あの作家の好きな漫画 第3回 一木けいさん
タイ在住の作家・一木けいさんは、実は幼い頃から漫画が好き。お気に入りの漫画家の一人である鳥飼茜さんとは、対談しその熱い思いを伝えるほど。そんな一木さんの、おすすめの漫画は?
物語の舞台が異世界だろうと実在する場所だろうと、私は創作で現実を思い知らされたいのだと思う。
この10年で衝撃的に面白かった漫画は『先生の白い嘘』(鳥飼茜)と『ぷらせぼくらぶ』(奥田亜紀子)。
鳥飼茜さんはちょっともさくて200%セクシーな男を描く天才。この本はどのページをひらいても鮮血が噴き出してくるような痛々しさに満ちている。好きすぎて一体化してしまって時々悪夢を見る。
奥田亜紀子作品の出来すぎじゃ無さはすごい。誰とも似ていない、確かに存在する人たちがていねいに描かれる。『ぷらせぼくらぶ』にも、うまくいかない、恥ずかしい人がたくさん登場する。読者だけが予測できるラストの絶妙な塩梅は、何度読み返しても悶える。
さらに遡って、20年以上大切にしている漫画を3つ。
『漂流教室』(楳図かずお)
『漂流教室』
楳図かずお
恐怖の根源といえばこれ。
給食の関谷、発狂する大人、怪虫、富士大レジャーランド天国のマリリン・モンローなど徹頭徹尾怖ろしいが、興味深いのは恐怖の対象が自分の成長とともに変わってきていること。
10代、20代は地割れのシーンが耐え難いほど怖かった。荒れ果てた地に突如現れた地割れを小学生たちが次々跳び越えていく。踏み切る場所が先でも手前でも谷底に墜落してしまう。私があの場にいたら、「幅が広くなる前に一年生から飛ばせてあげて」と言えるだろうか。
30代に入ってからは、物語の序盤「学校の外のものがとつぜん消えた!」と皆がパニックに陥る場面が怖くなった。実際に消えたのは外のものではなく学校と自分たちなのだが、「見えなくなったのはその対象が自分の目の前から消えたせい」と瞬時に判断し、思い込みで暴走してしまうこと、人がほんとうに怖い。
(高校時代、一度だけ楳図かずおさんをお見かけしたことがある。吉祥寺駅から井の頭公園へ続く道で、友人も交え4人で撮ってもらった写真は、いまも本棚に飾ってある。気さくで陽気で親切な方だった)
『自虐の詩』(業田良家)
『自虐の詩(上・下)』
業田良家
普遍という言葉はこういう作品にたいして使うものだと思う。
どうしようもないイサオを愛した、薄幸な幸江の物語。
人からどう見られようと幸せな幸江。熊本さんとの、厳しくて容赦ない女の友情。うすっぺらの対極にある漫画だ。
ここから見える景色を知っている、というコマがいくつもあり、条件反射で涙がこみあげる。
今日の私は、イサオはギリセーフ、お父ちゃんはギリアウトだと思う。なぜそのように感じるのか、考え出すとまた新たな扉がひらきそうで怖い。
『南瓜とマヨネーズ』(魚喃キリコ)
『南瓜とマヨネーズ』
魚喃キリコ
この漫画には半端ない元手が掛かっていると思う。
ワンルームで彼氏(ミュージシャン)と同棲する主人公の前に、昔好きだった男が現れる。再会の場面で一瞬にして再現される上下関係。
物語が、再会から始まらないところがいい。
私は小説を書くとき、登場人物の人生のどこからどこまでを切り取るのがベストか毎度悩むが、『南瓜とマヨネーズ』では、まず彼氏との日常が描かれる。淡々と、でもいまにも何かが起きそうな気配が満ちている。余白含みで慎重に描かれる1コマ1コマに頭がぐらぐらする。
借り物の言葉はひとつもない。作者が試行錯誤の末、凝縮してスポイトで垂らすように私たちに見せてくれるセリフ、表情。
何度見ても呼吸が上がってしまうのが、焼きそばのコマだ。
自分が浮気しているあいだに彼氏がつくって食べたらしき焼きそばのパッケージがすててある。たった1コマで、ふたりの今やそれまでが際限なく想像できる。主人公より私の方が傷ついているんじゃないかというくらい胸が痛む。作者の感受性と見る目の非凡さにひれ伏したくなる。
引っ越しするとき、貴重品のほかにも人に任せず手持ちで運ぶ荷物がある。大切な本やCDだ。次の引っ越しはおそらく国を跨ぐことになるが、そのときもこの漫画は手持ちで運ぶ。
一木けい(いちき・けい)
1979年福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年「西国疾走少女」で第15回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『1ミリの後悔もない、はずがない』は業界内外から絶賛され、華々しいデビューを飾る。他の著書に『愛を知らない』『全部ゆるせたらいいのに』がある。現在、バンコク在住。