スウェーデン発 傑作歴史小説『運命と希望』発売記念 漫画家 幸村誠(『ヴィンランド・サガ』)特別寄稿

貧しく汚く腐敗した18世紀のストックホルムとそこに生きる人々を容赦無く描き、日本のミステリーファンに鮮烈な印象を残した北欧発大型歴史ミステリー三部作『1793』『1794』『1795』。その著者、ニクラス・ナット・オ・ダーグの最新作『運命と希望』(ヘレンハルメ美穂 訳)がついに日本で出版されました。
スウェーデン最古の貴族の末裔であるナット・オ・ダーグ氏が次に選んだ題材は、自身の祖先が北欧史に残した、1436年の衝撃的な「事件」。彼の先祖であり、本作の主人公である有力貴族の子息が、部下として仕え崇めていた歴史上の著名な反乱指導者を殺害したという史実をモチーフに、壮大なスケールで歴史のうねりを描いた大河ロマン、歴史ミステリーです。
本作に推薦コメントを寄せてくださったのは、やはり北欧を舞台にした歴史物語であり、昨年20年にわたる連載を終えたばかりの大ヒットコミック『ヴィンランド・サガ』の作者・幸村誠さん。本作を読み終えてすぐに、率直な感想を綴ってくださいました。
ニクラス・ナット・オ・ダーグ著『運命と希望』、中世スウェーデンの史実を基にした大河ロマンであり、英雄譚であり、戦場が舞台のラブストーリーでもあり。素晴らしい物語です。同じ物語作家としてニクラス氏がうらやましい。誰にも真似できない、自分にしか書けないテーマやモチーフというものを、作家はみんな渇望しています。まさにこの『運命と希望』のような。この物語は「青と金の紋章の一族」ナット・オ・ダーグ家の末裔であられる著者ニクラス・ナット・オ・ダーグ氏にしか書けない。ほかの誰にも、この一族の内面や人格や業深い歴史をここまで生々しく描写することはきっとできないでしょう。自分以外には扱えない主題と、それを実際に物語として形にできる筆力。その両輪を備えた作家のみが作ることのできる物語。うらやましい。
私にとって良い物語とは、それを読んでいる間だけ私が私ではないものになれる、この肉体から抜け出して他人になれる、そういう物語です。優れた物語じゃないとそういう憑依状態にはなれません。『運命と希望』を読んでいる間、私の魂は21世紀の日本の漫画家の体を離れて中世スウェーデンへ飛び、束の間確かに、一人の美しい青年や罪深い貴族たち、また民衆のカリスマの体に憑依しました。狩りに学び、温かい麦酒を飲み、死神のような寒気に慄きました。貴重な体験でした。重税にあえぐ民衆の苦しみを一顧だにせず、領地や地位の奪い合いに夢中、そんな貴族たちの気持ちさえも生々しく体験することができました。自分とかけ離れた性質の人間ほど知りたい。憑依してみたい。
正直に申し上げますと、冒頭から150ページあたり、夏至祭までは、なかなか読み進める速度が上がりませんでした。ベンクト(註:有力貴族、ヨクスホルム城の城主)やスティーナ(註:ベンクトの妻)に憑依するのは最初ちょっと難しかった。モンス(註:ベンクトとスティーナの息子)が闘技会に出場するあたりから、だんだん気持ちを入れて読めるようになってきました。モンスとエンゲルブレクト(註・反乱指導者)が出会ってからはグイグイ引き込まれていきました。やはり主人公と呼べるような人物が動き出すと没入感が違ってきます。陰謀家ばかりの登場人物群にあって、宝石のように純粋で貴重な二人。そして宝石たちにふさわしい儚い結末。
とても読み応えのある物語でした。長い旅を終えたような読後感です。ついさっき旅を終えて21世紀の肉体に戻ってきたのですが、この時代はこの時代で、エーリク王(註:中世北欧の王)よりも強大な権力を持った王たちが跋扈しています。民衆が重税にあえいでいるのも変わりません。でもなにか……『運命と希望』の旅から何か、この時代をより良いものにするヒントを持って帰ってこられたような気もします。……だといいな。せめてこの時代のへブラ(註:ヴェステロース城代官の養女)やブリータ(註:モンスの姉)が愛されて楽しく暮らせることを願って止みません。
幸村誠(漫画家)
幸村誠(ゆきむら・まこと)
1976年、神奈川県横浜市生まれ。1999年、雑誌『モーニング』(講談社)にてスペースデブリの掃除屋を描いた作品『プラネテス』でデビュー。同作で2002年、星雲賞コミック部門を受賞する。2005年、『週刊少年マガジン』(講談社)で『ヴィンランド・サガ』の連載を開始。その後、『月刊アフタヌーン』へ連載の場を移し、2025年に完結する。






