ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第145回

「ハクマン」第145回
15年漫画家をやっているが、
忘年会や新年会といった会合に
1回も出たことがない。

最初からそのパーティの主役、もしくは主役である悪役令嬢から男の視線を全部強奪できるシーフおキャット様的魅力を持っている乙女ゲーのヒロインなら行くだけで楽しいだろう。

だがそうでなければ「自分の力でこの会を楽しんでやる」という主体性が必要になってくる。

それなしで参加するのは「誰か俺を楽しませる奴が現れるのを待つ」ということであり、当然そんな慈善事業従事者は現れないので、時間いっぱい一人で立ち尽くすことになるのだ。

よって私が出版社のパーティに参加するなら「ローストビーフを最低5巡する」など明確な目的が必要である。

交流のある作家と語らうという目的がある人もいるかもしれないが、言うまでもなく私は知り合いの作家がほとんどいないため、おそらく現地では担当のみが頼みの綱になるだろう。

担当が命綱というのは、バンジージャンプの紐としてサナダムシを渡されたようなものだ。それで命が助かると言われても「死んだ方がマシでは」という思考がチラついてしまう。

それに忘年会シーズンになると「担当が売れっ子作家の方につきっきりになってしまい一人になった」という、謝恩会に来てまでXをやる羽目になっている作家のつぶやきをみないでもない。

しかし、漫画家のパーティには最後にして最大の楽しみである「レジェンド作家を目視する」がまだ残されている。

ただ、自分も漫画家である以上、相手がいくら大御所であっても「昔から大ファンです! 握手かディープキスしてください!」みたいなノリで挨拶するのは失礼という説もある。

実際それで気分を害す作家がいるかどうかは不明であり、部外者が作りだしたビジネスクソマナーなのかもしれないが、確かにどれだけ格が違っても漫画家という同じ土俵に立っているのは確かだ。

新入幕力士と横綱との対戦であっても、新入幕力士がまわしからおもむろにサイン色紙を出してサインを求める取組は見たことがない。

後輩として恭しく挨拶するのは当たり前だが、一読者気分で接するのは確かによくないのかもしれない。

つまり、万が一そこでレジェンド作家と話す機会があってもオタクムーブをしてはいけないということであり、これは地味に難易度が高い。

神作家には近づかず、遠方からオペラグラスで見る、または「招待客の同伴者であり漫画家ではない」という設定で行くしかない。

どうやって楽しむかより、起こり得る危機にどう対処するかばかり考えてしまう、そして一番確実な危機回避方法が「行かない」なのである。 

「ハクマン」第145回

(つづく)
次回更新予定日 2024-12-25

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

◎編集者コラム◎ 『恋する検事はわきまえない』直島翔
深沢 仁『ふたりの窓の外』◆熱血新刊インタビュー◆