福田果歩『失うことは永遠にない』
まぼろしのような幸福感
実は、この小説を書いたのはいまから10年ほど前になります。
当時、私は小学生のころからの夢だった作家にどうしてもなりたくて、だけどなれなくて、もどかしい日々を過ごしていました。
唯一の楽しみは、月に1度、遠距離恋愛をしていた彼に夜行バスで会いに行くこと。けれど、結婚願望が強い彼と、夢を追いたい私とは次第にすれ違っていきました。
ある日の夕方。彼が暮らすアパートのそばにある川沿いを2人で散歩していると、私たちの前を仲の良さそうな家族が並んで歩いていました。お父さんとお母さんは子どもたちと手を繋ぎ、夕飯の話なんかをしながら、川の向こうに落ちていく夕陽に照らされて、世界で一番幸せそうに笑っていました。
不思議なことに、なぜかそのとき、私と彼もその幸せな家族の一員になれたような、そんな気がしたのです。
橙色に染まったアスファルトに滲む影や、空に浮かぶピンク色の雲なんかを眺めながら、そのとき私は、これからはもう何も心配することはなく、不安になることも、恐ろしいできごとに襲われることもないのだと、安心しきった満ち足りた気分を味わいました。
あれはいったい、なんだったのだろう。結局、彼とはそれからしばらく経って別れ、もう顔もハッキリとは思い出すこともできないのに、あのときのまぼろしのような一瞬、夢のような、魂が震えるような幸福感は、いまもそのまま私の記憶の中に残っています。
今作『失うことは永遠にない』は、その夢ともまぼろしともいえない幸福感を味わった主人公の奈保子が、それを現実にしようともがくお話です。
10年ぶりに再会した奈保子は幼く不器用で、けれど大人になるにつれて私が失ってきたいくつもの祈りのようなものを、必死に両手で抱きしめていました。
その奈保子を今度は大人になった私が抱きしめて、孤独を分け合いながら、長い時間をかけて改稿作業を進め、ついに完成させることができました。
「この小説を出版したい」と言ってくださった、編集の室越さん。いただいたメールを読み、ベッドの中でひとり泣いたあの夜のことを、私は一生忘れません。
私たちの人生には、なくしてしまったもの、選ばなかったもの、どうしても手に入らなかったものが、いくつもあります。それらは曖昧な記憶や時の流れの中で姿や形を変えながら、それでもきっと、失われることはない。
そんな祈りを込めて、このタイトルを付けました。
ぜひ手に取っていただけると嬉しいです。
福田果歩(ふくだ・かほ)
1990年生まれ。東京都出身。日本大学藝術学部映画学科脚本コース卒業。2025年1月公開の映画「366日」(主演/赤楚衛二、出演/上白石萌歌)の脚本を担当。同作のノベライズ小説も担当する。受賞歴に、22年の第48回城戸賞準入賞などがある。『失うことは永遠にない』が初のオリジナル小説となる。
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『失うことは永遠にない』
著/福田果歩