週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.74 文信堂書店長岡店 實山美穂さん
小説を読むとき、大事にしているポイントはありますか?
泣けること。新たな知識を身につけられること。現実にはできない体験をすること。思いつくだけでも、いろいろありますね。私は文章から色や音、風、匂いなど、五感を刺激されるものが好きです。だからSFや歴史ものが苦手なのかもしれません……。
さて今回は、そんな作品から一冊を紹介します。
『今夜、ぬか漬けスナックで』
古矢永塔子
小学館
この作品の著者、古矢永塔子さんは、青森県生まれの高知県在住。生まれた土地と現在住まわれている場所の遠さを考えると、移動された距離や土地の水や空気が、小説に影響を与えたのか気になるところです。『七度笑えば恋の味』で、2019年第1回日本おいしい小説大賞を受賞され、今作は受賞後第1作となります。
つまり、おいしい小説を書かせたら間違いないということですね。
この作品はタイトルからインパクトがあります。この令和の時代に〝ぬか漬け〟と〝スナック〟なんですから。これはどういうことでしょう。どちらも身近ではない私ですら、パブロフの犬のごとく、匂いが漂ってくるのを感じます。そう、これはぬか漬けになじみがなくても、物語の終わりにはぬか床を作ってみたくなるかもしれない作品で、実際にそういった声も出ているようです。
舞台は瀬戸内海の小さな島。湿った潮風がふいて、洗濯物に磯の香りもつき、風の強い日は砂が吹き上げられる海辺の暮らしぶりも、随所に書かれています。
目次を見ると、章ごとのタイトルにぬか床を育てる工程の名称がつけられていることに気がつきます。それぞれぬか漬け作りに必要な作業の名前なのですが、ぬか漬けだけではなく、小説のラストに向けて展開が楽しみになってくる仕掛けのようです。大きな外枠としてのタイトル、小さな柱としての章の名前だけではなく、ストーリーの中でも、様々なぬか漬けが登場します。胡瓜、新玉葱は序の口、林檎にベビーチーズ、ドライフルーツまで。ぬか漬けの寛容さ、奥深さは読んでのお楽しみです。
そんなぬか漬けを作るのは主人公の槇生、31歳独身の女性です。
彼女は、20年近く音信不通だった母親の死を知り、瀬戸内海の小さな島で、娘の自分よりも年下の、母親の夫だという男性(!?)とともに、「スナックかえで」で働いています。彼女は島へ来る前に、16年間勤めた食品製造工場を解雇され、仕事だけではなく家もなく、帰る場所もありませんでした。
島という狭い社会へ外からやってきた槇生ですが、口が悪く、母やその夫という彼らとの関係性も複雑なため、島民たちの話題にはなります。でも彼らとはなかなかなじめません。物語がすすむうちに、スナックの常連である島の住人や、近所の人たちと関わって、島の人にも受け入れてもらえるようになります。そして彼女が作るぬか漬けも評判となっていくのです。
人間関係の築き方は、ぬか床の育て方に通ずるものがある、とこの作品を通して教えてもらえます。登場人物たちはみな魅力的な人たちです。
そして槇生は誰にも言えない秘密を抱えているようです。その秘密は物語の最後の方までなかなか明らかにされません。この秘密によって、物語の見え方が変わるので、一度読み通しても、二度三度と読み直してほしいです。新たな発見があるかもしれません。
ちょっと酸っぱいけど、懐かしくてクセになる、ぬか漬けみたいな家族小説をいかがですか? そして、ぬか床ライフにトライしてみるのも面白いと思います。
あわせて読みたい本
『ライオンのおやつ』
小川 糸
ポプラ文庫
舞台は瀬戸内海の島にあるというホスピス。その名はライオンの家。そこでは、主人公の雫と同じように、余命を自分らしく、自由に過ごしている人々が登場します。毎週日曜日のお茶会には、ゲストの思い出話とともに、おやつが参加者にはふるまわれます。それぞれ人生の最後に食べたいものであるだけに、物語がたくさんあります。さて、雫はいったい何を選ぶのでしょうか。何度も読んで大切にしたい作品です。
おすすめの小学館文庫
『フィッターXの異常な愛情』
蛭田亜紗子
小学館文庫
古びた雑居ビルの地下1階。黴臭い階段を下りた先に、その店はあります。女性向けランジェリーショップですが、男性のフィッターがお出迎えするのです。彼は、着衣の状態や体から、その人の生活などを、辛辣な口調で教えてくれる専門家です。「他人から見えないものだから気にしない」「不規則な生活をしていても、まだ若いから何とかなる」といった言葉が頭をよぎった人は店の扉を開けてみましょう。もっと自由に、楽しく、輝く毎日が送れる、ランジェリーの魔法をどうぞ。