神津凛子さん『スイート・マイホーム』

現実では経験したくないけれど、世界の真実を見てみたい。

 第十三回小説現代長編新人賞を受賞した『スイート・マイホーム』が、異例の重版を重ねている。編集者がつけたキャッチコピーは「『イヤミス』を超えた、世にもおぞましい『オゾミス』誕生」──。ネガティブな感情を体験すること必至にもかかわらず、なぜ多くの読者が本に手を伸ばし、その魅力を口コミで広めているのか。著者の神津凛子さんに話を聞くため、彼女が暮らす長野へ向かった。

神津凛子さん

私には見えないものが見えているよね?

 本の帯には「選考委員全員戦慄」という極太文字が躍り、五人の選考委員の選評からの抜き書きがそれを裏付ける。伊集院静氏のコメントが象徴的だ。「ここまでおぞましい作品に接したのは初めてだ」。

 主人公は長野で妻子とともに暮らす、三〇代半ばの賢二(「私」)。スポーツジムインストラクターと塾講師を掛け持ちする彼は、住宅販売のチラシで目にした「まほうの家」に心惹かれる。画期的な暖房システムを取り入れたその家ならば、長野の厳しい冬も半袖で過ごせるのだという。なんらかの出来事がきっかけで発症したと思われる閉所恐怖症、母と精神を病む兄が暮らす実家から逃げ出した罪悪感……。賢二の内面に差す不吉な影が綴られていく。やがて「まほうの家」のシステムを採用した、平屋の一軒家が完成する。その家こそが、おぞましさが連鎖する舞台だった。

 物語の着想は、著者自身がマイホームを建てた経験から生まれたものだった。

「小説の中に出てくる家の構造と似た家を数年前に建てました。ある時ふと、家の中の、目には見えないところに人が潜んでいたら怖いなって思ったんです」

 三児の母として子育てをした経験も、意外なかたちで著者の想像力をくすぐったという。

「赤ちゃんの目がきれいだなってことは、自分の子どもを持つ前から思っていました。ただ、実際に自分の子どもをもうけて抱いてみると、〝この子の目には何が映っているの?〟と思って、時々すごく怖かったんですよ。自分でも見えないような、私の中のどろどろしたものとか醜いものが、この子の目にはもしかしたら見えているんじゃないか。私からは何も見えない場所に向かって、ニコッと笑顔を見せることもありました。〝あなたは、私には見えないものが見えているよね?〟って感じることが何度もあったんです」

 家の中に、何かいる。だが、それが何かは、分からない──。『スイート・マイホーム』が表出する恐怖は、こうして生まれた。

誰にも感情移入していない

 著者は一九七九年長野県生まれ。子供の頃から、ホラーへの感受性が豊かだった。

「父がレンタルビデオ屋さんで借りてきて一緒に観た、『エルム街の悪夢』や『13日の金曜日』などのホラー映画が最初の入口だったと思います。ある時、自分と同じような年齢の子供を主人公にした映画が公開される、と知ったんですね。それが、スティーヴン・キングの小説を原作にした映画『スタンド・バイ・ミー』でした。映画も素晴らしかったのですが、特に小説を読んで感動したんですよ。文章の中から温度とか匂いが感じられて、見たことがない名前の木も、くっきりと頭の中で思い浮かべることができた。国も違うし言葉も違う、何もかも違うはずなのに、物語の舞台に自分が本当にいるような感覚になったんです」

 そこからキングの作品を読み漁るようになった。キングの作品は超常現象が扱われることもあるが、日常生活の延長線上に起こり得る恐怖を描くことが多い。

「『エルム街の悪夢』や『13日の金曜日』は、訳の分からない存在によって理由もなく人が死んでいきます。観終わったら〝怖かった。でも、自分とは関係ないや〟って、すっきり忘れられると思うんですね。だけどキングの小説には、人が死ぬ時は基本的に、その理由がちゃんとある。だから読み終わった後も、読んだ記憶がずうっと心に残るんです」

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 自分でも小説を書くようになったのは、中学生の時だった。

「主人公が自分の、妄想小説です(笑)。自分は将来、小説家になるものだと勝手に思っていたんですが、進路相談の時に担任の先生に呼び出されて、〝夢を持つのはいいけれど、現実的な将来もちゃんと考えたほうがいいよ〟と。確かに誰でもなれる職業じゃないし、地道に手に職をつけて働いていこうと方針転換しました」

 専門学校に進学し、歯科衛生士として働き始めたのちも、趣味の読書や映画鑑賞は続けていた。一九九〇年代後半から二〇〇〇年台前半にかけて数多く製作された、いわゆる「Jホラー」真っ只中の世代といえるが、

「幽霊とかお化けは、信じない人にとっては存在しないものじゃないですか。そうじゃなくって、やっぱり人間が一番怖いと思うんです。日本のホラーの定番は黒髪ロングの女性ですが、私にとっては『リング』の貞子よりも、望月峯太郎さんのマンガ『座敷女』に出てくる女の人のほうが強烈に怖い。現実にいるかもしれない、と思わされるからです」

 転機が訪れたのは四年前、三人目の子供を産んだ時だ。

「上の二人が保育園から帰ってくるまでの、家にいる時間を使ってできることは何かないかなと考えた時に、小説を書いてみたいな、と。やっぱり小説が好きだし、夢を諦めきれない気持ちがくすぶっていたと思うんです」

 三作目の作品が、受賞作となった。その前の二作とは、何が違ったのだろうか。

「その前の二作はまったくホラー的な要素はなく、どちらかというと中学時代の妄想小説に近い、私自身の性格や生活環境と似ている主人公のお話でした。『スイート・マイホーム』も決してホラーにしようと思って書き出したわけではないんですが、初めて男性が主人公だったんですよね。特に狙いもなく〝家に何かがいるお話になるんだろうなぁ……〟と思って書き出してみたら、主人公が男性で、登場人物たちにどんどん怖いことが襲いかかるお話になっていった。きっと、誰にも感情移入していないからこそ、こういうお話が書けたんだと思います」

 登場人物たちと自分をしっかり切り離せているからこそ、最悪に向かって突き進む彼らの行動にブレーキをかけず、その様子を冷静に見つめ続けることができたのだ。

恐怖は現実を生きていくうえで必要

 実は、事前にプロットは一切作らず、一行目からアドリブで書き進めていったそうだ。家の中にいる「何か」の正体も、思い浮かんではいなかった。にもかかわらず物語は破綻することなく、なめらかに細部のエピソードが連なっていく。完成後に伏線を足したり整合性を図るために加筆修正するようなことは、ほとんどしなかったというから驚きだ。

「『スイート・マイホーム』の世界がどこかにあって、それを覗きに行って見聞きしたものを書いた、という感覚なんです。例えば、パソコンを立ち上げて、前日の続きを覗きに行ったら賢二が奥さんと喧嘩をしていて、真冬にサンダルでどこへ行くかと思ったら、浮気相手の家だった。〝ちょっと、浮気してたの!?〟って(笑)。特に終盤は、〝あなただったの!?〟と驚かされることがたくさん起こりました」

 本作の最大のオリジナリティは、最終章にある。家の中にいる「何か」が「何者」だったか、正体が明かされ、物語が再起動を果たす。この転換点に関しては、著者自身の強い意志が作用していた。

「その人物は賢二たちに恐怖を与えたわけですが、行動の裏にはその人物なりの狂気に陥る理由や悲しみがあるんじゃないかと思ったんです。それがなければ、話が成立しない。ただの異常者、ただのおかしな犯罪みたいになってしまう。それは書きたくないので、本人に喋らせてみようと思ったんですよ。その時は意識的に、その人物にカメラを向けていった感覚がありました」

 ラストで描かれるのは正真正銘、極限の悪だったが、「自然とここへ辿り着いたんです。書いている時は気づかなかったんですが、読み返した時に自分でも〝ひどい!〟って(笑)」。

 自分はいかにキングから影響を受けているかということも、書き終えてみて気づいたという。そして、平穏な日常を一旦遠ざけてまで、恐怖という感情に触れにいく理由も。

「キングと同じくらい尊敬しているクリエイターは、映画監督のクリント・イーストウッドです。イーストウッドの映画も、キングの小説と同じように、理不尽さややるせなさをとことんまで描いていることが多いんですよね。例えば『ミスティック・リバー』や『ミリオンダラー・ベイビー』は、観ていて本当に苦しいししんどいし、イーストウッドの映画なんてもう二度と観るもんかと思うんですけど、でもまた観てしまう。たぶん、表面的に取り繕ったものの奥にある人間の本質に触れたり、〝世界は、本当はこんなふうにできているんだ〟と知っておくことは、現実を生きていくうえで必要だ、と無意識のうちに感じているからだと思うんです。現実では絶対に味わいたくない感情だったり経験だけれども、この世界の真実を見てみたい。だから、恐怖に繋がっていく感情が描かれた物語を読みたいと思うし、自分でも書きたいと思う気持ちがあるんですよ」

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神津凛子(かみづ・りんこ)
1979年長野県生まれ。歯科衛生専門学校卒業。第13回小説現代長編新人賞を受賞し、2019年「スイート・マイホーム」でデビュー。長野県在住。

(文・取材/吉田大助 撮影/浅野 剛)
〈「きらら」2019年7月号掲載〉
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