インタビュー 尾崎浩司さん 本と私
茶の湯も酒も根底は同じ
1972年、 東京・神宮前にわずか9席の店「バー・ラジオ」が産声を上げた。 そしてそこはクリエイターやデザイナー、 作家などのアーティストたちが夜ごと集う文化サロンとして 名を馳せるようになっていく……。 その店主が、尾崎浩司さんである。 文化意識の高い客たちが若き尾崎さんを育て、 やがて名バーテンダーとして知られる存在になっていく。 その美意識は、人生の重要なことが すべて内包されていると本人が語る「茶の湯の精神」に貫かれたもの。 同時に、様々な本もその美的価値を形成する手助けとなった。 現在は京都の山裾に庵を編み、美しい書庫も持つ。 その人生と書物について、語ってくれた。
図書館通いが日課
花柳界に育った少年
──数々の文化的伝説に彩られてきた「バー・ラジオ」。その重厚な扉を開けると、尾崎浩司さんの美意識に貫かれた空間が広がる。
私は16歳のころからお茶とお花を習ってきました。バーは、茶室と似ています。器や道具を選び、花を生け、美味しいものを用意して客を迎える。そして心地良い緊張感を漂わせながら、静かに会話を楽しむところなのです。
演劇評論家・渡辺保さんの著書『身体は幻』は舞踊と身体性について綴ったものですが、舞台空間にどう存在するかという意味では、バーテンダーとも共通項があります。カクテルはお客様の前で作るものだから、美しく無駄のない所作が大事になる。渡辺さんは茶室のある家をお持ちで、私のバーにもよく来て下さいました。現在の劇評家の多くは周囲に気を使い、批評という形にはなっていない。でも渡辺さんは深い教養と鋭い鑑識眼で、能から現代劇までを評しています。
──徳島県徳島市出身。生家は、花街にある料亭だった。
花柳界で太鼓や笛の音を聴きながら育ちました。中学や高校の頃は図書館に通い詰めていたんです。とりわけ小説が好きでしたね。ロマン・ロランやヘルマン・ヘッセ、アンドレ・ジイド、それに明治から昭和にかけての日本の小説家などです。でも勉強は嫌いで、成績も悪かった。自分のために何かしなければと考えて、高校生の時にお茶とお花を習い始めたのです。お茶の先生は元芸者のおばあちゃんで、煙管を吸いながら教える粋な人だった。形式ばかりを大事にする茶道とは対極のものでした。
──地元で一度は就職したものの数年で上京。新宿のジャズバー「DUG」で働き始める。その文化人の集う環境に多くの刺激を受けて72年、「バー・ラジオ」を開店する。
高名なインテリアデザイナーの杉本貴志さんが当時はまだ東京藝術大学の学生で、「DUG」のお客様でもありました。彼がデザインした空間で私がバーを始めたのです。杉本さんにとってはそこが自分のショールームであり、様々な方を連れてきてくれた。お客様は三宅一生さん、小池一子さん、田中一光さんや亀倉雄策さん、それに作家の向田邦子さんといった文化人ばかりでした。当時は厳しいことを言ってくださるお客様がたくさんいました。
完成したのは斬新な
尾崎流カクテル写真集
──カクテル作りは独学だった。82年には著書『バー・ラジオのカクテルブック』を発刊し、一躍全国に知られる存在となる。
料理も幼い頃から家で見よう見まねでやっていたので、外で飲んだり食べたりすれば、どうやって作るかは大体わかりました。ロンドンのサヴォイホテルの『サヴォイ・カクテルブック』が教科書代わりでしたが、そのレシピで作るとパッとしなかったので自分流に修正しました。私のカクテル本を出す時、デザインは当時のお客様の和田誠さんにお願いしたんです。無地の黒バックで、1ページにカクテル1点という斬新な写真が、大変に評判を呼びました。
──2号店、3号店をオープンし、店の経営に追われた。ようやく再び本と向き合う時間ができたのは、独立してから約15年後のことだった。
森茉莉さんは好きな作家で、『記憶の繪』や『ドッキリチャンネル』などを神田の古本屋で買って読みました。渡欧の経験から普通の作家にはない独特の美意識があり、かつ父・森鴎外にきちんと教育を受けている。さらには、文章も抜群に巧い。佐野洋子さんも文章の上手な方ですが、そのおふたりのコラボレーション『魔利のひとりごと』も愛読書です。独特の美意識を持つ作家という意味では、泉鏡花も好きです。
軽やかに人生を編集
京都の庵で至福の時
──美術工芸や能に造詣の深い白洲正子の著作からも、多大な影響を受けた。
私は能もかじったので、白洲正子さんの『風花抄』『夢幻抄』など「抄」シリーズはほぼ読んでいます。白洲さんは職人について多々綴っていますが、そういった名人の究極の仕事には共感を覚えます。例えば私もマティーニを作る時、自ら削り出した銀製のピンを使います。オリーブに刺したそのピンをグラスに入れる際には、店のライトが四面体のカット部分に当たってキラッと光る角度でお客様へと供したいのです。それは私のもてなしの一部分であり、お客様はそのきらめきを見て「美しい」と感じるわけです。
白洲さんが褒める人の著作も、やがて自然に読むようになりました。河合隼雄さんもそのひとりで、『おはなし おはなし』は短く完結したエッセイのなかに、深い人間心理を書いておられます。上質のお酒は人を酔わせ、愉しませるものです。だから文章も難解さに走らず、読者を引き込む余裕のあるものが好きですね。
──現在は京都・上賀茂の山裾に居を構える。建築を依頼した齋藤裕氏もまた客のひとり。住まいには茶室や書庫も設えられている。
齋藤さんもお茶をされるので、私と価値観が似ていると思い、お願いしました。彼の『日本建築の形(・・・)』という著書は高価ですが、素人の私でも日本建築について体系的に学べる大変に優れた2冊です。今、読んでいる『根源芸術家 良寛』という良寛の評伝も内容に厚みがある。5000円ほどするけれど、倍の値段でも高くないと感じます。
私は良寛や西行のようになりたいと願って、古都に庵を結びました。白洲正子の『西行』や辻邦生の『西行花伝』も読みましたが、まだ世俗が捨てきれずに、東京で月に10日ほどは店に立っています。
現在の家は天井近くの高い場所に書庫があり、玄関から入るとそれとは別の本棚が見える設計です。そのイギリスのマホガニー製のアンティーク本棚には、古い洋書など美しい本だけを置く。ジャンル別ではなく、色やデザインなど本の装丁を重視して、見た目のバランスがいいように並べます。箱の背やカヴァーが美しければ残しますが、汚ければ捨ててしまう。美に絶対的価値を見出してきた私の感性がそこには映されているのです。その美しい本棚を見てひとり悦び、コーヒーを飲みつつ、ジャズを聴く。そして時に山の景色を眺めて、風を感じる。そんな時間が、今の私にとっては至福なのです。
人生は何事も、「編集」が要諦です。イギリスのカクテルレシピも私は自分の味わいに編集したし、それは本の並べ方も、庭の草木や家具の配置も同じです。何度でも繰り返す編集という作業により、自分なりの美的個性を、具現化できるのです。
(構成/鳥海美奈子)(撮影/田中麻以)