住田 祐『誰が首』◆熱血新刊インタビュー◆
困っている人

『白鷺立つ』は江戸後期の比叡山延暦寺で、7年間でのべ1000日に及ぶ山歩きを行い、途中で失敗すれば自死を求められる過酷極まりない修行「千日回峰行」に挑む僧侶たちの物語だった。
「出てくるのは全員、知らないお坊さんですしね(笑)」
待望の新作『誰が首』は、明智光秀を主軸とする物語だ。ガラッと趣向が変わったように思えるが。
「前作から趣向を変えようという意図は一切なく、結果として自分が持っていたネタの中で一番わかりやすい題材になった、という感じです。光秀・信長・秀吉の人物造形も、世の中でよくイメージされているものを踏襲しています。自分が思いついた状況の中に、彼らを投げ込んで動かしてみたいなと思ったんです」
その「状況」にこそ抜群のオリジナリティが宿っている。
京都六条河原の獄門台に晒されていた朝倉義景、浅井長政、浅井久政の首が盗まれた。光秀の上司である村井民部の失策だったが、その責は光秀に問われることも必至。信長家で頭角を現している秀吉との出世争いにも大きな影響が出てしまう。悩みに悩んだ光秀は3つの首を、殺された兵士の首にすげ替えることを決断する。信長に絶対知られてはいけない秘密を抱えることとなり──。
着想の出発点は、史実に残るエピソードだ。
「『信長公記』に、信長が朝倉義景と浅井長政・久政の髑髏を薄濃(漆を塗って金箔で装飾したもの)にして宴で披露した、という逸話があります。大河ドラマの『功名が辻』で、その薄濃のレプリカが実際に作られたんですよ。それを見たときに、〝真っ金きんの髑髏を3つ見せられたところで、どれが誰のものかって分かる人はいないよな?〟と。今はDNA鑑定とかやれば分かるんでしょうけど、当時は絶対に無理じゃないですか。もし髑髏を偽物にすり替えたことを隠し通さなきゃいけない状況があったとしたら、そういう苦肉の策が似合うのは、信長の家臣の中でも特に真面目なイメージのある光秀じゃないかなと思ったんです」
笑ってはいけない状況を書いている
秘密を抱えてしまったがために、それまで以上に信長の一挙手一投足にビクッとなる、光秀の内面を物語は追いかけていく。と同時に、光秀の年若い腹心・左馬助の視点も採用している。
「すべて光秀の独白にするよりは、困っている光秀を見ている人物の視点も立てたほうが、より光秀がかわいそうに見えるという判断でした。明智左馬助はまともな資料がほとんど残っていなくて、生まれた年もよく分かってないぐらい謎な人物。だから書き放題だったんです。と言いつつ、加藤廣さんの『明智左馬助の恋』という小説で描かれた人物像にだいぶ頼っています」
左馬助は光秀以上に真面目であり、明智家の行く末をよりシリアスに憂えている部分がある。例えば、後半に出てくるこんなモノローグ。〈しゃれこうべを見ただけで、誰のしゃれこうべか分かる者はない。/このどこからどう見ても堅牢な理屈に、左馬助はなぜか穴が空いているような気がしてならぬのである〉。左馬助の語りが、光秀が陥った状況の緊迫感を高めている。
「この小説の中で光秀はひたすら困っているんです。『白鷺立つ』にもそういった側面がありましたが、僕は多分困っている人を書くのが好きなんですよね(笑)。僕は現実ではもちろん追い詰められたくないし、人を追い詰めることも好きじゃありませんが、そういう状況を書いているとどういうわけか筆が乗るんです。これがエンターテインメントなんだ、と考えている節がある(笑)。今回の設定であれば、光秀が一番困る状況というか、読者や僕自身が求めている状況は、首が偽物だったと信長にバレることです。その場面を書きたくて書き進めていったんですが、そこでどうやって首の真偽に関する理屈をつけるのかは、結構悩みましたね」
本作は、首を盗んだ「犯人」を推理する(推理させる)タイプの物語ではない。信長にウソを吐く、という大罪をリアルタイムで犯している光秀こそがいわば「犯人」で、「犯人」が追い詰められていく様を楽しむ、倒叙スタイルの物語なのだ。その裏には、作家自身が敬愛するある作品からの影響があった。
「『古畑任三郎』が好きなんです。あれもおそらくすべてのエピソードで、犯人が最初から最後まで「困っている」話ですよね。その視点で言うと、僕が一番好きなのは、シーズン1で小堺一機さんが犯人役の回(「矛盾だらけの死体」)。小堺さんはある政治家の有能な秘書で、その政治家の後釜を狙っているんですが、その政治家が愛人とトラブルになり、結果秘書が気を利かせて(笑)自殺に偽装して愛人を殺すことになるんです。殺した直後の政治家と秘書のやり取りが秀逸で。〝先生、このあとどうしましょう。他に男がいたことにでもしますか〟〝そうしよう〟〝では、適当な人間を探します〟〝お前でいい〟。この〝お前でいい〟のあと、絶妙の間で、秘書が〝えっ〟という顔をするんですね。その〝えっ〟が大好きなんです。秘書にしてみれば、政治家がスキャンダルに見舞われないように殺人まで犯したのに、政治家になる道を閉ざされたときの表情は、何度見ても見飽きることはありません(笑)」
『誰が首』にも、信長と光秀のやり取りの中で「えっ」が出てくる。「実は『白鷺立つ』にも〝えっ〟が出てきます。どちらの場面を書いている時も、小堺さんの顔がよぎっていた気がします」と告白。
「言い方を変えると、笑ってはいけない状況を書いていると言えるかもしれません。緊張感があればあるほど、ちょっとヘンなことがあるだけでおもしろいって感じるじゃないですか。信長に〝面を上げよ〟と言われて顔を上げたら、信長のちょんまげにバラの花が一輪結ばれていて、信長が動く度にゆらゆらしてました、とか(笑)。〝笑ってはいけない〟という状況も、ある意味で追い詰められていると言えますよね」
改稿の過程で入り込んできた「天下惻隠」
緊迫感が、笑いを生む。その演出には、格調高い文体も寄与している。文章は単語レベルで厳しく精査され、この時代ならではのリアリティを実現している。
「文章に関しては妙な義務感がありますね。地の文はまだいいんですが、セリフの中に明らかに現代を思わせるであろう表現は極力入れないようにはしています。山本周五郎とか司馬遼太郎、松本清張などの歴史ものを読んでいて、気になる言葉や知らなかった表現と出合ったら、全部 Excel に打ち込んでデータベースにしています。それを類語辞典のように使っていて、例えば〝財産〟と検索したら〝身代〟と出てくるんです。ただ、あまり厳密に当時の言葉を反映させようとしすぎると、今度は読者に伝わらなくなるという落とし穴が待っている。そこの塩梅には気をつけています」
言葉に細心の注意を払っている作家が、本作であえて取り入れた造語がある。信長が好んで使ったとして知られる「天下静謐」「天下布武」をもじった、「天下惻隠」だ。惻隠とは、他者を思いやる心のこと。〈皆が他者を、左様、会うたこともない、顔も知らぬ他者をも察することが当然とされる世になることで、初めて天下静謐が叶うのじゃ〉。信長への違和感を左馬助に吐露する際の、光秀の言葉として登場する。
「この小説の最初のバージョンを書いたのは5年ぐらい前で、今年に入って本格的に直し始めたんですが、改稿の過程で入り込んできたうちの一つが、『天下惻隠』でした。権力というものが最近すごく気になっていて、力を使うべき場所や用法用量を間違ってしまうと、どこぞの大統領みたいなことになる。今は多様性の時代と言われていますが、それをこんなにもみんなで声を大にして言っているということは、多様性がまだ十分に大事にされてない現実の裏返しだと思うんです。自戒を込めてですが、今の時代に必要なものは、惻隠の情なんじゃないのか、と。今生きている自分の感じていることが、歴史小説といえど反映されることはあるんだなと、自分でも後から気がつきました」
史実で知られるように、光秀は「本能寺の変」を起こす。
「光秀はどうして『本能寺の変』を起こしたのかという説は山ほどあります。そこへ新説で切り込んだ、みたいな気持ちは全くありません。ただ、実はこんな理由で起こしていたらどうかな、と。あり得るかも、と万が一にも読者さんに思ってもらえたら、痛快かもしれないですね」
前作の出版後、作家は長らく勤めていた会社を辞めて専業となった。歴史小説でありながら今の世の中の写し鏡となっているような小説を、これからたくさんものしてくれることだろう。
「ありがたいことに連載の声をかけていただいて、今は長編を2つ、同時進行でやっています。その2つは困る人も出てきますけど、全編通して誰かが困ってるっていう感じではないですね。ただ、その後に予定しているネタの主人公は、困っています(笑)」
2本の連載はもちろん、「困っている人」シリーズの第3作も楽しみに待ちたい。
住田 祐(すみだ・さち)
1983年生まれ。兵庫県出身。2025年、『白鷺立つ』で第32回松本清張賞を受賞し、同作で作家デビュー。同作は第174回直木賞の候補作にもなった。

