若竹千佐子さん『おらおらでひとりいぐも』
そこにふさわしい私が出てくる。
矛盾の中に、たくさんの「私」がいるんです。
「いつか、きっと小説を書くのだ」。幼い頃から抱いてきた夢が、六十三歳で実を結んだ。しかもデビュー作での芥川賞受賞というこれ以上ない華々しい形で。『おらおらでひとりいぐも』が五十万部を突破した旬の人・若竹千佐子さんに、これまでの歩みと、小説に賭ける思いについてお話を伺いました。
思い通りにならない人生のはずが
──子どもの頃から作家になることを目指していたそうですが、小説を書き始めたのはいつ頃からだったのでしょう。
若竹……大学を卒業したあたりから、ちょこちょこと書いてはいました。他人様に見せられるような小説を仕上げられるようになった、という意味では五十歳を過ぎてからでしたけれども。ただ、若い頃からずっと、感じたこと、考えたことはノートに書きつけてはいましたね。結果的にはそれが、小説を書く練習にはなっていたのかもしれません。
──大学卒業後は、故郷の岩手で教師を目指していたそうですね。
若竹……国語の先生に憧れていたんです。子どもが好きだったし、教科書に載っている話を授業で教えるのは面白そうだな、という感じで。母からも「職業婦人になりなさい」と言われていましたから。職業婦人なんて、今の人にとっては死語かもしれませんが。岩手で教師になって、好きな小説をちょぼちょぼ書きながら暮らせれば……という未来をイメージしていたのですが、結局、どちらの夢も叶わなくて。結婚して、上京して、人生って全然思い通りにならないものだな、と思っていたんです。まさか六十三歳で作家になれるなんて、自分でも本当にびっくり、びっくりですよ。
──『おらおらでひとりいぐも』の主人公・桃子さんは七十四歳。東京オリンピックの年に上京し、一男一女を産み育て、妻として母としての人生を歩んできた、ごく平凡な専業主婦です。その彼女が、夫を喪った悲しみの中で半生を振り返っていく──。この設定は、若竹さん自身の体験に根ざしているのでしょうか。
若竹……はい。桃子さんは、私自身への取材を基に創造した人物です。私は八年前に夫を亡くしたのですが、そのとき初めて「絶望的な悲しみってこういうことなんだ」と知って、目の前が真っ暗になったんです。それまでは努力すれば何とか道は拓ける、という感覚があったのですが、死はそうじゃなかった。いくら呼び戻そうとしても、呼び戻せない。親の死は順繰りだから、と思える仕方なさがあったけれども、配偶者の死はそれだけじゃ気持ちが処理しきれなかったんですね。「ひょっとしたらこのまま、自分はおかしくなってしまうんじゃないか」と思えるくらいに。そんな私を見た息子が、「外に出ないとダメだ。小説講座にでも行ってみたら」と勧めてくれて。故郷の遠野で四十九日の法要を終えて帰ってきた翌日から、東京・八丁堀の小説講座に通い始めたんです。
──小説講座では具体的にどんなことを学ぶのでしょう。
若竹……それぞれが書いた小説を持っていって、みんなで読んで、批評してもらう。その繰り返しですが、そういったやり取り自体がすごく面白かったんです。その時間だけは悲しみを忘れられたし、小説を書きたいと思っている仲間がいっぱいいるんだということにも励まされた。そういう日々を繰り返していくうちに、悲しみは悲しみとしてあるけれども、ひとりの生活もそれはそれで面白いな、と少しずつ思えるようにもなってきて。悲しみと二人連れなんだけども、悲しみが少し小さくなったり、また大きくなったりするときもある。行ったり来たりする日々の中で、桃子さんのような孤独なおばあさんの話を書いてみたくなりました。
東北弁の語りがもたらすリズムと躍動感
──この小説を語る上で外せないのは、桃子さんの内なる声としての東北弁です。〈あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如にすべがぁ〉という躍動感あふれる冒頭の一文、〈おらだば、おめだ。おめだば、おらだ〉のリフレインの心地よさ。語りの勢い、リズムがとても魅力的ですね。
若竹……耳で聞いても楽しいような小説にしたい、という気持ちもありましたが、この小説は大きなドラマなんて一切起きない、おばあさんの脳内の討論会なんですよ。そうなると彼女の故郷の言葉である東北弁を抜きにすることは考えられなかった。標準語ってやっぱりちょっと身構えた言葉でしょう? 体裁を取り繕って、ちょっといいふりこいてしゃべる言葉だから、桃子さんの本当の気持ちを表現するんだとしたら、やっぱり彼女が生まれ育った言葉じゃないと正直に言えないと思ったんです。
──妻となり、母となり、歳月を積み重ねた桃子さんの半生は、世間一般の目で見れば決して不幸ではないはずです。けれども老いて孤独になったとき、彼女は初めて自分がきちんと人生を生きてこなかったことに気づいてしまう。
若竹……「山姥」や「黒塚」のように、古典や能の世界では老女がよく出てきますよね。あれは女の人の解放されたひとつの典型だと思うんです。中年以降の女性が妻とか母といった役割を少しずつ脱ぎ捨てていって、自分で自由にものを考えて生きられるようになる。そういう小説を、老いを生きることに価値を見出す物語を描きたかったので。
──そういったテーマに着目するようになったきっかけは何だったのでしょう。
若竹……四十代前半か、もっと前からかな。自分の中の「幸せなのに、ちょっと寂しい」みたいな気持ちがあって、それは一体どこから来るんだろうって不思議に思ったんです。その理由を知りたいと思って心理学関係の本を読んでいくうちに、河合隼雄さんの著書に出合ったんですね。そこですごく「ああ、なるほど」と納得できたことがたくさんあって。河合先生は「補完」という言葉で説明されているのですが、ひとりの人間の中にはもともと矛盾したいろんな要素があるんですよ。居丈高だけど、実は小心者とか。でも、誰もがそういう風に相反するものを補完しながら、ひとりの人間として調和を目指そうとする。
──自分に欠けているものを他者で補ったり、役割を演じることで関係性を安定させたり……。夫婦や親子のような身近な人間関係も、無意識の「補完」で成り立っている部分は大きい気がします。
若竹……そうそう。私自身も「妻」だった時代は、結構それなりに「お嫁さん」をしてきたわけですよ。夫を立てて、かわいらしく振る舞って。でも、夫と死別してしまって、ひとりになったら、かわいらしい部分は段々と退いていって「ひとりでも大丈夫だ。頑張れ、お前」って声が内側から湧いてくるようになった。人生のいろんな状況の中で、その都度、そこにふさわしい私が出てくる。矛盾の中に、たくさんの「私」がいるんです。
──夫を愛していた。それは嘘じゃない。けれども、〈その人に合わせて羽をおりただみ、その人に合わせで羽を動かす。苦しくなくてなんだべが〉という言葉もまた嘘偽りない本心であるということ。「愛」という大きくきれいな言葉で、自分の本当の欲望や願いを誤魔化してしまう。この罠に陥ってしまう女性は、今も昔も少なくないかもしれません。桃子さんの姿に自分自身、もしくは母や祖母の苦しみや後悔を重ね合わせて、身につまされる読者もいるはずです。
若竹……でも、年を取ってみないとわからないことって、いっぱいありますよね。若いときは変なところで縮こまってしまうけれども、年齢を重ねていくうちに、人はどんどん解放されていくと思います。だから私は二十歳のときの自分よりも、今の六十三歳の自分のほうが、ずっと賢くなっていると思っていて。だって、「自分にはこんな一面もあるんだ」「こんな部分もあるんだ」という経験値やデータがたくさん集まっていく一方ですから。心って、生きている限りはずっと成長していくものだと思うんです。
青春小説の対極にある「玄冬小説」
──語り手は桃子さんひとりですが、彼女の中には「柔毛突起」のようないくつもの内なる声が存在しています。老いを知り、ひとりになった桃子さんがたどり着いた地平は、寂しいようで実は賑やかで拓けている。本作を青春小説の対極をいく「玄冬小説」と名付けたのはご自身だそうですね。
若竹……文藝賞の「受賞の言葉」を書いているときに、たまたま、ふと玄冬小説という言葉が浮かんだんです。ちょっとハッタリのつもりでしたが、帯に書かれるくらい後を引くとはまったく思いませんでしたね。
──四季でいえば冬の時期だからこそ、見えてくる真理もある。〈ほんとは子供より自分がだいじだったのだ〉という桃子さんの独白も、老いたからこそ言い切れる言葉では。
若竹……これは私の体験からですが、母親が「子どもよりも自分のほうが大事だ」と言い切ることは、むしろ子どもにとってはありがたいことだと思うんです。そうじゃないと子どもは、お母さんのために生きなきゃ、という気持ちになってしまう。「母さんは自分よりも俺のほうが大事だ」と子ども自身が思い込んでしまうと、大人になってから後々、どちらも苦しくなってしまうんです。
──それでも日本はまだまだ、母性神話の呪縛が根強いです。
若竹……母親の望みを背負いながら、自分の夢を叶えようなんて思ってしまったら、苦しいだけ。だから、子育て中のお母さんは、「子どものために生きる」なんてことは絶対に言わないでほしい。私自身も、自分の子に対してそんなことをしてしまったんじゃないか、という痛みがあるんです。
──親としての役割を全うした後には、再び自分自身に戻る時間がやってくる。老いてからの人生が長くなったからこその課題ともいえるのかもしれません。
若竹……老いってね、結構長いですよ。六十から九十までだと考えても、三十年間もあるわけですよ。その歳月を何も考えずに、昨日の次の今日といった感じでなし崩しに続けていくことは難しい。だからこそ意識的に、老いに立ち向かっていこう、馴染んでいこう、という気持ちがあるんです。向き合い方は人さまざまなんだろうけど、老いには老いの喜びも当然ある。老いていく過程でどんどん拡張するものも、絶対にある気がしているので。それがどういうことなのかを知りたい。私はもうひとりですから、ひとりで生きていく老いの喜びを楽しもう、と思っています。
「書く」喜びだけで帳尻はもう合った
──〈赤に感応する、おらである。まだ戦える。おらはこれがらの人だ〉。終盤の美しく、力強いこの独白は、七十四歳の桃子さんの独立宣言のようです。娘でも妻でも母でもない、「私」としてスタートラインに立てたからこその言葉ですね。
若竹……私はひとりで生きていくことが、もっともっと社会的に認められていいのに、と思ってるんです。今はもうずっと独身でいることを選ぶ人も増えていますよね。ひとりは否定されるべきものじゃないし、生き方として絶対にありだろうと思っていて。私自身、亭主が死んで、この先のひとりの人生にそんなに大きな変化がないだろうと思っていたんです。でも小説を書いてみて、あれこれ工夫したり、どういう展開にしたらいいだろう、なんて考えながら書くことが、今はもう本当に面白くて仕方ないんですね。たとえ芥川賞を取れなかったとしても、自分の中では「小説を書く」という喜びだけで、もう十分に帳尻が合っているんです。名誉欲や野心みたいなものは、もう自分の中に全然ありませんから。
──次作の構想はもうありますか。
若竹……文体にはこだわりつつも、笑える小説を書いてみたいですね。笑えるというか、耳で聴いても楽しいような小説を。自分に負荷をかけ過ぎないで、ゆっくりでも書いていくことができれば、と思っています。
(構成/阿部花恵)
(「きらら」2018年4月号特別インタビュー 掲載)
若竹千佐子(わかたけ・ちさこ)
一九五四年、岩手県遠野市生まれ。岩手大学教育学部卒業。五十五歳から小説講座に通い始め、八年の時を経て『おらおらでひとりいぐも』を執筆。二〇一七年、同作で第五十四回文藝賞を史上最年長の六十三歳で、二〇一八年に第一五八回芥川賞を受賞。