白尾 悠さん『ゴールドサンセット』

白尾 悠さん『ゴールドサンセット』

この年齢だからこそ身体が語る部分がある

 人間の身体の豊かさ、人生の輝きを感じさせてくれる作品。それが白尾悠さんの新作『ゴールドサンセット』。中高年限定の劇団のメンバーと彼らと関わる人々の人生模様を浮き彫りにする本作のきっかけは、実はとても身近なところにあったという。


きっかけは母親の女優デビュー

 白尾悠さんの新刊小説『ゴールドサンセット』は六幕仕立て。「章」ではなく「幕」とあるのは、モチーフが劇団だからだ。各幕、年齢も立場もさまざまな男女が主人公だが、読み進めるうちに気づくのは彼らの周囲に誰かしら、中高年限定の劇団に関わる人間がいること。この題材を選んだきっかけは、実体験だったという。

「母が定年後に女優デビューしたという、ウソのようなホントの話がありまして……。母はずっと蜷川幸雄さんのファンで、蜷川さんが〈さいたまゴールド・シアター〉という五十五歳以上限定の演劇集団を立ち上げた時、蜷川さんに会えるかもしれないという軽いノリで応募して受かったんです。演劇経験もなかったので、もう家族みんなびっくりでした(笑)。舞台はもちろん蜷川さんが演出で、名だたる方々が戯曲を書き下ろして、役者に当て書きもされたりしていて。海外の演劇祭で上演したりもしていました。蜷川さんがお亡くなりになったことと、コロナ禍の影響で劇団は解散してしまったんですが」

 編集者との打ち合わせでそのことをモチーフ案として話したところ面白がってもらった。最初に書いたのは第三幕の「二年前 ゴールデン・ガールズ」だったという。定年退職した吉松一雄が、以前仕事を発注していた広告代理店の女性と街で再会し、誘われるままに劇団のワークショップに参加する。そこで団員の実体験をベースにした短いシナリオを二人組となって演じることとなる。

「岩井秀人さんがゴールド・シアターで『ワレワレのモロモロ』というワークショップ形式のお芝居を作ったことがあって。参加者が自分の体験を書いて戯曲化して演じるというもので、すごく面白かったんです。母から練習の時のことを詳しく聞いたり、別のワークショップの助手をした時に作っていたノートを見せてもらったりもしました」

 戸惑いながらワークショップに参加した一雄を待っていたのは、思いもよらぬ一撃だ。

「この第三幕がハラスメントの加害者と被害者の話だったので、編集者が全体を通してハラスメントというテーマを扱ってはどうかと提案してくださったんです。それでその後は、高齢者の劇団の話という骨格は残しつつ、ハラスメントにまつわるストーリーを繫げていく形となりました」

古典戯曲とシンクロするさまざまな人生模様

「リア王」「三人姉妹」「サロメ」……。どの話にも、古典的な戯曲が絡む。登場人物の置かれている状況と戯曲内の台詞のシンクロ具合が絶妙なのだが、当初から考えていたわけではなかったという。

「毎回戯曲を出すことは後から決めたんです。なるべく多くの人が知っているものにすることにして、『リア王』『三人姉妹』以外は話の結末まで書いてから、いくつも戯曲の候補を出して、どう絡めていくかを考えていきました」

 第一幕「今日 ひろった光」の主人公は、中学生の上村琴音。学校でのハラスメントなど理不尽なことが続き〝この世界から消える〟ことばかり考えている彼女が、公園で外見も振る舞いも怪しげな老人に出会う。

「スクールハラスメントのことが頭にありましたが、コロナ禍になってから女の子の自殺が増えたという話や、世代間対立の話もよく見かけるようになるなど、オンタイムでいろんなことが起きていて。自分の中でも見え方、感じ方に変化があり、少しずつフォーカスが変わっていきました」

 第二幕「三年前 金の水に泳ぐ」の主人公は四十代の太田千鹿子。十八年勤務した会社から解雇を言い渡され、家族からは婚活を勧められうんざりしていたところ、独身の叔母、紀江から意外な頼み事をされる。これは、ご自身の母親との体験を叔母と姪に置き換え、膨らませたものだという。

「これはデビューする前、女による女のためのR−18文学賞に応募して最終選考に残った短篇なんです。千鹿子のように私も母の台本の読み合わせにつきあったりしました。今回収録したものは応募した原稿と骨組みはあまり変わっていません。これを書いたのは会社を辞めた時期とそう遠くなかった頃。フリーランスになって仕事は安定していませんでしたが、楽しいこともあってそこまで暗くならなかったので、飄々とした人を書きたかったんです。実際、最終選考に残った時、選考委員の辻村深月先生から〝後ろ向きすぎず、かといって前向きでもない絶妙な描かれ方〟とおっしゃっていただきました。他にご指摘もいただいた部分は反映させて直しました」

 ここで登場する戯曲はチェーホフの『三人姉妹』。

「私はそこまでチェーホフを好きではなかったんですけれど、清水邦夫さん原作の母たちの舞台で『三人姉妹』の台詞を言い合う場面があって、それを観た時にしみじみと、いいなと思いましたね」

白尾悠さん

 この第二幕が劇団立ち上げから間もない時期の話であるため、その他の短篇の舞台となる時期もまちまちになっている。各幕のタイトルに「今日」「三年前」「二年前」などとあるのは、それを表したものだ。そのなかの「今日」が何を意味するのかは、最後に分かる。

 第四幕「一年前 なつかしい夕映え」は泣かせる話だ。一人で暮らす認知症の男性の視点から、孫息子が訪ねてきた日の出来事が描かれるのだが、実は……。

「この話もあるハラスメントに触れています。認知症に関しては、高齢者を書く上で避けて通れない部分かなと思いました。自分もいつかこうなるかもしれないし、身近にそうなった人もいたので関連書を読んだりもしていました。それと、俳優で介護福祉士の菅原直樹さんが中心になって設立された『OiBokkeShi(オイ・ボッケ・シ)』のワークショップに参加したことがあったんです。認知症ケアに演劇的手法を取り入れたり、高齢者や介護者とお芝居を作る取り組みをされたりしているんです。認知症の方の言動って、ご本人の頭の中では筋が通っているので、記憶違いがあっても周囲は否定するのではなく話を合わせていくそうです。彼らが見ているリアルを一緒に見ようとする、それが演劇に似ている、と言われたのが印象に残っていました」

 第五幕「半年前 黄金色の名前」の主人公は五十代の主婦、佐代子。夫は支配的な態度をとり、高校生の娘は反抗期。コロナ禍になって同居を始めた姑とは仲良くしているが、街で彼女が知らないお爺さんと一緒にいたのを見た、と娘から報告が。さて、その男の正体とは。ここで登場する戯曲がイプセンの『人形の家』といえば、どういうタイプのハラスメントか読者は想像がつくはず。

「これはお姑さんの話が先にあったんです。友人から、お祖母さんに晩年に恋人ができたらしく、お相手の方と会う時に隠れ蓑として連れ出されていろいろなものを買ってもらった記憶がある、という話を聞いたんです(笑)」

 次にくるのは「幕間」だ。これまでの短篇の登場人物たちが、意外な形で邂逅を果たすのだが、思わずニヤリとしてしまうことばかり。

「執筆初期の頃は、長篇でできたらいいよねと言われたりもしたんです。でも結局連作短篇となったので、いろんなところをブリッジさせようということで幕間を作りました」

 そして終幕「今日 ゴールド・ライト」では、劇団員の一人の役者のこれまでの人生、そして〝今日〟の出来事が描かれていく。

「過去にひどいことをした人でも、それとちゃんと向き合って大人としての誠意を見せることはできないかな、と考えて書きました。それともうひとつ、人間を役立つか役立たないかでジャッジする風潮が気持ち悪いなと思っていて。ここで再び『リア王』が出てきますが、『リア王』自体が、愛を測ろうとした王様の話ですよね。でも人間や人生って測れるものではない、という気持ちがありました」

人生の黄昏時に放つ輝き

 タイトルだけでなく、各幕、なんらかの形で必ず「金」「ゴールド」といった言葉やモチーフが出てくる。

「蜷川さんは、老人がシルバーと呼ばれるのを嫌がって、シルバーじゃなくてゴールドだ、と劇団名をつけたということで、そのゴールド・シアターにかけて全篇のタイトルにも金をちりばめました(笑)」

 人生の黄昏時にさしかかった人々の輝きが感じられる本作。本書を読んで、自分の身近にこんな劇団があればいいのに、と思う人も多いのでは。

「実際、興味をもっている人は多いようで、〈1万人のゴールド・シアター〉という大きな群集劇のプロジェクトがあった時にはものすごく反響があったそうですし、いまシニア劇団はとても多い。やはり演劇は身体を動かすので新鮮な体験だろうし、何かを表に出したいという人は多いんだなと感じます」

 ご自身も、ゴールド・シアターの公演を観劇して感じるものがあった。

「歳を経た身体の言語って豊かだなと思ったんです。若くてつるっとした容姿も魅力的ですが、歳を経た人の皺とか声のかすれとか。この年齢だからこそ身体が語る部分がある。蜷川さんが目指されていたものは本当に奥深いとつくづく思いました」

 人生の多様な生き方を肯定する本作。思えば前作『サード・キッチン』は90年代にアメリカに留学した女性が、さまざまなマイノリティと触れ合い、差別問題に直面し、自分の中の弱さや偏見に気づいて成長していく話だった。白尾さんの作品からは、いろんな立場の人間が共存し、前向きに生きていく道を模索する姿勢がうかがえる。

「前作もそうですが、声が小さくなってしまう人を書く、ということなのかなと思います」

 次作は、アニメ創成期にアニメーターとなった女性の物語。戦前から戦後にわたるアメリカと、現代の日本が舞台になるという。

ゴールドサンセット

『ゴールドサンセット』
小学館

白尾 悠(しらお・はるか)
神奈川県生まれ、東京育ち。米国の大学を卒業後帰国し、現在はフリーの企画者/マーケター。第16回「女による女のためのR−18文学賞」大賞、読者賞をダブル受賞し、2018年に受賞作を収録した『いまは、空しか見えない』でデビュー。他の著書に『サード・キッチン』がある。

(文・取材/瀧井朝世 撮影/浅野 剛)
「WEBきらら」2022年6月号掲載〉

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