連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第38話 嵐山光三郎さんの顔
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名作誕生の裏には秘話あり。担当編集と作家の間には、作品誕生まで実に様々なドラマがあります。一般読者には知られていない、作家の素顔が垣間見える裏話などをお伝えする連載の第38回目です。今回は、先日亡くなった嵐山光三郎さんの横顔が窺える、新宿を舞台とした交友について。時に舌鋒鋭く時代を切り取ったエッセイの名人が、独特なユーモアを持って生み出しだ作品の数々、新宿ゴールデン街や二丁目の文壇バーで繰り広げられた芸術論など……。編集者ならではの視点で振り返る、貴重なエピソードです。
嵐山光三郎さんが亡くなった。享年83。私よりふたつ年上だ。
嵐山さんは編集者、小説家、エッセイスト、テレビ出演者、CMキャラクター、料理人、競輪コメンテーターなど、たくさんの顔を持った人だった。私はいくつくらい嵐山さんの顔を知っているのだろう。
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嵐山さんに、はじめて会ったと言うより、見かけたのは新宿二丁目のバーだった。
私は、1968(昭和43)年に講談社に入社して、「小説現代」編集部に配属された。
すぐに先輩社員が、新宿の飲み屋、いわゆる文壇バーに連れて行ってくれた。
ゴールデン街の「唯尼庵」や新宿二丁目の「ナジャ」なんかだった。カウンターだけの小さなバーだったが、どちらの店も、ちょっとコケティッシュなママがやっていた。たぶん、その先輩の好みの女性だったのだろう。
「ナジャ」は、フランスのシュルレアリスト作家であるアンドレ・ブルトンが1928年に発表した小説のタイトルからとったそうだ。「NADJA」というスペルが、この自伝的小説に登場する女性の名である。
新宿二丁目の「ナジャ」の丸いコースターには、モノクロームの絵と文字が描かれていた。作者は若い頃の宇野亜喜良さんで、宇野さんらしい女性の裸体とヨーロッパの貴族ような男性が描かれていて、その脇に、「NADJA」と洒落た字体が添えてあった。
小説の「NADJA」は、1963年にブルトン自身による大幅な改稿がなされて、再出版されている。
たしか、壁には金子國義氏の妖しい雰囲気の絵がかかっていたと思う。
1960年代から70年代にかけて、新宿は新しい文化の発信地となった。いわゆるカタカナの職業が、その文化を牽引していったと言っていい。画家でなくイラストレーター、割り付け師でなくアートディレクター、写真家でなくカメラマンなどなど、出版業界でもそういった人たちと仕事を一緒にするようになった。
そういうアートな人たちが夜な夜な集まった一軒が「ナジャ」だった。
そこにたむろした芸術家の名前を、思いつくままに書いてみると、金子國義、宇野亜喜良 、合田佐和子、荒木経惟、細江英公、篠山紀信、沢渡朔、田名網敬一、浅葉克己、岩崎トヨコ、四谷シモン、唐十郎、篠原勝之、澁澤龍彦、加藤郁乎、金井美恵子、五木寛之、野坂昭如などといった、当時の新しい文化の担い手が集まっていたのだ。
前回の川崎長太郎さんが、ズラッと挙げた作家たちの名前と比較してみると、まったく変わっていることが分かる。
五木寛之さんが読売新聞に1969(昭和44)年から1970(昭和45)年にかけて連載した長篇小説『にっぽん三銃士』の最初の方の舞台も、「ナジャ」がモデルになっていると思われる。
小説の中では、「ナジャ」は「ネスパ」、店のマダムは「キキ」となっている。
少し引用してみると、
酒場ネスパは、風変わりな店である。
別にこれといった趣向があるわけでもないし、魅力的なホステスがいるというわけでもない。
それでもネスパは、良く流行っている。カウンターだけの小さなスタンド・バーだから、客が十人も坐ればたちまち満員である。時には坐りきれない客が立って飲んでいたりする。
新宿二丁目という、いわば中心部を外れた場所でこれだけ繁盛する秘密は、一体どこにあるのだろうか。
そして、「ナジャ」のマダムは、吉行淳之介さんのエッセイによると、銀座の文壇バーの老舗「エスポワール」のホステスをしていた女性なのだそうだが、もう少し、五木さんの文を引用しよう。
マダムのキキは変った女である。日本人にはめずらしい彫りの深い顔立ちで、口も目も鼻もバランスがとれないほど大きく、頬骨が高い。いつも浅黒い化粧をして、目もとにたっぷりシャドウを描きこんでいる。
と、ある。まさに「ナジャ」のマダムそのものである。
長々と「ナジャ」を紹介してきたが、嵐山さんに会った、当時の新宿の雰囲気を紹介したかったからだ。私はすぐにこの店の常連となって、多い時は、一晩に二度や三度も顔を出すようになって、いろいろな人たちの面識を得るようになった。嵐山光三郎さんもそのひとりだった。
その頃の新宿は、表立って、誰かを誰かに紹介してくれるということはなかったと思う。何度か遭遇しているうちに、なにを商売にしている人か、自然と分かってきて、挨拶や言葉を交わすようになり、気がつくと、仕事を頼んでいたりした。
はじめて見た嵐山さんは、瞳が光っていて、剽悍な印象をしていた。
アレが嵐山だと教えてくれた人は、続けて、「ヤツは喧嘩が強いんだ。この店で三傑に入るかな。相手の耳を、イキナリ引き千切るんだよ」と言った。
私は喧嘩には滅法弱い方で、そういう修羅場はなるべく避けて通りたいと思っている。耳を引き千切ると聞いて、思わず、私は、自分の耳を触ったものだ。この耳を引き千切られたら、私は眼鏡がかけられなくなってしまう。少し離れて座っている嵐山さんの光る瞳を見ていて、引き千切った耳は戦利品として収集しているんだろうか? なんておそろしいことを想像した。単なる都市伝説じゃないと思うと気が遠くなりそうだった。
しかし、私が繁く「ナジャ」に通うようになってから、自然と、嵐山光三郎さんと言葉を交わすようになった。ひょっとすると、祐乗坊という本名だったかもしれないが、すでに嵐山光三郎というペンネームで、活動していたはずだ。
嵐山さんが喧嘩をしている場面に遭遇したことはなかった。もちろん、喧嘩相手の耳を引き千切るところを目撃したこともなかった。いつの間にか、嵐山さんが席亭をやった落語会や、年忘れのジャズ演奏会などに声をかけてもらうようになった。
嵐山さんが、「週刊現代」に連載して、講談社から単行本になった『素人包丁記』はとんでもなく面白いものだった。私は、このシリーズの大ファンだった。そして、1988(昭和63)年のことになるが、この作品が講談社エッセイ賞の候補になっていた。
この賞は、1985(昭和60)年にできて間がなく、第一回目に、野坂昭如さんの『我が闘争 こけつまろびつ闇を撃つ』と沢木耕太郎さんの『バーボン・ストリート』、二回目に、吉行淳之介さんの『人工水晶体』と景山民夫さんの『ONE FINE MESS──世間はスラップスティック』、三回目が、尾辻克彦さんの『東京路上探検記』という錚々たる作品が選ばれていて、その四回目の候補作の中に、『素人包丁記』もノミネートされていたのだ。
選考委員が、井上ひさしさん、大岡信さん、丸谷才一さん、山口瞳さんと、これまた、錚々たるエッセイの達人たちだった。
候補作は発表しないで、当選作だけを発表することが条件で、丸谷才一さんに選考委員を引き受けてもらったために、受賞者は、ある日突然、受賞を告げられることになる。
私は、料亭で行われた選考会に出席していた。嵐山さんの『素人包丁記』が受賞と決まると、私は席を立って、嵐山さんに電話をかけた。受賞したことを告げて、賞を受けてくれるかと確認を取らなくてはならないのだ。
北海道にいる嵐山さんに、電話をした。
まず私は、嵐山さんが第四回講談社エッセイ賞を受賞しましたと伝えた。そして、賞を受けてくれるかと尋ねようとすると、嵐山さんは、受話器の向こうで泣き出していた。
賞の運営をしている私も、嵐山さんが受賞をこんなに喜んでくれるのかと、感激が伝わってきて、目頭が熱くなっていた。
『素人包丁記』の目次を並べてみると、この作品がどんなにとんでもないものかとお分かりいただけると思う。
尺八の煮物/カレー風呂/歩く水/豆腐の擂粉木/メロンのぬか漬け/泥鰌だしの素/空飛ぶステーキ/校庭結婚式/茶漬合戦/ジャムのおむすび/病院メニュー/イトコンニャクのざるそば/魔草メガの謎/松尾バナナ/甘い生活/死期の献立。
そして、好評につき、続編が次々に出版される。
『素人包丁記・カツ丼の道篇』『素人包丁記・海賊の宴会』『素人包丁記・ごはんの力』。
『素人包丁記』の「歩く水」の中に、こんな一説がある。
人間は歩く水であり、その人間が死ぬまぎわに飲む一杯なのであるから、カルキくさい水道の水ではかなわない。極上のよく冷えた水をゴクリとやってあの世へ行きたい。
嵐山さんが亡くなったと知った夜、私は、冷たい水を飲みながら、『素人包丁記』を読み直した。
【著者プロフィール】
宮田 昭宏
Akihiro Miyata
国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギヤマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。
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