翻訳者は語る 高取芳彦さん
昨年、十三年ぶりに復活して話題となったTVドラマ『Xファイル』。主人公モルダー捜査官を演じるデイヴィッド・ドゥカヴニーは実は、小説家でもある。小学館文庫より九月刊行予定の新作『くそったれバッキー・デント』は七〇年代のNYが舞台。因縁のヤンキース対レッドソックスの試合を軸に父と息子の絆の再生を描いたヒューマンストーリーで、物語はシンプルながら文体はぶっとびまくりの「ドゥカヴニー節」。これまでビジネス書を手がけ本作が小説初翻訳という高取芳彦さんは、この難物にどう挑んだのか。
〈はじめに原書を読んで〉
最初は「なんでこんな書き方するんだろう?」って(笑)。ときどき、やけに長いセンテンスがあったり、読者に断りなく視点がぐるぐる変わったりする書き方なんです。途中でこれは意図的だと気づいてからは、覚悟を決めました。最初は長さをなるべく生かして訳したいと思いましたが、そのままでは意味が伝わらないし、結局文章を途中で切ることにしました。視点の変化についても、このままでは日本の読者に伝わらないので、主人公テッドの視点を中心にしました。著者の文体を意識しつつ、ところどころ思い切った訳し方も必要で、そういう意味では心の痛みと闘いながらの作業でした。
形容詞や副詞が続く文体は、昔読んだN・ホーンビィの作品に通じる気がしたので、改めて読み直したりもしました。
〈父と息子の関係〉
本作は三十代のテッドが疎遠になっていた末期がんの父との関係を再生していく話ですが、僕も主人公と同年代で、三年前に父親を亡くしていますので重なる部分はありました。会話が少なすぎて簡単なことが伝わっていなかったり、逆に、話していないことでもちゃんとわかっていたり。
テッドはスタジアムでピーナッツ売りをしながら作家を目指しますが、僕も大学を出て翻訳者になると言いながら、二十代はほとんどフリーターのような状況で過ごしてしまった。そういう中で自信をなくしてしまうという経験は僕もしましたし、そんな時期にマーティーみたいな人が父親だったら、気後れして会話がなくなるのも無理ないよな……と、テッドの状況はとてもよくわかりました。最初はテッドの一人称を「俺」にしていましたが、違う気がして途中から「僕」に変えたんです。そこから、彼の言葉使いも自然と柔らかくなっていきました。
報道翻訳との二足のわらじ
大学卒業後しばらく塾講師のアルバイトをしていたのですが、書店で教材を探しているときに隣の棚で見つけた翻訳学習向けの本を読んだんです。興味がわいて、塾講師を続けながら通信講座などで翻訳の勉強をしました。大学で環境学を学んだこともあり、それを生かしたいと思って、その後、報道翻訳の会社に就職。外国の国営メディアから配信されるニュースを翻訳、日本で配信するという仕事をしました。現在も、自宅勤務という形で午前三時から七時までニュース翻訳の仕事をしています。書籍の翻訳は、その後から寝るまでと決めていますが、そのペースがなかなか掴めず、今も苦労しています(笑)。
〈いつも心がけていること〉
『バッキー・デント』を訳すまで、ずっとどこかに怖がっている気持ちがありました。原書と翻訳文をつきあわせて間違いを見つける読者がどこかにいるに違いない、指摘されたときにきちんと説明できる翻訳をしなければ、と。でも、それがプラスに働かないことに気づいてからは、もう止めようと決心しました。特に本書の場合、それを気にしていたらどうにもできないような作品でしたから(笑)。
本書を翻訳していた時期に、翻訳者とは言わずに田丸雅智さんのショートショート講座を受講したのですが、交流会の席で、「訳されるのってどういう気分ですか?」と聞いてみたら、いろいろ話した後に「伝わらなきゃしょうがないですからね」と言ってくださって。訳す側の立場としてもとても励みになりました。
〈翻訳の醍醐味〉
自分が原書を読んだときに感じたことを、自分が訳したものを読んだ読者が同じように感じてくれること、ですかね。自分の解釈が合っているか何度も確かめながら勇気を持ってやってみたときに、読者が同じ感想を持ってくれると、訳して良かったなと改めて思います。
(構成/皆川裕子)