神津凛子さん『ママ』

小説で描いた「罪」を、私もどこかで犯してしまったかもしれない

〈「イヤミス」を超えた、世にもおぞましい「オゾミス」誕生〉(第一三回小説現代長編新人賞受賞作『スイート・マイホーム』のキャッチコピーより)。神津凛子は待望の第二作『ママ』でも、ミステリーとしての物語の快感追求を実現しながら、デビュー作とはまた違った方向から、おぞましさの境地へと歩を進めていった。

神津凛子さん『ママ』

 シングルマザーの成美(「わたし」)が目を覚ますと、手足は縛られ見知らぬ部屋にいた。天井からは裸電球が吊るされており、床と壁は黒いビニールで覆われている。真っ先に脳裏に思い浮かべたのは、幼い一人娘・ひかりのことだ。彼女はどこにいる? すると、部屋の隅から男の声が聞こえてきた。「希望が欲しい?」。次いで、「理由が欲しい?」。

「成美さんにはどちらもない。それでも生きていかなくちゃならない苦しみがどんなものか、想像もできないだろうね。でも、安心して」「これからわかるから」

 希望を抱かせず理由など聞かせないまま、男は部屋を出て行った。「わたし」は娘と引き離されたうえに、監禁された──。

 少しずつ絶望の淵へと傾いていったデビュー作から一転、『ママ』はたちまちのうちに絶望の底へと叩き落とされる。作家の発想の出発点も、ここからだった。

「どうしてなのかは自分でも全くわからないんですが、次はシングルマザーがひどい目に遭う話を書こう、と。具体的には、彼女が娘と離され、監禁された状態を書くことになるんだろうな、というイメージはありました」

 著者は三児の母だ。夫もいる。

「自分とはなるべく違う環境にいる人を主人公にしたほうが、書きやすいんだと思います。監禁というシチュエーションを選んだ理由は、スティーヴン・キングの影響があるかもしれません。キングの作品は、車の中に閉じ込められたり雪でホテルに閉じ込められたりといった、大きいくくりでの監禁という話は結構多いんです。〝逃げられない状態でどうにかする〟というお話が、単純に好みなんですよ」

 前作『スイート・マイホーム』同様、事前のプロットは一切作らなかったが、書き進めていくうえでの指針をひとつ胸に抱いていた。

「前作を読んでくださった方々から、ラストが酷すぎるという感想をいただいてびっくりしたんです。自分ではそう思っていなかったんですが、少し時間が経ってから読み返してみると、確かにどうしようもないくらい悲惨だった(笑)。今回は、救いのある感じで終わらせたいと思っていました」

神津凛子さん

 しかし、物語を通して心に残るものの重たさはある意味、前作以上だ。

犯人が監禁した理由を探りながら書き進めた

「どこかにある『ママ』の世界を覗きに行って、そこで見聞きしたものを書いていった感覚です。さあ書こうと思ってパソコンを立ち上げたら、小さな部屋が見えて、慌ただしい朝の光景がありました。外へ出ていく成美の姿をカメラで追って行ったら、そこが団地であるとわかったんです」

 監禁の場面が冒頭で描かれた後は、時間軸が巻き戻る。主人公とひかりが長野の団地でつましい二人暮らしをしており、支え合って生きている姿が描かれていく。彼と死別し天涯孤独の身となった主人公にとっては、娘が生きていくための「ひかり」なのだ。だが、世間は世知辛い。近くのスーパーの惣菜部門でパートの職を得て、友人と呼べる存在もできるが、陥れようとする存在も現れる。道ゆく人の心ない発言も、彼女を傷つける。

「普段生活していると、見ず知らずの人から、こちらの事情を何も知らないままに決めつけられる、気に障ることを言われることってありますよね。そういう記憶が、形を変えて小説の中に出たんだと思います。〝自分が経験したこのことを書こう〟と思って書くことはまずないんですよ。書いたものを読み返した時に、〝こういうことって自分にもあるな〟と思い当たる感覚なんです」

 どんなに不幸が降りかかってこようとも、成美はひかりと共に生きていくと決意していた。しかし、悲劇が彼女たちを襲い、やがて冒頭で描かれた監禁の場面へと辿り着く。嘘はつかずお前の記憶のすべてを語れ──。マスクもせず顔を晒した犯人からの脅迫に、成美は答え始める。すべてを話したつもりなのに、いつまで経っても犯人は納得せず、新しい記憶を要求し続ける。おぞましい状況設定だ。

「一番最初のイメージでは、犯人はもっと肉体的に痛めつけるんじゃないかと思っていました。書いてみたら意外にも、積極的に痛めつけるようなことはしなかった。〝じゃあ、何がしたいの?〟と。犯人が成美を監禁した理由は、私自身も全くわかりませんでした。でも、よっぽどのことをされたから、監禁までしようとしたんだろう。〝いったい何があったの?〟と、私自身も疑問に思いながら書き進めていったんです」

 自分が書いているものの意味がわからず、書いたものに、まず自分が驚かされる。著者のその感覚が、読者に大きな驚きをもたらしていることは間違いない。

「ひとつだけ、今回は絶対これを書こうと思っていた展開がありました。麻酔抜きで歯を抜く、抜歯です。もともと私は歯科衛生士としてずっと働いていたので、医師の横で手順は見てきたし、拷問に活かせるかなと思ったんです(笑)。お世話になっている先生に監修をお願いしたんですが、麻酔なしに歯を抜いた場合、痛みや出血で失神する可能性などを伺い、小説の中に取り入れています」

どういう気持ちでいたら多少なりとも許せるのか

 成美を監禁した犯人の最終的な要求は、「お前の『罪』を思い出せ」ということだった。実はこの設定自体は、ミステリーやホラーの先行作品にちらほら見受けられるものだ。例えばドイツの作家、セバスチャン・フィツェックの代表作『乗客ナンバー23の消失』は、豪華客船の隠し部屋で、監禁と「お前の『罪』を思い出せ」がセットで描き出される。通常であれば、主人公は時間をかけて「罪」に思い当たり、そこでミステリーのギアがグイッと上がっていくはずなのだ。しかし、『ママ』は様子が違う。主人公は「罪」の存在にまったく身に覚えがない。身に覚えがない、そのことこそが「罪」なのだ。

「犯人が『罪』の理由を口にした時に、私自身も〝ああ、そういうことだったのか〟と驚いたんですが、どこか納得というか、彼を絶対的に否定する気持ちにはなれない感覚がありました。例えばですが、世の中からいじめはなかなかなくならないですよね。自分も子供がいるので、常にその恐怖はどこかにあります。やられた側は、やった側がどういう気持ちでいたら多少なりとも許せるかなと思った時に、自分をいじめたことを忘れないことだと思うんですよ。もしもそうじゃなかったとしたら、怒りは燃え上がってしまうかもしれないなと思うんです」

神津凛子さん

 作中で具体的に示される「罪」は、人間ならば誰しも思い当たってしまう種類のものだ。前作『スイート・マイホーム』は主人公の「自業自得」だと他人事でいられたが、本作にはそれが通用しない。主人公を突き抜け、その「罪」の名が読者の胸に届く。心に残るものの重たさは前作以上かもしれないと書いたのは、それが理由だ。

「前回は書き終えた時に、本当に終わったというか、小説で書いた世界との距離が遠くなったんです。でも今回は、まだ現実の中に『ママ』の世界が残っている感覚があります。作品に対する愛着なのかなぁと思っていたんですが、罪悪感なのかもしれない。『ママ』で描いたような罪を、私もどこかで誰かに犯してしまったかもしれない。救いのあるラストは書けたつもりですが、もしかしたら前作以上に心にざらっと残るものがある作品を、生み出してしまったのかもしれません」


『ママ』

講談社


神津凜子(かみづ・りんこ)
1979年長野県生まれ。歯科衛生専門学校卒業。第13回小説現代長編新人賞を受賞し、2019年「スイート・マイホーム」でデビュー。長野県在住。

(文・取材/吉田大助 撮影/浅野 剛)
〈「きらら」2020年4月号掲載〉
村上春樹 編訳『ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集』/アメリカを代表する作家の晩年
未来はすぐそこに