◎編集者コラム◎ 『太平洋食堂』柳 広司
◎編集者コラム◎
『太平洋食堂』柳 広司
「大石誠之助を書きたいんです」
開口一番、柳広司さんは言った。初めての打ち合わせの席だった。
「大石誠之助」という名前を聞いて、どれくらいの人がピンとくるだろうか?
恥ずかしながら私も「ええと……、その方は一体どんな……」としどろもどろの反応しかできなかった。そんな情けない編集者に対し、柳さんは、誠之助がどういう人物であるのか、どうして彼を書きたいのかを丁寧に説明してくれた。2018年1月のことだった。
大石誠之助は和歌山県新宮市に生まれた医師である。「ひげのドクトル(毒取る)さん」と呼ばれ、地元の人たちから慕われていた彼は、アメリカやシンガポール、インドなどへの留学経験があり、英語も堪能だった。戦争や差別を心から憎み、平和な世を創りたいと幸徳秋水や堺利彦、森近運平らと交流を深めていく中、1910年「大逆事件」により検挙。翌11年1月18日に死刑が宣告され、同24日に刑が執行された。享年43。
2018年の秋から『週刊ポスト』で連載が始まった。連載が進めば進むほど、資料を調べれば調べるほど、誠之助は魅力的な男だった。もっと多くの人に彼のことを知ってほしいと思った。そして、なぜ彼は若くして死ななければならなかったのかと強い怒りも抱いた。
今では研究が進み、大逆事件はでっちあげ、つまり国家が罪なき者を大量処刑したという論が主流である。誠之助をはじめ、魅力的な若者たちが国に謀殺されたのだ。二度とこんな事件が起きてはいけないと誰もが思うだろう。しかし、今の政治を見ていると現代で同じことが起きないとは断言できないと思う。誠之助の時代から地続きの〝危うさ〟について知らなければならないし、考えなければならない。だからこそ、解説を頂いた作家の藤沢周さんの推薦コメントにもあるが、『太平洋食堂』は、「今こそ読んでほしい物語」なのだ。
最後になるが、単行本を刊行した際、ある読者の方からお手紙を頂いた。そこには「自分の親族に大石誠之助の縁者がいた。この小説を読んできっと辛いことが多かったであろうその人の人生にも、誠之助と過ごした幸せな時間があったことを嬉しく思う」と書かれていた。大石誠之助はおおらかで愉快で公平な人だ。作品を読むことでその人柄に触れてほしい。
──『太平洋食堂』担当者より
『太平洋食堂』
柳 広司