滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第6話 太った火曜日④
彼女のことばの破片が、心にぷすぷすと突き刺さる。
探しても何も見えず、耳を澄ましても何も聞こえない、沈黙と虚しさ。拷問のような孤独、何もかもが息絶えてしまうような闇、乾ききった魂──わたしの心はいつまでこの苦しみを耐えなければならないのでしょう……マザー・テレサのことばの破片が、心にぷすぷすと突き刺さっていった。
あの、もう存在しないいとこの家の、騒々しいほど花の咲き乱れた、明るくカサついた庭では、オジギソウをつつき、ホウセンカの実を弾(はじ)き、カサカサと乾いた音を立てるムギワラギクを摘み、日光に焦げていくヒャクニチソウの花びらをむしり、オシロイバナの黒い実を石でカチ割り、ケイトウの燃えるようなビロード状の花を指の先で触って遊んだ。そして、その明るい庭から家に入る前に、バナナの木の下の井戸をのぞくと、井戸の中にはひんやりした空気がたまっていて、その中の空は、頭の上に広がる空よりもずっと遠く、足がすくむほど深かった。
生まれ育った隅っこを出て、いろんな隅っこを回ってから、知ったのだけれど、どの隅っこにも、自分の居場所が見つけられないで、心にできた空洞をなんとか満たそうとしている人がいた。心の空洞を埋めるための方法は、いろいろだった。いろいろだったけれど、それが何であれ、たとえ神様であれ、神様には申し訳ないけれど、究極的には、人間は人間によってのみ救われるものだと、わたしは思っている。
以前は、わたしも、人生に乗り遅れそうな気がして、いつも焦っていた。たぶん、人生をかいかぶって見ていたせいもあると思う。自分がいてもいなくても世の中は勝手に回っていくし(当然だ)、そして、人生は、残念なことに、ひょっとしたら、そんなによくも、そしてもっと残念なことに、そんなに悪くもないかもしれないけれど、隅っこで自分に与えられた人生を自分なりに生きていくしかないことを悟って、謙虚に生きられるようになった。そして、神を信じるのに、神がいるかいないかなんてことは問題でないと思うようになって、神様とのお付き合いも、少しだけ、楽になった。
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