漂白

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第149回
 2 「審理を始めます」法壇で法衣姿の寺越が告げた。星野沙羅の控訴審第一回公判期日。東京高裁の法廷は、第一審と同様公開されている。傍聴席には一般の傍聴人の他、酒井夏希など星野沙羅の友人たちもいた。第一審では乳飲み子の孫を抱えた栗原学の母親もいたが、今日は彼女の姿は見えなかった。二人の刑務官に付き添われて
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第148回
 二日後。東京高裁の会議室に志鶴は一人で出向いた。向かいの席には東京高検の十和田(とわだ)という検察官。四十代くらいに見える女性だ。「では事前打合せを始めます」志鶴と十和田を左右に見る位置に座る寺越(てらこし)という男性の裁判長が告げた。控訴趣意書を作る段階から志鶴が助力を求めた全国冤罪(えんざい)事件弁護団連絡協議会
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第147回
第九章──茶番 1 「何なんですかね、俺の人生って……」公判前整理手続での証拠採用決定について志鶴(しづる)が報告すると、アクリル板の向こうで増山淳彦(ますやまあつひこ)が目を落とした。接見室に重い空気が垂れ込める。「中学校のときいじめられて学校行けなくなってから、いいことなんか一つもなかった。まともな仕事もつけなかっ
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第146回
「二人の被害者の遺体から採取された漂白剤の成分を分析した鑑定書。これについて、主張との関連性について釈明を求めます」こちらの鑑定書は捜査機関による捜査の過程で科捜研の研究員が作成したものだ。「弁護側は増山さんが犯人でないことを立証しようとしています。漂白剤についての鑑定書はその蓋然性を高めるものです」
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第145回
「──ごめんね、出てきてもらっちゃって」店に入ってきた後藤みくるを、志鶴は立ち上がって迎えた。彼女の家に近い北千住辺りで会うか打診したが、「近すぎる」からと上野を指定したのはみくるだった。志鶴と会っているのを地元の友達に見られたくないのだろう。自分と会って話していることを、
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第144回
 5 「いやあ、ちょっとこれだけだとわかんないですね」ソフトボールの試合映像に映っていた白いネオエースをプリントした画像を見て、青いデニムの作業着姿の店長が首を振った。都内にある、ネオエース専門のカスタムショップ。ウェブで見つけた店の一つだ。電話でアポを取ったうえで志鶴は一人で話を聞きに訪れていた。
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第143回
「そうだ」都築が言った。「公判前整理手続の段階で裁判官は心証を形成してはならない。裁判官が証拠を見ちゃいけないってことだ。そもそも受訴裁判所が公判前整理手続を担当する制度自体が間違ってる。あんたら裁判官はそれをわきまえるどころか、制度に便乗して公判前から平気で証拠に手を突っ込んでくる。本当は当事者追行主義なんて認める気
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第142回
「検察官が主張する間接事実について、どの点をどのように争う?」公判前整理手続は公判の日程など審理計画を決めるために行う。あくまで公判の準備をする場で、公判中心主義という原則に従えば、裁判官がこの段階で心証を形成するようなことがあってはならない。だがとくに裁判員裁判では、裁判員の負担を軽減するためとして公判の日程を少しで
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第141回
「暑い中、二人にはよく頑張ってもらった。今日は存分にやってくれ」都築はジョッキを掲げた。志鶴と三浦もジョッキを合わせる。「くぅ~~」きんきんに冷えた生ビールが喉から胃へ染みわたる。ミディアムレアの熟成肉をナイフで切って嚙(か)み締めると口の中で肉汁と幸福感が溢(あふ)れた。ニューヨークに本店を持つステーキハウス。平野の
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第140回
 3 『大きな収穫だな、川村君』電話の向こうで都築が言った。「沼田さんへの聴取はすぐ証拠化します」志鶴は事務所へ戻ってパソコンの前に座っていた。「それと、23条照会をかけようと思うんですが」『23条──?』「沼田さんの話を聞いてひらめきました。Xのネオエースはカスタマイズされている。ネオエースにはカスタムの愛好者が多く
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第139回
「記憶に残ってたのは、あの二人、どういう関係なんだろうな、って気になったからだ。親子くらいの年の差に見えたが、どうもそんな感じじゃない。女の子は初対面みたいな固さだった。何か訳ありの親子なのか、それとも──そのあと晩飯の席でかあちゃんに、あれ、ひょっとして援交ってやつだったりしてな、なんて酒の肴(さかな)にしてたんだ。
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第138回
 増山、タクシー運転手、主婦。三人が見たのはいずれもトキオであり、彼のネオエースだったのだ──志鶴はそう確信していた。「捜査線上に、白いネオエースとそれを運転するチョンマゲの男が浮かんでいたなら──」田口が言う。「警察はさらに周辺道路の防犯カメラ映像などで追跡することができたはず。そうしなかったのは、その人物が犯人ではないと判断したからでは?」
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第137回
第八章──追跡 1 「やはり、真犯人が偽装工作を行い、増山(ますやま)さんに罪を着せたというストーリーで行くべきと考えます」都築賢造(つづきけんぞう)の事務所の会議室で、志鶴(しづる)は相弁護人である都築、田口司(たぐちつかさ)、そして協力を申し出てくれた元同僚である三浦俊也(みうらしゅんや)に向かって言った。
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第136回
 取調べ映像を裁判員に見せると、それは他の証拠よりも裁判員の判断に過大な影響を与え、その映像だけで被告人が犯人か否かを判断してしまう傾向がある。現実に即して単純化すれば、取調べで被疑者被告人が「自白」する場面さえ裁判員に見せることができれば、検察側が有罪心証を得るのはたやすいということだ。
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第135回
「はい。弁護人は今、問題となった証拠に違法収集証拠排除法則を適用しようとしていますが、まさしく弁護人が示したように、憲法及び刑訴法は特別に規定を設けて自白の証拠能力に厳しい規制――自白法則――を設定していることを考えると、自白の証拠能力はその範囲で否定するのが法の趣旨であると解するのが自然であって、それを超えて違法収集
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第134回
 公判前整理手続はたんに公判の期日等を決めたり調整したりするだけの場ではない。刑事裁判において最も重要な証拠の採用を巡り検察側と弁護側との攻防は始まっている。能城のようにこれまで検察と一体化したような有罪判決を数多く書いてきた人間が裁判長なら、弁護人は裁判官とも闘わなくてはならない。
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第133回
 都築は書記官に目を向けた。「記録してるか?」「え……」いきなり水を向けられた男性書記官は動揺した。「これまでのやり取り、すべてちゃんと記録してるか訊いている」
◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第132回
 八月六日。東京地裁の法廷に、裁判長を始めとする三人の裁判官と書記官、三人の公判担当検事、志鶴、都築賢造、田口司の三人の弁護団の他、被告人である増山淳彦本人も初めて出頭していた。