ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第6回
他にも、漫画家の中には、毎回、落とすや落とさざるや、の奴もいれば、超優良進行で2、3号先の原稿がもう出来ているという変態も存在する。
別の作家が落とした時、そういう変態の原稿が「大人気御礼!増ページ!」という形でいつもの倍ページ穴埋めのために掲載されたりするのだ。
私も今でこそ催促が来てから原稿を描く奴になっているが、デビュー当時はそういう変態だったため、某人気漫画が落ちた時、私の漫画がいつもの3倍のページ載る、ということがあり「増ページって人気だからやるんじゃないんだな」と身をもって知った次第だ。
「ONE PIECE」のように、それが載るか載らないかで雑誌の売上が変わるレベルの人気作なら編集も穏やかではないだろうが、そうでなければ、そういう時の準備は出来ているのでそこまで一大事ではないということだ。
むしろ、先が知れている連載よりフレッシュな方を載せられて良かったと思っているかもしれない。
よって、落として困るのはどちらかというと作家の方である。
まず当然だが、落とすとその原稿料は支払われない。もし月刊誌の連載が1本だけだったとすると、その1本を落とすとその月は無収入になってしまう。これはすごいことだ。
逆に言えば、寡筆な作家はそれだけ経済的に余裕があると言える。
それかどれだけ困窮しようと「絶対に描きたくないでござる」という不退転の決意があるかだ。
つまり、なかなか続きを描いてくれない作家に続きを描かせたかったら、経済的制裁を加えてやるのが一番ということだが、それはアメリカ大統領級の権力を持たないと難しいだろう。
さらに原稿を落とすと当然だが「信用」を失う。
自分の立場でも、納期を守らない外注先には二度と仕事を発注しないだろう。むしろこれだけ納期を破りまくっているのに、まだ仕事が来るというのは作家ぐらいのものだ。
だがそれもあまりに目に余るようなら、いつしか発注は来なくなるだろう。
よって「原稿を落とす」と聞くと、困っているのは出版社側のイメージがあるかもしれないが、どう考えても作家の方がダメージがでかいのである。