椰月美智子『こんぱるいろ、彼方』

ベトナムに思いを馳せ


 もう、四、五年ほど経つだろうか。同級生のあやちゃん(仮名)と地元のショッピングモールを歩いていたときのことだ。すれ違った女性に、「りおんちゃん!」(仮名)と、あやちゃんが声をかけた。

「わあ、あやちゃん、ひさしぶりだね」

「ほんとひさしぶり! りおんちゃん、元気だったあ?」

 二人は挨拶を交わし、互いに簡単な近況を話し、またね、と手を振って別れた。りおんちゃんは、わたしたちと同じ年齢ぐらいに思えた。

「りおんちゃんって、かわいい名前だね」

 どんな字を書くのだろうと思いながら、わたしは言った。わたしたち世代は、名前の最後に「子」が付く子がほとんどだったから、とても新鮮に思えたのだ。

「りおんちゃんは、ベトナム人なんだよ。小さい頃にボートピープルとして日本に来たんだって」

「……え?」

 あやちゃんの言葉は衝撃だった。ベトナム人。ボートピープル。普段の生活で、ほとんど耳にすることのない単語たち。

 あやちゃんとたのしそうに話していたりおんちゃんは、日本人にしか見えなかったし、なにより、ボートピープルとして日本にやって来たというりおんちゃんがこんなに近くにいて、わたしの同級生と友達だということが驚きだった。あやちゃんとりおんちゃんは、昔、アルバイト先が一緒だったらしい。

 わたしの頭のなかで、りおんちゃんは、カタカナのリオンちゃんに変換され、ベトナムの風景が目の前に広がった。

「ものすごく気になる! 詳しく知りたい! リオンちゃんのこと紹介して!」

 そう、あやちゃんに詰め寄ったときにはもう、この物語ははじまっていたのかもしれない。

 その後わたしは、リオンちゃんと何度か食事をする機会を得た。お互いの子どもの話で盛り上がった。気さくでたのしくて思いやりがあって、仲の良いママ友と話している感じだった。

 リオンちゃんのご家族にも取材させてもらった。どこにでもいる、日々を大切に生きているあたたかい人たちだった。二〇一八年の夏には、ベトナムへ取材旅行に行った。美しくて暑い原色の国を大好きになった。

 そして、わたしは気付いたのだった。ベトナム戦争もボートピープルも、自分とはかけ離れた、遠い異国の物語だと思っていたけれど、そんなのはまったくの思い過ごしだったということを。彼らに起こった出来事は、同時に自分の物語でもあったのだ。

 どんな情勢であったとしても、そこには人がいて日々の暮らしがある。乳飲み子を抱える母親、老いた両親、学校に通う子ども、フォーを作る人、花を育てる人、愛を語り合う恋人たち。爆撃の下でも、人々の営みは続いてゆく。

 彼らの強さを描きたいと思った。どこにでもいる、ふつうの人たちの物語を。

椰月美智子(やづき・みちこ)

1970年神奈川県小田原市生まれ。2001年『十二歳』で講談社児童文学新人賞を受賞。『しずかな日々』で07年に野間児童文芸賞、08年に坪田譲治文学賞を受賞。17年『明日の食卓』で神奈川本大賞を受賞。その他の著書に『るり姉』『かっこうの親 もずの子ども』『消えてなくなっても』『伶也と』『緑のなかで』などがある。


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『こんぱるいろ、彼方』
椰月美智子

 

◎編集者コラム◎ 『からころも 万葉集歌解き譚』篠 綾子
山下澄人『しんせかい』/芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第89回】爽やかな青春小説