菰野江名『つぎはぐ、さんかく』

心がちぎれる

菰野江名『つぎはぐ、さんかく』

 第十一回ポプラ社小説新人賞を受賞した菰野江名のデビュー作『つぎはぐ、さんかく』は、惣菜とコーヒーのお店「△」を営む三きょうだいの物語だ。カバーからは、温かな〝ごはん小説〟という印象を受けるだろう。しかし、この小説、それだけではない──。


プロットは立てずに冒頭を書き始めた

 里芋とごぼうの煮物、マヨネーズから手作りしたポテトサラダ、ハニーマスタード味のチキン……。惣菜屋「△」の調理係である主人公・ヒロが五感を駆使し、朝七時の開店に合わせて惣菜作りに精を出している。雑務担当兼コーヒー係の兄・晴太は、一人目のお客さんから注文を受けてコーヒー豆を挽いている。自宅である二階から降りてきてお昼の特大弁当をバッグに詰め、朝ごはんの特大おにぎりに齧り付いたのは中学三年生の蒼だ。〈三階建ての縦に細長い我が家は四六時中騒々しいが、ときおりふっとどこかへ音が吸い込まれたみたいな静けさが生まれる。そういうときは決まって三人ともが空腹で、お腹が空いた、と同時に気付く。ごはんを食べよう、と思う瞬間、どこかに吸い込まれていた音は戻ってくる〉。

 三人きょうだいの日常風景を丁寧に描写することから、『つぎはぐ、さんかく』の物語は幕を開ける。実は本作、著者にとって初めて書いた小説だった。プロットは事前に立てず、まずは冒頭のシーンを書き始めたのだという。

「この物語を書き出したのはもう五年以上前なんですが、いつか小説を書く時は家族の話が書きたいなと漠然と思っていました。今は私も結婚して子供もいるので少し状況が変わってきましたが、当時の自分にとって一番身近な家族は姉だったんですよね。じゃあ、きょうだいの話にしようかなと考えていくうちに、二〇代半ばの晴太とヒロ、歳が離れた末っ子の蒼という三きょうだいが生まれました。ヒロは家族三人でこれからもずっと一緒にいたくて、そのためには自分たちの家でお店を営むことが一番だと思っている。お惣菜屋さんなら自分が作る家庭料理をそのまま商売道具にできるし、おかずを使えば弟のお弁当もすぐできる(笑)」

 三人がお互いを支え合う日々は、蒼の台詞で打ち破られる。「おれは高校には行きません」。家を出て、全寮制の専門学校に行きたいのだと兄姉に告げたのだ。ヒロの内心は恐慌をきたすが、晴太は「おれたちはここまでだよ」と言う。その一連のやり取りの中に、過去のエピソードが断片的に顔を出す。〈まだ小さな蒼を失いかけたとき、私と晴太は全力であらがった。そして勝ち取ったのだ、蒼を。ふたりで必ず蒼を大人にしてみせると誓った。(中略)でもあれは、蒼が成人するまで私たちのそばにいることを保証したわけではなかった〉。この家族には何かあるのではないか? 本作を形容するうえでピッタリな言葉がある。スリリングだ。

「表紙を見て、ほっこりごはん小説なのかなと想像した方は驚かれるかもしれません。そういう部分もあると思うんですが、〝こんなにお話とか感情に波はなくていいよ〟となる方もいらっしゃるかもしれない。でも、私自身の嗜好として、読んでいて心がちぎれるような感覚になる小説が好きなんです」

白ひげ海賊団とナミから大きな影響を受けました

 実は、三人は血が繋がっていない。ならばなぜ一緒にいるのか、一緒にいたいと思うのか。〈私たちは、やっぱりすぐにやぶれるつぎはぎでしかないのだろうか〉。それとも、そうではないのか──。

「きょうだいのように暮らしているけど本当のきょうだいではない、血は繋がっていないけれど強く結びついている家族を書いてみたかった。これは書き上げてから気付いたことなんですが、漫画の『ONE PIECE』の影響があったんだと思います。団長の白ひげが率いる、白ひげ海賊団が大好きなんです。白ひげは船員たちのことを〝息子〟と呼んで、船員たちは白ひげを〝親父〟と呼んでいる。彼らは血が繋がっていませんが、自分たちのことを家族だと感じているんです」

 三人きょうだいの家が惣菜屋という設定も、元を辿れば「同じ釜の飯を食えば家族」という、『ONE PIECE』のルフィ率いる「麦わらの一味」から来ていたのかもしれない。

「可能性はあると思います(笑)。もう一つ大きな影響を受けたと思っているのは、ルフィの仲間になるナミという女の子の過去編のエピソードです。そのエピソードを初めて読んだのは一〇歳ぐらいの時だったんですが、私と同い年ぐらいの女の子が、一人で泥棒稼業を始めたり目の前で養母を殺されてしまったりしている。自分の想像もし得ない人生を送っていることに衝撃を受けたし、それでも強く生きていくナミの姿に感動したんです」

 著者にとってナミの過去編こそが、「心が引きちぎられる」原初体験だったのだ。その体験もまた、この物語の中で自分なりに表現したいことだった。

「家族の絆の話も書きたかったんですが、それは二本柱の一本のつもりでした。もう一本の柱は、ヒロの成長です。兄や弟に寄りかかりすぎて内に籠もり気味だった彼女が、心が引きちぎられるような経験を経て、自分の人生について自分一人で考えて、ちゃんと自分一人で立てる人間になる姿を描きたかった」

 作中で「心が引きちぎられる」感覚を抱くのは、ヒロだけではない。

「あくまでヒロの目線で進むお話なので、読んでくださる方は基本的に、ヒロから見えている部分しか他の登場人物たちのことが見えません。必然的に、晴太や蒼の心情は見えづらかったと思うんです。ただ、地の文では書かれていないけれども、晴太や蒼が自分たち家族についてどう考えているのか、ヒロとの会話によって感じ取ってもらえるよう意識しました」

登場人物をできるだけ自分から切り離す

 惣菜屋がある街の様子やお客さんとのちょっとしたコミュニケーションなど、登場人物たちの生活感を疎かにしない情景描写も優れている。加えて、あえて情報を抑制することで読者の好奇心を耕していくような文章が素晴らしい。

 情報への飢餓感をきっちり抱かせた状態で意外な真実が明かされるからこそ、ハッと驚かされるうえに、グッとくるのだ。

「〝書き手だけが知っていて、でもまだ読者は知らないことがある〟というお話の組み立て方が、書いていて楽しかったんです。そのあたりを楽しみながら書いていった結果、ミステリーっぽい雰囲気があるお話になりました。例えば、ヒロの出自に関しては、名前をヒロにした時点でぼんやりと自分の中にあったんですね。ただ、出自にまつわる彼女のビジュアルのイメージは、ちょっと匂わせるぐらいで直接的には描きませんでした。そうすることで、出自が明かされる瞬間の驚きが増したらいいなと思ったんです」

 こうした情報の取捨選択のセンスに、スリルが宿るのだ。

「ヒロや晴太、蒼の出自をどのタイミングで明かすのが一番効果的か、書き終えてから章立てを何度も組み替えました。宮部みゆきさんと角田光代さん、ツートップの大好きな作家さんの作品から学ばせていただいた部分も大きいと思います」

 家族という題材は身近なものであるぶん、物語に実人生を反映してしまう恐れがある。初めて書いた小説であれば、なおさらだろう。しかし、著者はそうした繋がりを断ち切ることができた。

「私は社会人経験も、人生経験も浅い。そういう人間が自分の引き出しに入っているものだけで書くと、ものすごく浅いものになる気がしたんです。晴太もヒロも蒼も〝全員自分〟になってしまうんじゃないかという恐怖がありました。だから、登場人物たちをなるべく自分とは切り離して、私とは全く違う人間なんだということを強く意識しなければいけない。

 そして、この人だったらこういうふうに感じたり考えているのかなと、それぞれの気持ちの部分を丁寧に書いていくべきだと思いました。私にはそれぐらいしかできないけれど、それが本当にちゃんとできたなら、誰かに届くものになるんじゃないかと思ったんです」

 そうやって書き上げた作品が、新人賞を見事受賞した。今後も裁判所の書記官として働きながら(現在は育休中)、コンスタントに書き続けたいと意欲を語る。

「第二作は、ガラッと変わったテイストのものになると思います。ただ……たぶん、めっちゃスリリングです(笑)」


つぎはぐ、さんかく

ポプラ社

惣菜と珈琲のお店「△」を営むヒロは、晴太、中学三年生の蒼と三人きょうだいだけで暮らしている。ヒロが美味しい惣菜を作り、晴太がコーヒーを淹れ、蒼は元気に学校へ出かける。しかしある日、蒼は中学卒業とともに家を出たいと言い始める。これまでの穏やかな日々を続けていきたいヒロは、激しく反発するのだが、三人はそれぞれに複雑な事情を抱えていた──。


菰野江名(こもの・えな)
1993年生まれ、三重県出身。東京都在住。裁判所書記官。「つぎはぐ△」(受賞時)で第11回ポプラ社小説新人賞を受賞し、作家デビュー。

(文・取材/吉田大助  撮影/藤岡雅樹)
〈「STORY BOX」2023年5月号掲載〉

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