白尾 悠さん『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』*PickUPインタビュー*

白尾 悠さん『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』*PickUPインタビュー*
 住人たちが協働して生活していくコレクティブハウス。そんなユニークな場所を舞台にした連作集が、白尾悠さんの新作『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』だ。各世帯それぞれの事情、そしてハウス内の隣人関係を描くなかで、さまざまな生き方が見えてくる。
取材・文=瀧井朝世 撮影=浅野剛

 集合住宅の中に、各居室のほか共有リビングや食堂があり、住人たちが協働して生活するコレクティブハウス。そんなスタイルを取り入れるココ・アパートメントを舞台にした連作集が、白尾悠さんの『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』だ。

 コレクティブハウスは北欧で始まった生活スタイルで、国内でも2003年に設立された日暮里の「コレクティブハウスかんかん森」などがあるという。白尾さんはなぜ、このスタイルに興味を持ったのか。

「コレクティブハウスかんかん森のことは、テレビか何かで見て知っていました。私の母もずっと興味を持っていて、コロナ禍で実家じまいをしたのを機にコレクティブハウスに入居したんです。そうしたらすごく楽しそうで。編集者さんとの打ち合わせの際にその話をしたら、面白がってくださったんです」

 そこから執筆を決め、取材も開始した。

「多世代が住んでいるコレクティブハウスを書きたいなと思いました。母が入居したところは小さなお子さんがいなかったので、ハウスを運営しているNPOの方にお願いし、ファミリーの方から独居の方まで多世代が暮らしている規模の大きなところと、別の小さい規模のところを取材させていただきました」

 他にも関連本などで海外の例なども調べ、ココ・アパートメント像を作り上げていった。建物は三階建て。居室は3LDKや2LDK、1DKのほか、ルームメイトと暮らすシェアタイプの部屋もある。各居室にキッチンやトイレは完備されており、それとは別に共有のキッチン、ダイニング、リビング、ランドリールームや多目的ホールがある。運営はNPOだが管理の主体は住人で、居住者組合は理事長を置かないリーダー不在ポリシー。NPOの担当者も同席する定例会は多数決ではなく、合議制だ。各委員会や掃除当番、食事当番は世帯単位でなく個人単位で担当。食事当番というのは、月に数回、住民みんなで食事をする共同食事会があり、その際に調理する当番のことだ。

 第1章の主人公は名門高校に通う十七歳の賢斗。父親が海外赴任となり、家族のなかで一人だけ日本に残ることになった彼のため、親が見つけてきたのがココ・アパートメントだ。彼は、シェアタイプの部屋で康子さんという七十代の女性と暮らすこととなる。康子さんは生活の達人で、世界各国のメニューにも詳しいユニークな人である。

「コレクティブハウスについては読者もあまり知らないだろうと思い、第1章は同じように何も知らない賢斗君を主人公にして、いろんな驚きや戸惑いを書くことにしました。康子さんと部屋をシェアすることにしたのは、コレクティブ関連の本に、歳の離れた人と部屋をシェアした方の話があったんです。歳の差のある人同士、しかもほとんど正反対の属性の人同士の〝近居〟の話は面白いだろうと思いました。賢斗君の家庭はお母さんが専業主婦で、お父さんが会社の偉い人で家事は一切やらないんですよね。そんな様子を小さい頃から見てきた彼がこの生活のなかでどんなことを感じるだろうかと想像していきました」

白尾悠さん

 賢斗は食器洗いも上手くできず、康子さんに驚かれる。

「康子さんは小さい頃から全部自分でやってきた女性なので、なにもできない賢斗君を見て、侮蔑でなく、純粋にびっくりするんですよね。ただ、康子さんについては、賢斗君を導くような、都合の良い存在にはしたくなくて。つかず離れずのよい距離感になったらいいなと思いながら書きました」

 この章では賢斗の学校生活も描かれる。彼は、裕福な家庭の息子で容姿に恵まれ、思いあがった(ように読者には感じられる)友人に辟易しているが、そこで、ある出来事が……。

「この章では、ジェンダー問題などで加害側になってしまう男性についても書きたくて。前に観た『ウーマン・トーキング』という映画で、男性たちの集団加害があったコミュニティで、十代の少年たちを潜在的脅威と看做すか、みたいな議論があったのが印象に残っていました。それで、賢斗君がジェンダー問題に直面する話を書きたかった」

 というように、本作ではココ・アパートメントでの暮らしぶりだけでなく、各章の主人公が抱える、もしくは直面する問題も丁寧に丁寧に掘り下げられていく。

 第2章の主人公、由美子はこのマンションの住人ではない。妻を亡くしてシングルファーザーとなった兄の義徳がここに入居しており、彼女は小学生の甥っ子の面倒を見るために時折やってくる。甥っ子を寝かせた後、共用リビングで顔見知りとなった住人女性たちと軽く飲みながら語り合う様子は居心地がよさそう。

「私もハウスに取材に行った時、リビングで話していたら他の人がふらっときて〝ビールあるけど飲む?〟と誘われて飲んだことがあったんです。友達とまではいえない距離感の人たちと〝お互い仕事で疲れたよね、一杯だけ飲んでやすみましょう〟みたいな雰囲気がすごくいいなと思ったんです」

 第3章の主人公、享は恋人の茜と暮らしている。結婚を考えていないわけではないが、子供はほしくないという三十代の男性だ。

「コレクティブハウスでは子供たちの存在が大切だと聞いていたので、ファミリーは登場させるつもりでした。ただ、〝子供ありき〟の視点ではないところも書きたくて。男性でも女性でも子供を持つことをためらう方はいらっしゃいますよね。まだ自信がないとか、別にそこまで子供好きではないとか、経済的な理由とか……。享君のことはイマドキの三十代の男性というところから、彼の思いを探っていくように書いていきました」

 幼い子供がいる家庭にとっては、親同士が助け合える、子供同士に交流が生まれるコレクティブハウスは利点が多いようだ。第4章の主人公、聡美は、ようやく裁判離婚が成立したシングルマザーだ。

「北欧の元祖コレクティブハウスにはシングルマザーのご家庭が多いと聞きました。ただ、シングルマザーというとフィクションの中ではDV離婚や経済問題と結び付けられがちな印象があるので、聡美さんはそのイメージから離したくて、専門職の人にしました。そもそもコレクティブハウスは組合費もあり決して安いわけではないので、シングルマザーでも経済的な基盤がある方が多いのではないかと思います」

 聡美が離婚を決意した理由は複合的だが、決め手となった夫の行動が強烈だ。

「ああいう出来事は、実は高い割合で実際に起きていると知り愕然としたことがあります。それでも離婚できない母親は多いと思いますが、とにかく子供を守ってほしいという気持ちから、聡美は強い人になりました」

 彼女の娘、小学生の花野がいいキャラクター。聡明でマイペースで、すべてを将来漫画家になるための糧としてとらえているような子だ。

「何かを創作している、天真爛漫な子というイメージがありました。取材でコレクティブハウスに住んでいるお子さんたちとお話しした時、すごくしっかりしていて言葉も達者なことに驚いたんです。日頃から家族以外の大人とも接しているためか、物怖じしないんですよね。そこから花野ちゃんのキャラクターが固まっていきました」

白尾悠さん

 第5章の主人公、和正は共働き夫婦で発達特性がある子供を育てている。彼は子供が幼い頃、家族と〝共に暮らす〟ことを優先するため、出世を捨てて残業のない部署へと異動した。

「男性問題もずっと考えていることです。第2章の義徳さんもそうですが、バリバリ働いて稼ぐ男性を理想像としていると、いろんな歪みが生まれるように思います。なので、ちゃんと自分の弱さを自覚する男性を描きたかった。和正さんは上場企業で働いていて、そのままキャリアを積んでいたら賢斗君のお父さんのようになりえた人です。でも彼は、自分は出世トラックに乗って何がしたいんだろうと考えたんですよね」

 この和正の子供たちも魅力的で、物語の随所で顔を見せてくれている。

 第6章では、康子さんの過去が明かされる。山間の村の貧しい家に生まれ、思わぬ幸運で高校に進学し、川崎で就職するが故郷に戻ることとなり……。これだけで一冊の本になりそうな波乱万丈な人生だ。

「康子さんは、1970~80年代にアウトサイダーとなり、コミュニティから去らざるを得なかった人というイメージから肉付けしていった感じです。コレクティブハウスという題材は母から得たものですが、康子さんの背景の題材は父を通して得たものです。父は福島の旧帰宅困難地域に移住してNPOをやっていて、私は別の小説で書くつもりでコミュニティの高齢女性たちにインタビューしてきたんですね。そこに住む農家の女性たちが80年代に海外研修に行ったという体験文集などが、康子さんの過去の経験の参考になりました。今回はあくまでも、知られざる康子さんの背景ということで少し触れただけなので、いずれ別の機会にちゃんと書こうと思っています」

 各編のなかで、以前ココ・アパートメントに住んでいた家族や、大家の勲男さんらも登場。じつにさまざまな生き方が見えてくる。

「取材をするなかで、本当にいろんなご家族に出会ったんです。家族というのはひとつの形だけじゃなくて、それぞれの事情や個性によってさまざまな形があるのが自然なんだと実感しました。〝理想の家族像〟みたいなものは今後崩れていくだろうなとも感じました」

 全編を通して住人たちの関わり合い方も見えてくるが、それは決して友人以上のものではなく、あくまでも〝隣人〟という印象だ。

「NPOの方にお話をうかがったところ、シェアハウスをイメージして入居した若い人に〝みなさんなんかドライでちょっと違いました〟と言われたこともあるそうです。実際、コレクティブハウスは完全に独立して暮らそうと思えばできるんですよね。リビングで開催されるイベントは参加自由だし、共同食事会では食事を自室に持ち帰ることもできる。それに、私が取材した方達の中には、お互いの部屋には入ったことがないという人が結構いました」

 ただし、もちろん協働のためのルールはある。小説にある通り委員会は参加必須、食事の当番は世帯単位ではなく個人単位で担わねばならない。また、定例会は合議制のため長引くことがあり、それが面倒臭いと言って出ていく人もいたという。

「だから、このスタイルが合うか合わないかは人によると思います。爆発的に普及するタイプの暮らし方ではないかもしれませんが、暮らし方のひとつの選択肢としては、ありだなと思う。私の世代はずっと独身でいるのはよろしくない、と言われてきましたが、今やっと一人という生き方も認められてきて、さらに、一人でいつつ誰かの隣りにいる、という生き方が出てきたなという感じ。自分にとって心地いい暮らし方を、自由に、積極的に探っていっていいんだな、と思えるようになりました」

 では、このタイトルにはどんな思いがあったのか。

「この小説の根底にあるテーマは隣人ですが、ネットで〝隣人〟で検索をかけると関連ワードで〝うるさい〟って出てくるんですよ(苦笑)。隣人が歌っていたり、音楽をかけていたりしてうるさい、って。確かにうるさいのは嫌ですけれど、完全に切り離すのもどうなのか……みたいな気持ちがあって、このタイトルになりました」

白尾悠さん

 第1章で康子さんが賢斗に、「おらたちは、いやんべな隣人だ」と言う。いやんべとは「いい塩梅」という意味だそうだ。本書全体から、まさに、ほどよく距離を保った〝いい塩梅の隣人〟関係が浮かんでくる。

「私自身は一人暮らしを楽しんでいますが、東日本大震災の時やコロナ禍の時に、隣の人と〝不安ですよね〟などと声を掛け合えるのっていいなと感じたんですよね。自ら望んだわけではない事情で押しつぶされそうな孤独感を持つ人もいるし、最近は完全孤立した状態が引き起こす辛い出来事が多い気がします。そういう時に、隣人とちょっと声を掛け合えたり、会釈し合える関係だといいなと思って。お互い、家族や友達にはならなくても、良い隣人ならなれるチャンスはあるはず」

 生活について、人との距離感について、さまざまなことに気づかせてくれる作品である。

隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい

『隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい』
白尾 悠=著
双葉社

白尾 悠(しらお・はるか)
神奈川県生まれ。アメリカの大学を卒業後、日本で外資系映画関連会社勤務などを経て、フリーのデジタルコンテンツ・プロデューサー、マーケターに。2017年「アクロス・ザ・ユニバース」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞と読者賞をW受賞。著書に、受賞作を含む『いまは、空しか見えない』や、『サード・キッチン』『ゴールドサンセット』がある。


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