私の本 第3回 白井 聡さん ▶︎▷02

 連載「私の本」は、あらゆるジャンルでご活躍されている方々に、「この本のおかげで、いまの私がある」をテーマにお話を伺います。

 日本はこれからどうしたらよいのでしょうか。政治学者の白井聡さんによれば、日本人はもはや生き物としての本能が壊れている!?…目からウロコが落ちるようなお話は、さらに白熱します。

私の本 白井 聡さん

日本は変わることができるのか

 日本は、どうしたら「戦後の国体」(=特殊な対米従属体制)から脱することができるのでしょうか。

 おそらく、敗戦と同じくらい痛い目にあわないと無理なのではないかと、残念ながら私は思っています。

 本来は、日本という国の内側から乗り越えられることが理想です。

 でも、それができない場合は、外的な力によって変わらざるを得ないでしょう。それが戦争なのか、経済崩壊なのかはまだわかりませんけれど。

 ただ、日本経済の危機的兆候は、すでに多々表れてきています。国債が暴落し、円の価値も下がれば、日本の経済破綻はまぬがれません。

 あるいは、安全保障の枠組みが壊れて、「父なるアメリカ」が崩壊するというシナリオも考えられます。

 トランプ政権が誕生したことにより、「父親であるアメリカは、日本という子供を愛してくれている」という根拠なきファンタジーは崩れつつあります。

 アメリカはこれまで、「愛してほしい」という日本に、それなりにつき合ってくれていました。

 アメリカにとっては、日本がそういう妄想を持っていたほうが得だったからです。しかしトランプ政権になり、もうそんなことは面倒だ、と言いはじめているのが現状なのです。

 そもそも、戦前の国体と戦後の国体には大きな違いがありました。

 戦前の国体では、天皇からの愛に応えて、場合によっては「天皇陛下のために」命を投げ出すことが国民には義務づけられていました。しかし戦後では、少なくともこれまで、日本人に「アメリカのために死ぬ」義務はなかった。

 考えてみれば虫のよい話です。トランプ政権は、今後も「父なるアメリカ」を演じて欲しいなら、それくらいの覚悟は当然だ、と突きつけてくるでしょう。

白井聡さん 国体論

現実を知るには歴史を学ぶ

 実は、安倍政権によって、日本はすでに破綻しはじめているともいえます。

 モリカケ問題とそれに関する対応を見てもわかるように、安倍政権は、議会制民主主義を極度にないがしろにしています。

 このように主権者である国民の代表を軽んじる一方、安倍首相はみっともないほどトランプ大統領に取り入っています。

 そうでありながら、国民が総体として安倍政権を支持しているという光景は、まことに異様です。

 でも、それが国体によって規定された社会の帰結なのです。なぜなら国体というのは人間の思考を停止させて、自由を自ら放棄させるものだからです。

 その状態から脱するには、やはり歴史を学ばなければなりません。

 歴史を学べば、いまの日本に蔓延している閉塞感は決して偶然ではなく、歴史の積み重ねによって、なるべくしてなったことに気づくでしょう。

 それがわかれば、いまのこの現状を、断固として否定しなければならないという気持ちになるはずです。

永続敗戦が続く理由とは

 思想史家である私が近年、現実政治を論じるようになったのは、東日本大震災が契機でした。あの3・11が起きたことにより、私は前著『永続敗戦論』を書いたのです。

「永続敗戦」とは、国内とアジアに対しては戦争に敗北したことを否定して、自らを寛大に支えてくれるアメリカに対しては盲従を続けるという日本の戦後レジームの姿です。

 敗戦を認めないことによって、日本は永続的に敗戦状態が続いていることを、この著書で私は明らかにしました。

 あの原発事故をめぐる経産省や電力会社の行動を見て私が感じたのは、「ああ、戦争のときとまったく同じだ。日本の上層部というのは、戦中も戦後もまったく変わってない」ということでした。

 今や政官財のどこを見ても腐りきっていて、もう絶望的にひどいのだということを、3・11が暴露したのです。

白井聡さん 国体論

生き物としての本能が壊れた日本人

 これまでも日本は戦争責任をあいまいにし、さまざまなことをごまかしてきたと言われてきましたが、あの3・11でわかったのは、もう私たちは傍観者ではすまされないということです。

 原発事故の被害を東京が受けなかったのはまったく運が良かっただけで、もしかしたら自分も殺されかねなかった。

 敗戦の処理をきちんとしてこなかったことが、私たちの生命や生活をも脅かすのだという事実を、見せつけられたのです。

 もしあの3・11で目が覚めなかったのであれば、それはもはや生き物としての本能が壊れているとしかいいようがない。

 蟻ですら、誰かがつぶしてやろうと近寄れば、気配を感じて逃げるでしょう。

 それすらできないということは、倫理とか道徳とかいう以前に、もう生き物として終わっているとしか思えません。

 では、なぜここまでひどくなってしまったかといえば、それが国体の効果なのです。

オウム真理教から安倍政権へ

 先だって、オウム真理教事件の死刑囚13人の刑が執行されました。

 オウムはああいった形で自滅しましたが、私たちの社会はあのようなカルト現象を葬ったと言えるのか。

 オウムの特徴は、「サブカルチャーの連合赤軍」などと呼ばれましたが、自分たちのあいだでだけ通用する物語をつくって、そこに立てこもったことでした。

 これに似ているのが、安倍政権が長期化するなかでいよいよ力を増してきた歴史修正主義です。

 つまり、オウム的なものは葬られたように見えて、社会全体に拡散した。信者たちは、麻原彰晃に服従する対象を見つけ出したわけですが、安倍政権の支持者たちもやはり服従する対象が欲しいのではないでしょうか。

 そうしたなかで、いよいよ政権の強権性が増してきています。モリカケ問題では誰も立件されない一方、文科省の役人が次々とケチな不祥事で挙げられていますが、色々と背景を想像したくなります。

 なぜ文科省ばかりが徹底的にやられるのでしょうか。かつての事務方トップである前川喜平氏に対する意趣返しを想定したくなります。ああいうヤツを出す役所は容赦しない、こうなるんだぞ、わかったか、と。

 オウムと言えば、国家ごっこをやっていたことも特徴ですが、側近を治安関係者で固めて陰謀をおこなうというのが安倍首相にとっての政治であり、これもオウムの国家ごっこを思わせます。

 

 

前の記事はこちらからお読みいただけます
白井聡さん▶︎▷01

つづきはこちらからお読みいただけます
白井聡さん▶︎▷03

白井 聡(しらい・さとし)

政治学者。1977年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。博士(社会学)。専門は社会思想、政治学。京都精華大学人文学部専任講師。おもな著作に『永続敗戦論―戦後日本の核心』(太田出版・石橋湛山賞、角川財団学芸賞受賞)など。

国体論

『国体論 菊と星条旗』
白井 聡
集英社新書

◎編集者コラム◎『抱擁/この世でいちばん冴えたやりかた』辻原 登
〝桃源郷〟への思いを描く『魔法にかかった男』