「推してけ! 推してけ!」第67回 ◆『MayBe ficTIon』(市街地ギャオ・著)

「推してけ! 推してけ!」第67回 ◆『MayBe ficTIon』(市街地ギャオ・著)

評者=福海 隆 
(小説家)

心地よい束縛としての「MBTI」


 毎度毎度よくもまあ面白い題材を見つけられるものだな~、と市街地ギャオの新作を読むたんびに思う。痛快。そしてほんのすこしだけ嫉妬。その能力、ちょっとでいいから分けてほしい。昔からの友だちのよしみでさ……。まじで……!

 この度刊行された『MayBe ficTIon』でもそのセンスが光っている。本作にはとりわけ新しい文化を取り上げた作品も多いため、これまで市街地ギャオの作品を未読だった方も手に取りやすいのでは? などと勝手に想像している。

 本作には多種多様な語り手が登場する。日和見主義的に生きるも、ファンや自らを取り巻く状況に倦み、限界まで疲弊しているメン地下(「IN a FloP」)、いわゆる「大人」たちによって、炎上マーケティングをし続けるもジリ貧で、未来を見通せないアイドル(「ENd For Pray」)、ひょんなことから預かった姪が恋情を抱く YouTuber にハマるもコメント欄で見かけた「きついよおばさん」というコメントに傷つく独身女性(「ISsue For Juggle」)、クソ田舎のバカ校(原文ママ)で、ヤバ大人(これも原文ママ)になる訓練ばかりさせられていると嘯く、毎日へらへらと生きながらも諦めが常にまとわりついている女子高校生(「EScape To Peak」)、容姿に恵まれて生まれ、若い時分にはモデルとして活動するもアラフォーを迎え、自らのいわゆる「劣化」に打ちひしがれる独身男性(「INTo Poor」)、そして、元メン地下の男性と出会い、その後パートナーになるも、その男性が再びメン地下で活動し始めたことで徐々に心が蝕まれてゆくサラリーマン(「主人公」)。彼ら・彼女らの目線や心情を鮮明に描く市街地ギャオの想像力(妄想力)には毎度驚かされる。

 次に本作の中心に据えられたテーマ「MBTI」についての考察を述べる。本作に登場する語り手たちはまるでロゴスに呪縛されたかのように、他者や事象について強迫的なまでに分解し、語り続ける。そしてその語りたちはすべて説得力があり、強固だ。きっと、彼ら・彼女らは思いつきではなく、語る以前よりずっと考察していたのだろうと想像できる。その一方で、彼ら・彼女らは自身についての考察が極端に少ないことが印象的だ。もちろん語ってはいるのだが、そのほとんどは過去についてであるし、現状については属性、職業、経済状況、そして彼ら・彼女らが遭遇したトラブルたち、といった表面的な描写に留まる。想像するに、きっと彼ら・彼女らは自身にその考察の目を向けることを忌避しているのだろう。その理由は語り手によって様々だが、共通しているのは彼ら・彼女らは現況に耐え、平静を装うことに精一杯であることだ。もし一度でも客観視してしまえば瓦解してしまうのだろう。つまり他者についての執拗なまでの考察は、結局のところ自身から目を逸らすための無意識的な回避行動なのではないか。しかし、自身について語ることを回避すればするほど、当然脳内で自身の輪郭はみるみるぼやけていく。それはある意味では自由と呼べるだろう。しかしその自由は素敵なものなんかではない。無防備で孤独だ。

 彼ら・彼女らは自らを最も心地よく束縛する手段として「MBTI」を選択したと思えてならない。心地よいのは属性や職業などの外的要因から与えられたものでなく、唯一主体的に選び取った束縛だからだ。

 また、彼ら・彼女らが使用した「MBTI」は®️付きのものではなく、WEB 上で幅を利かせている類の、誰が作ったかもわからないような信頼性に乏しいものであろうことは明らかだ。そこにも彼ら・彼女らの、ある種のままならなさを感じてしまい、苦しくなる。そうでもしないと自らの寄る辺なさに耐えられなかったのではないか、というのはわたしの考え過ぎだろうか。そんな「MBTI」診断で判明したカテゴリーに自ら(そして他者)を当てはめ、その考え方や行動をたった16種類の「あるある」に収斂させてゆく。その行為は本来荒唐無稽で、愚かしい。けれど、わたしたちはそれを嘲笑うことはできない。だって、わたしたちだって似たようなものだ。そうでもしないと人間は不定形過ぎる。不安で仕方がない。彼ら・彼女らは安心感を得るための道具のひとつとして「MBTI」を用いただけの話だ。

 市街地ギャオは多種多様な語り手の目線を通じ、わたしたちのこの行動を描いたのではないか。その筆致は執念すら感じさせるほど精緻だ。しかし残酷さや冷徹さはない。彼ら・彼女らは決して逸脱してしまわない。そしてきっとこれからもそうなのだろう、と想像すらできる。当然だ。わたしたちはそうやって(なんとか)生きている。

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MayBe ficTIon

『MayBe ficTIon』
著/市街地ギャオ


福海 隆(ふくみ・たかし)
1991年生まれ。京都府在住。会社員、小説家。2024年、「日曜日(付随する19枚のパルプ)」で第129回文學界新人賞を受賞。最新作は「ある乳化およびその柔らかい構造」(「文學界」2026年6月号)。市街地ギャオさんとは元バンド仲間。

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