著者の窓 第40回 ◈ 大前粟生『かもめジムの恋愛』

著者の窓 第40回 ◈ 大前粟生『かもめジムの恋愛』
 映画化された『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』など、独特の感性と文体を備えた小説で知られるおおまえさん。待望の新作『かもめジムの恋愛』(小学館)は、下町の古びたスポーツジムを舞台に、幅広い世代の恋愛と人生を描いた連作集です。恋に悩み、真剣に右往左往する人々の姿はおかしく、眩しく、愛おしい。心にやさしい光を灯してくれる物語について、大前さんにインタビューしました。
取材・文=朝宮運河 撮影=松田麻樹

いろんな人が集まる場所の物語を書きたい

──『かもめジムの恋愛』は文芸マガジン『STORY BOX』に2022年から24年にかけて発表された4編に、書き下ろし1編を加えた連作小説集です。まずは執筆の経緯を教えていただけますか。

 最初に発表したのが表題作の「かもめジムの恋愛」で、これは『STORY BOX』の恋愛特集のために書いた作品でした。完結した短編のつもりだったんですが、後日編集部からこれを連作にしませんかとお話をいただいて、あらためて周辺のエピソードを膨らませていった、という流れです。

──物語の主な舞台になるのは下町にある古いスポーツジム。表題作などの主人公である高校3年生・かしわゆめは、高齢者が数多く利用するこのジムでアルバイトをしています。スポーツジムを舞台に人間ドラマを書こうと思ったのはなぜでしょう。

 コロナ禍以降、直接的なコミュニケーションの機会が減ったこともあり、自分と似たような属性の人とだけ付き合うという傾向が、世の中全体で強まったように思います。これはどうにかならないか、もっと他者と出会う機会のハードルを低くできないものだろうかと考えていて、いろんな人が集まる場所の物語を書いてみたいと思うようになりました。実はこの連作を書きだした当時、自分もかもめジムのようなジムに通っていたんです。土地柄なのか、平日の昼間に通っているせいなのか、そこも高齢者の利用が多かった。そのジムで見聞きしたことが、作品のヒントになっている部分があります。

──かもめジムに集う高齢者がよく話題にするのは、彼氏や彼女のこと。人はいくつになっても恋愛をするという事実を、夢は初めて知ることになります。

 私が通っていたジムでも、高齢の女性たちが恋愛トークをくり広げていました。その中にはあっけらかんとお墓の話、相続の話などが入り込んでくる。恋愛と死がシームレスにつながっている感じが、若い人の恋愛話にはない感覚ですごく新鮮でした。年齢や健康上の問題もあって、直接的で現実的な話題が多かったのも印象に残っています。夢と同じように自分もそれまで、高齢者の恋愛のことを知ろうとしていなかったんです。

大前粟生さん

──ある日、河原に座っていた夢は、74歳のジム利用者・西原孝康さんに話しかけられます。同じ高校の男子生徒に片思いしている夢と、ジムのある利用者のことが好きだという西原さん。それ以降二人は河原に並んで、よく恋バナをするようになります。

 10代と70代ですから、夢と西原さんのコミュニケーションには当然ずれがあります。一方で、人って何歳になってもそんなに変わらない気もするんです。自分は今31歳ですが、10代の頃とそんなに変化した気がしませんし、中高年の人たちも同じように感じている人が多いんじゃないでしょうか。年齢による考えや感じ方の変化と、でもみんな同じラインの上に立っているよね、っていうことの両方を書きたかったですね。

──西原さんが思いを寄せている相手は、44歳の男性・三田園草太さんでした。性的マイノリティである西原さんを書くうえで、どんなことをお考えになっていましたか。

 そこらへんにいる〝普通の人〟として書こうと思いました。フィクションに登場する性的マイノリティは、若くて見た目も良いことが多いですよね。でもそれは性的マイノリティの人たちを、マジョリティにとって居心地のいい存在として消費することにつながる気がするんです。高齢者で、見た目もさまざまなゲイだって当然いるはずなのに、これまであまり書かれてこなかった。そして、セクシャリティを含めたいろんなバックボーンがあって、西原さんという人格ができあがっているので、マイノリティの部分だけを強調する書き方はしたくないな、とも思いました。かといって違いに目をつぶるのも問題ですし、そこは悩みながら模索していった感じです。

──2年前に大病をした西原さんは、三田園さんへの恋心が「最後の恋」であることを自覚しています。人生の終わりが見えているからこそ、いっそう思いが強くなる。こうした切実さは、まだ高校生の夢にはないものでしょうね。

 高齢者を書くうえで、肉体の衰えを無視することはできません。若者だったら身体性の欠けた書き方もできますが、高齢者はどうしても体の不調が出てきますし、健康状態を書くことがその登場人物を表現することにもなる。これは今回書いていて、初めて気がついたことでした。

何かを信じている人の滑稽さ、愛おしさ

──第二話以降も視点人物を変えながら、かもめジムの日々が描かれていきます。「大人っていつからなるんだろう」はジムで長年働く30代のサオリさんと、ちょっと癖のあるおばあさん・橋本さんの物語。

 小説にも書きましたが、フィクションに登場する高齢者って、物わかりの良いマスコット的に描かれることが多いですよね。そのことに以前から違和感がありました。それはお年寄りを大切にしているようで、実は軽く見ているんじゃないかと。そんな思いから生まれたのが橋本さんです。

──心身を病んでしまったサオリさんにとって、橋本さんと過ごす時間が大切なものになっていく。二人の奇妙な関係に惹きつけられます。

 人は無理して分かりあう必要もないんじゃないでしょうか。今の社会は性格が良いことが美徳のように思われていますし、実際そうなのかもしれませんが、そこに深入りしすぎると「性格が悪いのは努力が足りないから」という自己責任論になりそうで嫌だな、という気もします。性格が悪い人だって当然存在していていい。「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」とよく言われますが、迷惑をかけたっていいと思います。問題は迷惑をかける人に対応するだけの心や時間の余裕が、社会から失われていること。せめて小説の中では、意地悪な人たちにのびのびしてもらいたいと思いました。

大前粟生さん

──第三話「寂しさで満たされて」はジムで黙々と上半身を鍛える三田園さんの人生が、家族や西原さんとの関係を交えながら描かれていきます。

 表題作を書いた時点では、三田園さんがどんな人か自分にもよく分かっていなかったんです。週に一度、ファミレスで豪遊するというエピソードなどを書きましたが、その背景もはっきり決めてはいなかった。今回あらためて彼について書いたことで、西原さんとの関係を多角的にとらえることができましたし、他の四話とのつながりも生まれて統一感が出せたと思っています。

──三田園さんがかもめジムに入会したのは、アパートでひとり亡くなった父親が会員だったから。彼にとって筋トレは、亡き父親との関係を確かめる時間のようにも思えます。

 そうですね。今お話ししていて気づきましたが、筋トレは時間をかけてコツコツ積み重ねていくもの。それを精神的な変化と重ね合わせてみたかったのかもしれません。ジムで黙々と筋トレしている人を見ていると、自分と静かに対話しているようにも感じられるんです。

──そして第四話「恋なんて、この世にあっていいものなのか?」は、夢の片思いの相手である道重徳弥の物語。彼は2歳上の吹奏楽部のOG・あすみさんに恋しています。彼が全力で思い悩む姿が、ユーモラスに描かれていきます。

 恋愛をしていると、人は何かを盲目的に信じているような状態になる。ある意味、陰謀論などを信じることにも近いような、普通とは違う状態になります。ただでさえ10代はメンタルがとっ散らかっているのに、そこに恋愛まで加わったら大変ですよね。何かを信じる滑稽さ、愛おしさみたいなものを、道重徳弥のエピソードでは表現してみました。

──夢は徳弥にずっと思いを寄せており、徳弥はあすみさんが大好き。この小説では両思いよりも片思いがよく描かれますね。

 多分私は、恋愛が成就するかどうかにあまり関心がないのかもしれない。むしろ興味があるのは、恋愛をしている最中の人の心の動きなんですよ。だから世間的に「これが素敵な恋愛の形だよね」と言われているものを見聞きしても、あまりピンときません(笑)。

恋愛が成就するかどうかはゴールじゃない

──そして最終話「また明日ね」では、かもめジムが大きな転機を迎えるとともに、夢と徳弥の関係にもひとつの決着がつけられます。この結末は意外でしたが、同時に納得できるものでもありました。

 かもめジムがなくなるという展開にすることで、これまで登場人物たちを結び付けていたものが何だったのか、より明確になると思ったんです。夢と徳弥については、おそらくロマンティックにくっつくことはないだろうなと。暴走している二人なので、その勢いのままに決着をつけたという感じですね。世間の常識とか、こうあるべきという恋愛観にとらわれない、この二人らしい結末だと思います。

大前粟生さん

──大前さんは『きみだからさびしい』など、過去にも恋愛を扱った作品を書かれています。恋愛というテーマは大前さんにとって重要なものですか。

 恋愛している姿を描くと、私自身、その登場人物のことがより分かる気がしています。他人への接し方、何を欲していて、何を怖れているのか。そうした部分が恋愛というフィルターを通すと、すごく見えやすくなる。恋愛を書くことに興味があるというより、恋愛を扱うことでコミュニケーションがより深く書ける、という側面が私にとっては魅力的なんだと思います。誰かとの関係で悩んで、その結果何かを見つけ出す、といった物語を書きやすいのが恋愛テーマなんですよ。

『かもめジムの恋愛』オビコメント

──なるほど、さかより希望のぞみさん(ぼる塾)が本の帯に寄せたコメント「みんな、しあわせになって欲しいと切に思いました。けれども、もうみんなしあわせなのかもしれないとも思いました」とも響きあう考えですね。

 この言葉をいただけただけで報われたました。恋愛小説って恋が成就するかどうかがゴールになることが多いですが、この小説はそこを書いたわけではありません。恋愛の成就は運に左右される部分も大きいですし、それよりは悩んだり行動したりすることで意味のある何かが残ったら、それでもういいと思うんです。

──さまざまな生き方、価値観が共存する優しい作品世界に、力をもらう読者も多いように思います。これから『かもめジムの恋愛』を手にする読者にメッセージをお願いします。

 私が小説を書く時に大切にしているのは、いろんな価値観の人たちにできるだけ話をさせるということです。『かもめジムの恋愛』に出てくる人たちには、共通するところもあれば、すれ違うところもあります。でもみんな、恋愛や生き方に思い悩んでいる。共通する部分と、それぞれの違いを慈しむように書きました。登場人物たちを、最後まで見守ってもらえると嬉しいです。


かもめジムの恋愛

『かもめジムの恋愛』
大前粟生=著
小学館

 

大前粟生(おおまえ・あお)
1992年兵庫県生まれ。2016年「彼女をバスタブにいれて燃やす」が「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」の公募プロジェクトにて最優秀作に選出され小説家デビュー。21年『おもろい以外いらんねん』が第38回織田作之助賞候補に。23年『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が金子由里奈監督により映画化される。他の著書に『回転草』『きみだからさびしい』『チワワ・シンドローム』『ピン芸人、高崎犬彦』などがある。

大前粟生さん

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