今月のイチオシ本【歴史・時代小説】

『太平洋食堂』
柳 広司
小学館

 一九一〇年、全国の社会主義者、無政府主義者が、明治天皇の暗殺を計画したとして逮捕され、傍聴が許されず、証人も呼ばれない異常な裁判で二十四名が大逆罪で死刑(後に十二名は無期懲役に減刑)の判決を受ける大逆事件が起きた。

〈ジョーカー・ゲーム〉シリーズで人気を集める柳広司の新作は、大逆事件で処刑された大石誠之助を描いている。

 物語は、貧しい人の治療費は督促しないが、金持ちからは取っている医師の誠之助が、和歌山県新宮に西洋料理店・太平洋食堂を開いた一九〇四年から始まる。

 誠之助は、労働者を搾取する企業、国民の幸福より大企業の利益を優先する社会を作った国を批判した。その意味で誠之助は社会主義者だが、著者は、飢えた母子を救う改革を目指した誠之助は、徹底したリアリストだったとしている。

 ユーモアを交えて日本の現状を国民に伝え、あるべき未来を語る誠之助の論考は、幸徳秋水、堺利彦ら過激な社会主義者の目にとまり交流が始まるが、社会主義者、無政府主義者を恐れる政府は弾圧の機会をうかがい監視を強化していく。

 誠之助は国や資本家に現状の過ちに気付いてもらうための社会運動はするが、暴力革命には否定的だった。秋水は無政府主義者なのに親天皇であり、テロを認めているが実行できる状況になかった。そんな誠之助たちが、なぜ大逆罪で死刑になったのか? その謎が解き明かされる終盤は、諸説ある事件に新解釈で挑む歴史ミステリとしても、周到に配置した伏線を回収して意外な真相を浮かび上がらせる本格ミステリとしても秀逸だ。

「文化の日」を「明治の日」に変える運動が一部で盛り上がるなど、明治への回帰が強まっている。明治に戻れば大国ロシアに勝った頃の栄光が取り戻せると思う人もいるようだが、本書を読むと、徴兵と増税の二重負担で戦争を行い、所得格差を広げ、労働者に権利などなかった明治に、学ぶべきことがないと実感できる。それよりも現代と同じ社会問題に立ち向かった誠之助の言動の中にこそ、この国の未来を切り開く可能性が秘められていることが、よく分かるだろう。

(文/末國善己)
〈「STORY BOX」2020年3月号掲載〉
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