第135回
須賀しのぶさん
『荒城に白百合ありて』
キャラクターに引っ張られるという感覚を二十年ぶりに味わいました。
須賀しのぶさん

 

 歴史を織り交ぜた物語を得意とする須賀しのぶさん、新作『荒城に白百合ありて』は幕末が舞台。会津に縁のある須賀さんがいよいよ満を持して執筆……と思ったら、実は編集者からの提案をずっと断り続けていたのだとか。その理由は、そしてついに執筆を決意した経緯とは。

断り続けていた執筆依頼

 須賀しのぶさんが選ぶ小説の舞台は幅広い。ここ最近の作品を見ても、ベルリンの壁が崩壊する1989年の東ドイツを舞台にした『革命前夜』、大正末期の浅草を少女たちが駆け抜ける『くれなゐの紐』、第二次世界大戦時のワルシャワの混乱を克明に刻む『また、桜の国で』、かと思えば戦後の夏の高校野球大会の復活劇を描く『夏空白花』……。そして新作『荒城に白百合ありて』は幕末を舞台に会津の少女と薩摩の青年、やがて旧幕府軍と政府軍として敵対する藩同士の男女の出会いと運命を描く。

 須賀さんは他県育ちだが、両親の出身地である会津にはよく帰省しており会津藩の歴史には馴染みがあったという。

「鶴ヶ城や西郷頼母の武家屋敷にも行きましたし、お祭りで白虎隊の切腹のシーンが演じられるのを見ていましたし。会津藩士の神保修理の妻の神保雪子は美しくて最後も言葉では明かさず殉じるという行動で自分の姿勢を示す姿にキュンとして大好きでした(笑)」

 だから満を持して選んだ舞台かと思いきや、

「以前から、編集者に幕末の会津を舞台に書け書けと言われ続けていたんですが、嫌だ嫌だと断り続けてきたんです」

 と、意外な回答。実は、馴染みがあることこそがネックだったという。

「敗者側から歴史を書くのは読み物として面白いだろうなという意識はありました。それでも、私は子どもの頃から会津史観が刷り込まれているので、幕末の会津を書くとなると無意識のうちにそちらに寄ってしまうような気がして。それに以前、『紺碧の果てを見よ』という会津出身の海軍士官の話を書いたんですが、その時も自分の歴史観が定まっていないなと感じたんですよね」

 一方、編集者が会津藩にこだわったのは、

「以前『芙蓉千里』を書いた時に、自害する会津出身の女郎を出したんです。担当編集者は彼女が自害する理由が分からなかったそうなんですが、私からすれば会津の女が仇敵を討てず自害するのは当然という感覚でした。最初はそこに興味を持たれたようです。ある時、その担当者と一緒にワーグナーのオペラ『トリスタンとイゾルデ』を観に行ったら、それからは〝幕末で『トリスタンとイゾルデ』をやろう〟と言われるようになって(笑)」

 心が動いたのは、タイミングが大きかった。

「『革命前夜』で東ドイツを書いた時に、前から別の編集者から提案されていたポーランドの話を今なら書けるかも、と思って『また、桜の国で』を書いたんです。それで『また、桜の国で』を書いた時に、今なら会津が書けるかなと思ったんですよね」

「トリスタンとイゾルデ」を提案されたことも大きかった。

「幕末で『トリスタンとイゾルデ』? とは思いましたが(笑)、言いたいことは分かったんです。私は海外が舞台の歴史ものを書く時、日本の読者はほとんど知らないだろうけれどこんなことがあったんだよ、という伝えたい気持ちが強くてつい歴史の部分をたくさん書いてしまうところがあって。本当は人の物語を書きたいのに、歴史の部分に引っ張られてしまうんです。でも『トリスタンとイゾルデ』は人の情念の世界の話。幕末といったら崩壊寸前ではあるけれどシステムがガチガチに固まっている社会ですが、情念の話をベースにして書けば、自分の壁を越えられるかもしれないと思いました。それで、最終的にやってみようと思ったんです」

 引き受けた直後、編集者たちと会津に取材旅行に出かけた。

「これまでにも行ったことはありましたが、とりあえず飯盛山や、家老だった西郷頼母の武家屋敷に行きました。武家屋敷には、敵が攻めてきた時に奥方以下二十数人が自害した間があって、その様子が人形で再現されているんです。私は幼少期から見ているのでなんとも思わなかったのですが、同行した二人がドン引きしていたので、ああ、そうなんだと思って」

 何度も行ったことがある鶴ヶ城でも、政府軍が設置した砲台との距離がかなり近いということも編集者の指摘で気づいた。

「言われてはじめて〝あ、確かにおかしいな〟と思って。城から、砲台で発射させようという人が見えるくらい近いんですよね。それを普通に感じていたなんて、と自分でも驚きました。この感覚をどういうふうに書けばいいのかな、というところから始まりました」

会津藩の少女、薩摩藩の青年

 相模の浦賀に異人の船がやってきた頃。江戸城の会津上屋敷内で育ち、両親と兄と暮らす十歳の鏡子。母親には「私たちが考えるべきは親のこと、長じては夫のこと、そして我が子のこと。それだけです」と言われ、それを疑いもせずに育ってきた彼女だったが、ある時父親に勧められて塾通いを始め、同じ会津の娘である中野竹子に出会う。この竹子は実在の人物で、自分の意志を強く持ち、のちの会津戦争では婦女隊として戦った女性だ。

「私の場合、竹子さんのような人のほうが、実は主人公として書きやすいんです。少女小説を書いていた頃、よく〝須賀さんが書くヒロインは何があっても信念を曲げない。自分はそこまではできないから、だから応援したくなる〟と言われていました。でも、鏡子さんは真逆です。こうあるべきだ、と教育されることに何の疑問も持っていない。女である、妻である、母であるといった役割が救いになり、役割を演じることで自分が確立したように感じているのが鏡子さんです。それが当時の会津の女性の在り方で、竹子さんのような女性は珍しかったと思います」

須賀しのぶさん


 鏡子の人生観が変わったのは、安政の大地震。屋敷を飛び出した彼女は崩れ落ちる町を見て、「終わりが来た」と茫然自失状態となる。その彼女を助け出したのが、薩摩藩士の青年、岡元伊織だ。彼は出会った瞬間から強烈に鏡子に惹きつけられるが、それは彼女の美しさに魅了されただけではなく、彼女に自分と同じ何かを感じたからだ。

「鏡子はそれまで、会津の教えに従って生きているのが当たり前だと思っていた。でも地震の時にそれが外れてしまったんですよね。自分とは何だろう、なんで生きているんだろう、と分からなくなる。実際、自分は本当は何がしたいのか、自分とは何であるか分かっている人ってそんなにいないんじゃないかと思うんです」

 そんな鏡子に共鳴する伊織も、心が固まらずに無力感を抱く存在だ。

「伊織は最初から、薩摩隼人として生きることを受けつけられずにいますが、優秀だから、藩のための役割を与えられている。だから薩摩がどんどん変わり、自分の意思とはかけ離れていっても、そこに呑み込まれていくしかない」

 人間をやることは下手くそな二人なんです、と須賀さん。

「世に馴染めない。なのに気づいたら呑み込まれるしかない波が迫っていて、のるかそるかどっちかにつかないと生き抜けない。今の時代でもこれは明らかにおかしいけれど、解決策のどちらにも賛同できない、ということはありますよね。それがもっと強烈にあった時代です。そのなかで、二人とも漠然とした無力感を持っている。それはわりと庶民的な感覚だと思うので、そのあたりを前面に出していこうと思いました」

 ただし、二人がすぐに恋仲になるわけではない。むしろ会う機会も少なく、距離はなかなか縮まらない。

「トリスタンとイゾルデも愛し合っていながらも立場上、ギリギリまでお互いにそのことを認めませんよね。お互いに立場があるというのは話の肝でありますね」

歴史ではなく人物で物語を引っ張る

 実在の人物もちりばめられている。前述の中野竹子や神保雪子もそうだ。

「会津の攻防戦では、女性のほうが頼もしかった印象があるんです。男性たちが戸惑っているなか、女性たちは弾が飛んでこようが怪我人を助け出して治療してご飯を作って、婦女隊を組んで自らも打って出たりしている。女性の活躍が大変目立っていたんです。会津の思想を体現したのは実は女性だと思っています」

 一方、薩摩側では西郷隆盛なども登場するが、

「歴史の部分に引っ張られないよう、実在の人物はあまり多くは登場させませんでした。ただ、伊織の心の変遷を分かりやすくするために、連載から単行本にする際に清河八郎のことは新たに登場させました」

 歴史部分を削り、幕末の大まかな流れを追いつつも、一人一人の心情に寄り添って読める物語にしようと心掛けた。

「今回はとにかく、歴史ではなく人物で物語を引っ張っていこうと。ただ、幕末というとだいたいの流れは知られているので、そのぶん人物の描写に集中できました」

 では、会津藩が崩壊に向かうなか、どのような形で結末へ向かうことをイメージしたのか。

「最終的には完全に二人の世界になるので、最後は私が二人に引っ張られる感じで書きました。実は連載では二人がどうなるのか分からないところで終わっているんですが、単行本にするにあたり、その先を書きました。そこではじめて二人が本当は何を望んでいるのか分かった気がして。きっと主人公の二人も、あの瞬間まで自分たちが何を望んでいるのか分からなかったんだと思います」

 その瞬間に至るまでを書く時は夢中だった。

「コバルトで少女小説を書いていた頃の、本能のままに筆を進めていた状態に戻った気がしました。途中から何も考えず、私はこれを書きたいの、という気持ちだけで勢いで書いていました。キャラクターに引っ張られるという懐かしい感覚を二十年ぶりに味わいました。前に『くれなゐの紐』を書いた時に、少女小説はここでいったん区切りをつけないとこれ以上先に進めないと思っていたんですが、いや、それでもいいんじゃないかと今回思いました(笑)」

 少女小説からいわゆる一般文芸を書き始めた時は、あまりに書き方が違うために悩んだこともあった。だが、その苦労もすっかり乗り越えたようだ。

「今回書いてみて、どんな時代でも視点を据えたら、人間の生き方は書けるんだと思いました。まだまだ自分では書けないことは沢山あるけれど、毎回、一つずつチャレンジして壁を突き崩していこうと思っているんです。今回もまた新しい扉が開けた気持ちです」

 来年からはまた舞台はドイツ、音楽をモチーフに男性二人が主人公の小説を執筆予定。その次も、欧州を舞台にした女性主人公の物語を考えている。こちらは戦前から戦後にわたる話になる予定だ。

 


荒城に白百合ありて

KADOKAWA 本体1600円+税


 

須賀しのぶ(すが・しのぶ)

1972年埼玉県生まれ。上智大学文学部史学科卒業。1994年「惑星童話」でコバルト・ノベル大賞の読者大賞を受賞しデビュー。2013年『芙蓉千里』で第12回センス・オブ・ジェンダー賞大賞、16年『革命前夜』で第18回大藪春彦賞を受賞。その他の著書に『紺碧の果てを見よ』『また、桜の国で』『夏空白花』など。

〈「きらら」2019年12月号掲載〉