私の本 第2回 福岡伸一さん ▶︎▷01
大好評の連載「私の本」は、あらゆるジャンルでご活躍されている方々から、「この本のおかげで、いまの私がある」をテーマにお話をうかがいます。
今回のゲストは、生物学者の福岡伸一さんです。貴重なお話を3回に分けて連載します。まずは、ご著書『動的平衡』にいたるまでの福岡さんの人生の軌跡についてお伺いしました。「動的平衡」とは、一見難しそうですが、どんなことなのでしょうか。
人間の友達は、ほとんどいなかった
幼い頃の私は、昆虫少年でした。虫がとにかく大好きで、捕虫網を振り回して、野山や川で昆虫採集ばかりしていたんです。
自然のメッセージを体現している昆虫の色やフォルムに、完全に魅了されてしまって、友達といえばもう昆虫だけ。人間の友達は、ほとんどいませんでした。
両親がそんな私のことを心配したのか、ある日、顕微鏡を買ってくれたんです。顕微鏡でクラスの仲間と一緒に虫を見て、すごい世界があると話したり、自慢したりすれば、きっと友達ができると期待したんでしょうね。
あるとき、その顕微鏡で大好きだった蝶の羽を見ていたら、そこにモザイクタイルのようなものが敷き詰められていて、その1枚1枚が光を放ち、色を作り出しているとわかった。
両親の期待に反して、ますます昆虫の世界にのめり込み、逆にどんどん人間から遠ざかっていってしまいました(笑)。
そんなふうに昆虫の美しさに感動しながら、将来は生物学者になりたいと考えるようになります。大学では分子生物学を専攻して、それからの20年間は、分子のレベルで細胞を研究することに夢中でした。
捕虫網をミクロな分析装置に持ちかえて、虫ハンターから遺伝子ハンターへと立場を変えて、遺伝子の研究をするようになったのです。
機械論的生物学に、疑問を抱く
当時はまだ新種の遺伝子ばかりで、大発見こそなかったけれど、小発見はいくつもしました。
そんな時、アメリカがヒトゲノム計画を立ち上げます。莫大な資金と人材で全DNAを分析し、塩基配列をすべて解明してしまった。2003年のことでした。
私には、もはや採集する遺伝子もなくなってしまいました。新種の昆虫を見つけられなかったという幼い頃の挫折に続いて、ここで人生2度目の挫折を味わいます。
でも、遺伝子すべてが解明されても、結局は生命のことは何もわからなかったんですね。
分子生物学はこれまで、生物を細かく、パーツや部品にわけることによって、機械論的に生命の謎に迫ろうとしてきました。それは、生物の死んだ状態を調べるようなものです。
でも生命のあり方というのは、じつはもっと動的なものなのではないか。そう私は考えるようになりました。
その頃の私は生物が好きで研究者になったにもかかわらず、細胞をすり潰したり、生き物を殺してばかりで、そんな日々に疲れ始めてもいたんです。
それで、もう少し統合的に生命を捉えられないかと思い始めたのです。
思想の源流となった分子生物学の名著
その思想の源流となったのが、シュレーディンガーの著書『生命とは何か』です。シュレーディンガーは1933年にノーベル物理学賞を獲った天才で、アインシュタインと並び20世紀初頭の理論物理学を築いたといわれる人物です。
この本は、彼がアイルランドで隠遁生活を送っていた頃の講義録で、1944年に出版されました。
その内容は、大きくふたつの要素にわかれていて、前半はのちのDNAに繋がるものについて書かれています。
シュレーディンガーの時代はDNAの存在をまだ誰も知らなかったけれど、何か情報を担っているものがあり、それは非周期性結晶ではないかというとても重要な指摘を彼はしている。それがのちに、二重螺旋構造をしたDNAを解明する糸口となったのです。いわば、予言の書ですね。
この本は、その前半部分があまりにも有名ですが、私が惹きつけられたのはむしろ後半の「生命とは秩序を保つものである」という部分でした。
「動的平衡」とはなにか
宇宙には、エントロピー増大の原則というのがあります。
秩序あるものは秩序のない方向へと崩れようとする、つまり宇宙に存在する物質はことごとく崩壊への道を辿っていくという原則ですね。
たとえば、どんなに壮麗なピラミッドや頑丈なビルも、何百年、何千年も経つと風化していきます。熱々の湯気がたったコーヒーもぬるくなるし、熱烈な恋愛だって冷める。そうやってすべては、無秩序へと向かっていくわけです。
生命体も、本来であればエントロピー増大の法則によって途絶えてしまうはずなのに、38億年もの進化の過程で一度も途切れることなく連綿と続いてきた。物理学から見ると、非常に不思議な存在です。
じゃあなぜ、私たち生命体だけは崩壊をまぬがれて、秩序を保ち続けられるのか。その問いに答えることこそが、生命の謎を解き明かすことだと、シュレーディンガーはこの本の後半部分で書いています。
細胞を部品のように考えて、それが時計じかけに組み合わされているという機械論的、情報論的な形ではなく、エントロピーにどうやって対抗しているかを定義にして生命を捉え直さないと、生命が何かは決して解けないということですね。
それに対する回答の糸口のようなことを、私は著書『生物と無生物のあいだ』や『動的平衡』に書きました。
硬く堅牢につくると、エントロピー増大の法則に負けてしまいます。だから生命はあえて最初からゆるゆる、やわやわな感じに細胞をつくっておいて、エントロピー増大の法則が襲ってくるより前に、先回りして自分自身を壊して、新たに細胞をつくり直しているのです。
先回りして自らを積極的に壊すことによって、自転車操業的に転げる坂をなんとか食い止めているんですね。それでも最後は坂を登り続ける力がつきて、エントロピー増大の法則に負けてしまいます。
それを人間に置き換えると、こういうことです。私たちの身体には、酸化や変性といったエントロピー増大の法則がいつも容赦なく襲いかかってきます。その酸化や変性を絶えまなく排除しながら新しい秩序、細胞をつくり出しているのです。でもそれが追いつかなくなると老化が訪れ、そして寿命が尽きます。でも自分が死ぬ前に子供をつくり、そうやって命を繋げていくわけです。
そういった生命のあり方を、私は「動的平衡」と呼びました。
「動的平衡」を鍵に生命に迫る
この「動的平衡」という考え方にもうひとり、大きな示唆を与えてくれたのがシェーンハイマーです。
彼はシュレーディンガーと同時期に生きた生物学者ですが、ナチス・ドイツから逃れるためにアメリカに亡命して、43歳で謎の自殺を遂げ、科学史的には半ば忘れ去られた存在になっていました。
シェーンハイマーは、私たち生物が食べものを摂取することの意味を問い直しました。それまで、生物にとっての食べ物は自動車のガソリンと同じ、つまりはエネルギー源だと考えられてきたのです。
確かに、食物のなかでも炭水化物はエネルギー源として燃やされますが、タンパク質は違います。
人間がタンパク質を食物として摂取する必要があるのは自分自身の身体を、日々つくり直すためなんです。シェーンハイマーはこの事実を、実験で初めて提示した人物でした。
たとえば、人間の消化管の細胞は2、3日でつくり替えられます。1年も経てば、自分自身を形づくっていた物質はそのほとんどが入れ替わってしまって、物質的には別人となっているわけです。
これまで静的、機械的なものと考えられてきた生命観にシェーンハイマーはダイナミックさを提示し、新しいパラダイムシフトをもたらしたといえます。
彼は英語で「ダイナミックステート」、翻訳すると「動的状態」という言葉でその仕組みを説明しています。それを私が「動的平衡」という四文字熟語へと翻案し、より明快にコンセプト化して著書で提示したのです。
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