木内 昇さん『かたばみ』
血の繫がりがなくても家族というスタイルは営める
戦中・戦後の時代、さまざまな形で価値観が変わっていくなかで、関係性を育んでゆく一家と周囲の人々。木内昇さんの新作長篇『かたばみ』は、まったくままならない、時には辛く悲しい出来事も起きる彼らの人生を、優しく、温かく、明るく描き出す。じつに心地よい読後感を抱かせてくれる家族小説だ。
ステップファミリーを書こうと思った
困難な時代を、悩みながら、迷いながら生きていく。そんな家族の姿に励まされるのが木内昇さんの新作長篇『かたばみ』だ。東京新聞をはじめ地方紙に連載されたこの作品は、くすっと笑える場面を盛り込みつつ、喜びも悲しみも読者が追体験できる深い内容となっている。
「新聞連載の依頼をいただいた際、特に内容についてはリクエストはなかったんです。具体的な経緯は憶えていないんですが、ステップファミリーの話にしようと思ったんですね。血の繫がりがなくても家族というスタイルは営めるのではないかということと、血の繫がりさえあれば万全だということはない、という気持ちがありました。そもそも夫婦ももとは赤の他人同士ですし。家族の関係性もどんどん変わっていくものなので、彼らがどう動いていくかは登場人物たちに任せて書いていくことにしました」
昭和十八年。岐阜から東京に来て、体育専門学校で槍投げの選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊して引退し、西東京は小金井の国民学校の代用教員となる。
「当時は球技のような団体競技はそこまで盛んではなく、女性のスポーツで主流だったのは陸上競技で、短距離走や槍投げだったようです。今回は力強い女性を描こうと思い、がっしりした体型の人にしました」
幼い頃から「男女」とからかわれ、コンプレックスを感じてきた悌子。彼女には神代清一という大切な幼馴染みがいる。一緒にキャッチボールをする仲だった彼はずっと悌子の肩の良さを褒めてくれた存在だ。清一は早稲田大学野球部でエースピッチャーとして活躍したのち、今は社会人野球チームに所属している。密かに清一との結婚を夢見る悌子だったが、ある日彼から入隊を志願したと告げられ、さらに衝撃の事実を明かされるのだった……。
岐阜と小金井、舞台選びの理由
悌子や清一の出身地を岐阜にしたのは、たまたまではない。
「岐阜には岐阜商業という甲子園常連校があって、当時、松井栄造というすごいピッチャーがいたんです。他にも岐阜商業から早稲田大学の野球部に入り、その後兵隊に行って亡くなった方が多くいます。その方たちの複合体が清一のモデルです。別の企画で亡くなった選手たちの遺族に話をうかがうために、岐阜を訪ねたことがあります。その時、険阻な山々に囲まれていて、昔天下人がいた岐阜城があって、とても雰囲気がいい場所だなと思いました。悌子が住む小金井は平地なので、彼女が全然環境の違うところから来たことが伝わるとも考え、岐阜を選びました」
小金井を選んだのは、平地だということ以外にも理由がある。
「小金井市の隣、武蔵野市にかつてあった中島飛行機武蔵製作所は、東京ではじめてB29の空襲に遭い、計九回も爆撃されている。作中の、悌子や生徒たちが工場見学に訪れた日に空襲に遭う場面はフィクションですが、実際に空襲で勤労動員学徒がたくさん犠牲になっています。近くに高射砲があって、爆撃機に届くはずもないのに砲撃し、その破片に当たって亡くなる方もいたそうです」
悌子たちはその日、工場見学を終了し、工場を出て駅に向かう時にB29を目撃。同僚教師の避難指導に、悌子は一瞬不安を覚えるが……。
「学校の先生の指導ひとつで生徒が生きたり死んだりすることはある。東日本大震災の時の大川小学校の話もありますよね。すぐそこに裏山があるのに、規則だから登っては駄目だと教師が言い、結局子供が大勢亡くなってしまった。教師に限らず、誰かの命を預かる立場には、そういうことが起こり得る。人は常に完全な判断ができるわけではないので、それをどうとらえたらいいのかなと思うんです」
ひょんな成り行きで夫婦となった二人
悌子が下宿するのは惣菜店の二階だ。店主で家主の木村朝子の夫は兵役で不在、共に暮らすのは姑のケイと二歳の娘・智栄である。ここにやがて、朝子の実母の富枝や智栄の弟の茂生、そして朝子の兄、権蔵らが加わっていく。身体が弱いため徴兵されなかった権蔵は、運搬屋の仕事以外は無為に生きてきた。だが、実家の両親に縁談を迫られたものの教師の仕事を続けたい悌子から「同志」になってほしいと乞われ、二人は結婚するのだった。
「悌子さんの夫は、ひ弱な人が面白いかなと思って(笑)。当時は大恋愛の末に結婚するというよりも、ある程度近くにいる人同士を縁結びのおばちゃんみたいな人がくっつける、みたいなことがあったから、恋愛感情ナシで夫婦になった人たちも多かったのでは。それもあって、なんとなく夫婦になったけれど馬があった、という感じの二人になりました。お互いにそんなに相手に期待していないので、そのぶんうまくいったところもあると思います(笑)」
この夫婦に、意外な家族が加わる。二人は、清太という男の子を引き取ることになるのだ。
「私はストーリーを決めずに書き進めるのですが、最初は母親である悌子が清太に肩入れするんだろうと思っていました。権蔵はそれを戸惑いながら眺めている感じになるかな、と。でも書き出してみたら、悌子は先生だということもあり意外とフラット。権蔵のほうが急に父性に目覚めて、清太のことが可愛くてしかたなくなる。でも、それまで子供嫌いだったこともあり、父親としてどう接したらいいのかわからずにいるんです」
戦後の急激な価値観の転換のなかで生きる
悌子も権蔵も、生活だけでなく、仕事を通して世の中の変化を実感していく。まず、学校では戦時中と戦後では教育方針ががらりと変わる。
「この時代の国民学校のことは書きたいなと思っていました。教育方針の変更に疑問を抱いても、教師は文部省から言われたことに従わないといけない。そのあたりは理不尽さを感じていただろうと思います。小学生時代に受ける教育は人格形成に影響するのに、ころころ方針が変わるなんて結構怖いですよね。ただ、子供たちはそこまで洗脳されずに何かしら自分の価値観を見つけていく。悌子は未熟な教師だからそこに気づく、というところを書きたかった」
権蔵は戦後、ラジオ局で働き始める。放送作家の鶏田から街頭インタビューの仕事をもらうのだ。
「ラジオの放送内容も、戦時中と戦後では大きく変わっていきました。権蔵さんは最初から業界に関わっていた人ではないので、その変化に対する思いを言うのは鶏田に任せました。仮に現代でこういうことがあった場合、表現する人はどうするのか常に考えなければいけないと感じ、当時の表現者たちのことは書いておきたかったんです。権蔵さん自身は世の中に対して訴えたいことがあるわけではありませんでしたが、人の話に耳を傾けて、その代弁者として発信していくことで彼も変わっていきます」
権蔵が企画した「泣き言読本」という番組が面白い。市井の男性の日常生活での愚痴やぼやきが、俳優によってユーモラスに読み上げられるという内容だ。
「実際にあった番組ではありません(笑)。戦時中、男性は〝男は強くあるべし〟とされ、弱音や泣き言は絶対に言えなかっただろうと思います。発信する側としても、戦時中は戦意高揚になる内容を求められ、疑問や忸怩たる思いを抱いていた男性はたくさんいたと思う。それで、戦後にこういう番組があったらどうだったろうと考えました。権蔵さん自身も弱音を吐く人ですし、〝男性だから頑張らなきゃいけないのか〟みたいな気持ちがあったと思います。かつては、〝女のくせに〟という表現はどちらかというと〝女のくせに大学出か〟などと能力が高い時に使われたのに対し、〝男のくせに〟は能力が低い時に使われましたよね。〝男のくせに力がない〟〝男のくせに弱い〟とか。〝女のくせに〟と言われてもなんとか乗り越えられる気がするけれど、〝男のくせに〟と言われたら意気消沈しそう。権蔵さんはそんなふうに感じていた気がします」
一方、当時の女性側の気持ちが伝わってくるのが、悌子が勤務する学校の後輩教師、時任加恵の言動だ。まったく愛想のない女性だが、悌子は少しずつ彼女と打ち解けていく。悌子が教員検定を受けようとした時、復員した男性たちに席を譲るよう諭そうとする教頭に対し、毅然と言い返すのが加恵である。
「戦争が終わって兵隊が帰ってくると、社会に男性があふれるわけです。教員に限らず働く女性たちに対し、男性と仕事を替われというお達しは暗にあったようです。加恵さんはそのことや、そもそも女性の大学進学が難しいことも不公平だと言っている。それに彼女は、自分が女性としていちばんお洒落したかった年頃の時期に戦争で我慢を強いられ、さらに戦後は女性は男性に仕事を譲れと言われることに理不尽を感じているんですよね。お洒落がしたいというささやかな夢が、世の中の動きによって叶わなかったという思いは、彼女のような強い人でも一生埋められない。それでいうなら、朝子の娘の智栄が戦後、いつかまたご飯が食べられなくなるんじゃないかと思い続けてしまうのも戦争の罪だと思います。命をとられること以外にも、戦争は心の傷を残すものだなと感じるんです」
他にも、戦後の混乱のなかで、大人や子供が抱くままならない思いが、丁寧に描きこまれていく。
親子関係に正解はない
後半には清太の視点パートもある。自分は悌子と権蔵の実子だと思っている彼は、父親がどこか自分に遠慮していると感じている。実際、権蔵は父としての自分の頼りなさを恥じている様子。親子はどこかぎくしゃくしてしまうのだ。
「大人が、〝親はこうであらねばならない〟と必要以上に考えてしまうと、うまくいかないこともある。〝子供のために〟と言っても、その気持ちがあまり強すぎると、子供も辛くなってしまいますよね。私は地元のソフトボールチームに入っているんですが、そこのママさんたちはウィークデーは仕事をして、土日は練習や試合という人が多いんです。つまり、あまり家庭を顧みていないと言われそうな状態なんですけれど、子供たちがみんな、すごくいい子。常にべったりというわけではないのに、よくまっとうに育ったな、って(笑)。小さい頃から親と対等に話していたし、ちゃんと一対一の人間関係ができていて、すごくいいなと思って見ていました。それもあって、悌子さんと権蔵さんもそれぞれの人生を生きるなかで関係性を作っていく様子を書きたかった」
悌子と権蔵はもちろん、周囲の人々の人生にも変化が生まれ、そのなかで彼らは時に支え合いながら生きていく。後半は清太だけでなく、智栄や茂生、悌子の生徒たちといった子供たちの成長に感じ入る部分も。
「コロナ禍になった時、人の結びつきって尊いなと思ったんです。声をかけてくれる人がいたり、あの人がいてくれると思うだけで元気になれたり。時代が違っても、そこは変わらないんだろうなと思いながら書きました」
思い通りにならなかったことばかりのあの時代の、人々の悩みや苦しみを盛り込みつつも、前向きな気持ちにさせてくれる作品となった。
木内 昇(きうち・のぼり)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2004年に『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞する。他の著書に『茗荷谷の猫』『笑い三年、泣き三月。』『よこまち余話』『占』『剛心』など。
(文・取材/瀧井朝世 撮影/浅野剛)
〈「WEBきらら」2023年9月号掲載〉