校、東京大学をご卒業なさった方で、日本史をどうやって勉強したかというと、「何年になにがあった」と記憶するのではなく、いろんな繋がりや関連性で覚えるというんです。
確かに僕自身も、受験勉強とか、なにかをピンポイントで覚えることは苦手だけれど、そういうひとつの繋がった物語としてなら、無理なく頭のなかに入れることができます。
難解な専門内容を美しい文章で紡ぐ分子生物学者
この3年ほどはあまり本が読めていませんでした。でも昨年末からまた読書ブームになっています。
年始に読んだのは『ファクトフルネス』ですね。データや事実(ファクト)に基づいて、世界を読み解く習慣やスキルを身につけるという内容で。ビル・ゲイツやオバマ元大統領も絶賛したと言われている本だから、読んでおいたほうがいいかなというくらいの気持ちでしたけれど(笑)。
『サピエンス全史』は「ホモ・サピエンスを歴史的に解明しよう」という壮大なスケールで描いた世界的なベストセラーで、発売されてすぐに読み始めました。
僕はもともとドキュメンタリーが好きで、フィクションが苦手なんです。でもビジネス系の本は現実世界のことだから、僕のなかではドキュメンタリーの範疇といえます。
それ以外によく読むのは、哲学関連の本ですね。ハイデガーとか西田幾多郎とか。たぶん、答えの無いようなことを永遠と考えているのが好きなんでしょうね。
「生物と無生物のあいだ」や「動的平衡」など多くの名著を発売している福岡伸一さんの本も好きです。非常に難解な分子生物学のことを、あれだけ美しい文章で紡ぐというのは本当にすごいことだと思います。近著の『福岡伸一、西田哲学を読む』も拝読しました。
長嶋有という作家の真髄に感心
「猛スピードで母は」や「夕子ちゃんの近道」などでも有名な長嶋有さんの書く世界には、独特の静けさがあると感じています。
その静けさは時に美しく、時にユーモラスで、時に優しく感じます。その文体や観察力、「何か」を文章にして表現することの天才だと思います。
また「安全な妄想」という六十六篇のエッセイ集では視点の捉え方や、切り取り方、文章の軽妙さに抱腹絶倒させられました。
機能美がなければ、装飾の意味がない
好きな本に共通点があるかと聞かれたら、美しい文章、きらきらしている文章が好きというのはひとつあります。福岡伸一さんも美への造詣が深くて、そのうえ感受性も豊かな方ですよね。
美は非常に強い、権威的なものです。「美」という漢字は羊が大きいと書きますよね。諸説ありますが、漢字は中央アジアで生まれたと言われていて、羊は血は飲めるし、肉は食べられるし、皮は洋服になるし、糞は燃料になるという素晴らしい動物なんです。だから大きい羊は美しい、ということになる。
そう考えれば、「美」とは機能美のことを指しているのではないかというのが、僕の解釈です。機能に由来するものでなければ、美しいとはいえないのではないか、と。
機能が満たされずに装飾だけというデザインも世のなかには存在していますが、機能が損なわれているものをいくら着飾っても、そこには美は存在しないのではないかと思います。
僕が仲間と一緒にやっている「THE」というシリーズのグラスは、機能デザインを優先しながら装飾デザインもするという方法で成り立っているものです。
装飾もじつは機能性を持っているというこの究極の答えにたどり着いて、自分のデザイン観はできあがったと、そう思っています。
つねに学ぶことを自らの人生の足枷に
僕の名前は、「学」です。親は、いつも学びを忘れないようにと、この名をつけてくれました。
実家には、「人学ばさせれば知恵なし。玉磨かざれば光なし」という文字の木彫りが飾ってありました(笑)。親から、この言葉はたぶん何千から何万回は聞いていると思います(笑)。
その意味はというと、「人は学ばなければ知恵を得ることはできない。美しく光り輝く原石でも、何度も磨いて、艶を出さなければ本物の宝石としての価値は生まれない」という意味で、一部両親の解釈が入っているそうです(笑)。
「学」という名を冠している限りは、つねに学び、自分を鍛錬し続けなければいけない。それが僕の心の足枷としていつもありますし、一生そうありたいとも思っています。
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