芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第40回】読みやすい実験小説

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第40回目は、赤染晶子『乙女の密告』について。アンネ・フランクと現代女性の邂逅を描いた、読みやすい実験小説について解説します。

【今回の作品】
赤染晶子乙女の密告』 アンネ・フランクと現代女性の邂逅を描く

アンネ・フランクと現代女性の邂逅を描いた、赤染晶子『乙女の密告』について

舞台は女子大です。閉ざされた花園のような場所。乙女たちが絵空事のように「文学」というものにひたっている。何だか少女漫画の世界みたいですね。学んでいるのがドイツ語だというのが、一昔前の文学部みたいで、懐かしい感じです。いまはドイツ語やフランス語を学ぶ学生は少なくなりました。実用英語と中国語の全盛時代です。学生たちは就職のことしか考えていない。文学などにひたりきっていたら、時代から取り残されてしまうと、いまの若者たちは考えているのではないでしょうか。

でもここに出てくる乙女たちは、まじめに文学について考えます。文学といっても、ここでテキストとして使用されているのは『アンネの日記』なのですが。最近、本屋さんの棚にある『アンネの日記』を次々に破っていく変な犯罪者が出現して話題になりました。第二次大戦中、ドイツのカリスマ指導者のヒトラーは、ユダヤ人差別を民族団結の推進力にしようとして、ユダヤ人を見つければただちに捕縛して収容所に送り込み、殺していくというとんでもない政策を推進していました。それで建物の隠し部屋で家族とともに隠遁生活していたユダヤ人の女の子の日記。それが『アンネの日記』です。

自由を奪われた女の子の悲しい日記。でも感受性にあふれたすばらしい精神の記録です。もしも戦争とか差別とかがなければ、ふつうに生きて、ささやかな幸せをゲットできたのではないかと思われるこの少女が、日記を遺したために悲劇のヒロインになってしまう。これはフィクションではないただの日記なのですが、アンネの置かれた状況そのものがドラマチックであり、また自由を束縛する権力に対する抗議にもなっているので、まさに文学的なテキストだということもできます。

楽しいストーリーの中に人間の本質を描く

今回の作品『乙女の密告』には、風変わりなドイツ人の教授が出てきます。この人はゼミの学生を二つに分け、対立をあおるような論争ゲームをさせる。そのことによって乙女たちは、人格が歪むような神経戦を強いられることになります。このヘンな教授は、人形を偏愛しているのですが、誰かがその人形を盗んでしまって……。そんなふうに話は展開していきます。

魔法使いは出てきませんし、超能力がそなわる杖とか指輪は出てきません。人が空を飛ぶこともなく、白い馬に乗った王子さまも出てこないので、リアリズムの小説のようにも見えるのですが、何かヘンです。この乙女たちの言動は、ふつうのリアリズムではなくて、あえて言えば少女漫画のパロディーのようでもあり、美しい乙女の体内に秘められた邪悪な欲望をさらけだす、悪意に充ちた仕掛けのようにも見えます。とにかくこの作品は、実に巧妙に計算された作品であり、作者は一筋縄ではいかない緻密な計算によってこの奇妙に屈折した作品を構想したのだろうと思われます。

ここに出てくる乙女たちは、どこにでもいるふつうの女の子たちです。ところがこのふつうの女の子たちが、集団になって相手を批判するようになると、何だか性格が歪んでくる。最近、ヘイトスピーチという、在日の外国人を集団で罵倒するという、どことなく異様な活動が行われるようになりました。その中で、熱狂的なほどの勢いで差別的な演説をする若者たちの姿が、テレビで紹介されたのを見たことがあります。ぼくはふと、何年も前に芥川賞を受賞した、この『乙女の密告』という作品を想い起こしました。ふつうの女の子の中に、ものすごく残酷な悪意をひそんでいる。もしかしたら、第二次大戦中の日本にも、こんな乙女たちがいたのではないか。

そんなことを考えるのは深読みなのかもしれませんが、とにかくこの作品は、あまりリアルとはいえない設定の中に、人間というものに本質的にそなわっている悪意みたいなものがじわじわとわきだしてきて、読みやすくどこかとぼけた展開の中で楽しくストーリーを読んでいくうちに、何だかドキッとするような恐ろしい状態に遭遇してしまうという、読みやすくて最後はコワイという、文学の王道みたいな作品ではないかという気がします。

読みやすくユーモラスな文体

これも一種の実験小説なのでしょう。ふつうの小説ではありません。新人の書くものはそれでいいのです。ふつうの小説を書いたのでは、新人は下手に決まっているのですから。下手でもいいから、この小説、見たことがない、というようなヘンなものを書いてしまうところに新人のパワーがあり、新人賞の王さまともいえる芥川賞の魅力があるのだろうと思います。

このヘンな小説の全体の構想は、実に周到に計算されたものですので、真似るというわけにはいかないでしょうが、それでも学ぶところはあります。文章が読みやすいですね。これはすごいことです。誰も書いていなようなすごい小説を書いてやろうと考えると、どうしても肩に力が入って、ものものしい文体になり、文章そのものがヘンなものになって、読者にとっては難解でとても読めないものになってしまいがちなのですが、この実験的な作品を、これほど読みやすく、時にはユーモラスに語ってしまう、この文章の魅力は印象的です。

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初出:P+D MAGAZINE(2018/03/22)

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