週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.112 八重洲ブックセンター京急百貨店上大岡店 平井真実さん

目利き書店員のブックガイド 今週の担当 八重洲ブックセンター京急百貨店上大岡店 平井真実さん

 ミステリー小説やホラー小説が大好きで普段は思いっきり偏った読書をしている私だが、ここ最近の気持ちの落ち込みと疲労、人生とは何ぞやと考え始めて止まらなくなる夜が多く、なんだか大好きな読書もままならなくなってしまっていた。そんな時はきっと世間では親しい友人に悩みを話したり美味しいものを食べに行ったりして発散するのかもしれないけれど、昔から心の奥底を人に話せない私にとって、深く深く内に入るしかない日々が続いていた。

 人に会うことも億劫になるのだったら、美味しいものを食べる小説を読んで少しずつ心を回復させていこうと思い立ち、表紙に美味しそうな食事が描かれている作品をジャケ買いならぬ表紙買いをしようと決めて購入してきたのが中島久枝さん『しあわせガレット』だった。白い表紙の真ん中にアスパラとトマト、そして卵がのっている美味しそうなガレットが描かれ、帯には「疲れた心をおいしく癒す連作短篇集──しんどいなあと思ったら、ポルトボヌールにお越しください」と書いてあった。まさに私が求めていた本だった。

しあわせガレット

『しあわせガレット』
中島久枝
角川春樹事務所

 結婚もせず、子供もいない。貯金も、家も、安定した仕事もないのないない尽くしの詩葉。姉は目鼻立ちがはっきりした顔立ちで勉強もできスポーツ万能の人気者、かたや詩葉はスポーツも普通で一重まぶたの地味な顔立ち。このころの屈折した気持ちは成長してさらに強くなり、人とたわいのない会話をするのも難しく他人とうまく付き合えず居心地の悪さを感じ、なんとかしなくちゃと思いながらも気づけば35歳になっていた詩葉。ある日派遣会社での最終日が終わり大学時代から住んでいる千駄木の町を帰宅中に「ポルトボヌール ガレットとクレープのお店」という看板を見つける。幸せの扉という意味のこのお店はガレットとクレープを中心にブルターニュ地方の料理を出しており、真っ赤な髪で化粧っけのない小さな顔に、強い光を放つ大きな黒い瞳が人を惹きつける、多鶴さんという女性が一人で切り盛りしていた。

「ガレットは一枚一枚焼きます。シェアすることはできません。その人のための一皿です。」と書かれた店内。詩葉が幼いころに惹きつけられたのと同じゴーギャンの絵が飾ってあり、多鶴さんはこう言う。「ゴーギャンはこう言って、友達をブルターニュに誘ったんですって ブルターニュには君の人生を開く扉がある。その扉を開けるかどうかは君次第だ」。ブルターニュに行った多鶴さんはある一軒の扉を開けた。〝その人のために焼く一皿〟という扉だった。
 
 自分の人生の扉を開けたいと自ら話し、お店で働かせてくれないかとお願いする詩葉に、困りながらも承諾する多鶴さん。そしてお店と詩葉、常連のお客さんとの人生の物語が始まっていく。

 詩葉やポルトボヌールにくる常連のお客さん一人一人に悩みや葛藤があり、お店で美味しい食事をとりながらぽつりぽつりと他の人に話すことによって自ら答えを見つけたり、進む方向を定めたりする様子は、まさに幸せの扉を他人の力だけではなく能動的に自分で開いていくということの大切さを教えてくれる。そしてなぜこのお店がシェアすることを禁じその人だけの一皿だと頑なに伝えていくのかは最後の最後にわかるのでぜひ読み進めていってほしい

 この作品を読んだ後、自分も一歩勇気を出して心の奥にある重い扉を開けようと思い、昔から大好きだった友人と美味しいものを食べに行けるようになった。まだ悩みをすべて相談できるようになるには時間がかかるかもしれないけれど、少しずつ前に進んでいきたいと思う。

 

あわせて読みたい本

図書館のお夜食

『図書館のお夜食
原田ひ香
ポプラ社

 建物に一歩踏み入れるとしんっとした静けさが私の背中をシャキッとさせてくれる図書館。今でもその雰囲気が大好きでよく行っている。その図書館でのお夜食なんて、夕方には閉館してしまってもっといたかったのにといつも思う私にとって憧れのシチュエーションである。東北で書店員だった主人公が仕事を辞めて新しく勤め始めたのは東京郊外の夜7時から12時までしか開いていない「夜の図書館」。そこで起こる様々な本にまつわるエピソードや一緒に働いている人たちの物語も引き込まれるのだが、1話ごとにでてくる小説にまつわるまかないが最高で、その小説と共に作って食べてみたくなる。「しろばんばのカレー」「ままやの人参ご飯」「赤毛のアンのパンとバタときゅうり」などなど。皆さんはどの小説のまかないが食べてみたいですか?

 

おすすめの小学館文庫

お願いおむらいす

『お願いおむらいす』
中澤日菜子
小学館文庫

「美味しいごはんが出てくる作品を探してる」と前述の友人に話し、紹介してもらった作品。おむらいすいいね!と思い読み始めたところ、まさかの〝曲名〟だったのだが、それはさておき、この中の5編の連作短編に夢中になって一気に読んでしまった。ぐるめフェスタ、通称ぐるフェスを舞台にし、そこで働く運営スタッフ、お客さん、出店している店のスタッフ、タイトルにある「お願いおむらいす」を歌うアイドルなど、様々な視点からみる人と人とのつながりや葛藤、喜びや悲しみが凝縮されており、人生は一つの視点だけで決められるものではないことを感じることができる。人生に迷っている人の背中を優しく押してくれる1冊。

田島芽瑠の「読メル幸せ」第65回
萩原ゆか「よう、サボロー」第15回