思い出の味 ◈ 椰月美智子

第8回
「最後のお蕎麦」
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 今から二十年以上前の話である。当時、父は入院していた。咳がなかなか治らないと言って検査に行き、そこで肺がんが見つかったのだった。

 すでに手術が出来る状態ではなく、担当医師からは余命半年です、と言われていた。病名は父に知らせていなかった。

 その日は入院中の一時帰宅で、母とわたしは病院に父を迎えに行った。五月だったと思う。薄曇りの空で、ほんのり暖かい日だった。

 お昼の時間帯だったこともあり、家に帰る前に、お蕎麦屋さんに寄ることになった。父が食べたいと言ったのかもしれない。その頃はまだ食欲もあって、父は天ぷら蕎麦を注文した。母もわたしも同じものを頼んだ。もり蕎麦と、海老やキスに大葉や茄子の天ぷら盛り。

 わたしは二十六歳で、そんな状況でなかったら、両親とのランチなどありえなかったと思う。わたしは恋人とのあれこれに忙しく、けれど恋人のことを親に話すような間柄ではなく、ただぼうっとその場に同席していた。

 お蕎麦が運ばれてくる前だった。隣のテーブル席のおじさんたちが煙草を吸いはじめた。煙がわたしたちのテーブルに漂ってきた。当時はどこの店でも、たいてい煙草が吸えた。

「いやだわ。やだね」

 母はそう言って、漂ってくる煙を大仰に手であおいだ。父のほうに煙がいかないよう、こっちに向かってくる煙を、小さな手で必死に阻止した。

「いやあね、いやだわ」

 何度もそう言って、何度もあおった。しまいには、メニューを取り出してバタバタとあおった。

 そんな母の姿に、わたしは、父に本当の病名がバレないといいけれど、と思っていた。

 お蕎麦は透明っぽい白色の更科蕎麦で、ほんのりと甘く、濃いつゆとの相性がよかった。天ぷらの衣もサクッと揚がっていたし、海老も大きかった。

 美味しいね、と言いながら食べた記憶はあるが、真っ先に思い浮かぶのは、母が煙をあおる姿と、ちょっと困ったような父の顔ばかりなのである。

〈「STORY BOX」2018年6月号掲載〉
 
 椰月美智子(やづき・みちこ)

1970年神奈川県生まれ。2001年『十二歳』で第42回講談社児童文学新人賞を受賞してデビュー。近著に『見た目レシピいかがですか?』『つながりの蔵』など。

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