池上永一さん『海神の島』

沖縄の連立方程式

『バガパージマヌパナス』で第六回(一九九四年度)日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビューして以来、池上永一は自身のルーツである沖縄が舞台の小説を書き継いできた。
 三年ぶりとなる新刊『海神の島』は、極彩色のエンターテインメントという物語の佇まいはそのままに、沖縄の「暗部」に挑んだ。


海洋冒険ロマンで沖縄現代史を記録

 第八回山田風太郎賞を受賞した前作『ヒストリア』(二〇一七年)は、南米ボリビアへ移民した沖縄出身女性の波乱万丈な人生を追いかけながら、沖縄の戦後史を紡き出す試みだった。受賞後第一作となる長編『海神の島』は、「宝探し」を主軸に進む海洋冒険ロマンのプロットを採用しながら、一九七二年五月の本土復帰から始まる沖縄の現代史を記録する。

 那覇市生まれ石垣島育ちの著者が、近現代の沖縄の歴史を真正面から小説の題材に取り入れるようになったのは、一九世紀琉球王朝を舞台にした代表作『テンペスト』(二〇〇八年)を執筆した経験が大きかった。

「『テンペスト』では沖縄の美しい部分、民族の誇りになるような部分を書きました。綺麗なものばっかり書きすぎるのは作家としてどうかなと思って、次は暗部の方に顔を向けてみたくなったんです。ただ、傷が深いのもわかるし、政治的に複雑な問題だというのはわかるんだけれども、暗いところにあるものを真っ黒に書いても表現として美しくない。生々しすぎるとウッとなってしまって、自分たちの問題としてリアルに感じられなくなっちゃうじゃないですか。あくまでもザッツ・エンターテインメントな物語の中で、沖縄の暗部を描いてみたいと思ったんです」

「目が離せない」から先が読みたい、と思う

 第一章は一九九九年、沖縄本島から始まる。花城家の三姉妹、汀、泉、澪は、祖母の漣オバァに連れられてとある米軍基地に足を踏み入れる。

 漣オバァによれば、その基地が擁するノッチ(岩礁)に、かつて「海神の墓」があったという。そう教えたのは、先の大戦下で在野の歴史研究家だった実父であり、孫娘にとっては曽祖父である石嶺賢治だ。〈「あんたたち三人のうち、誰かがこの墓を守りなさい!」/「ターガヒャー!」(誰がやるかよ!)〉。

 二〇年後の二〇一九年、花城家の三姉妹はそれぞれ、銀座の高級クラブの雇われママ、レディーシャークの異名で知られる水中考古学者、都内のライブハウスで活動する地下アイドルになっていた。

 第二章では、「エロ」(汀)、「処女」(泉)、「ロリ」(澪)と罵倒しあう彼女たちが、三者三様のかたちで五億円(!)を必要とするまでの顛末が描かれていくのだが……前菜であるはずなのに、このパートだけでもお腹いっぱいになるくらいのネタ密度だ。

「色っぽい和風美女の汀が〝エロ〟だから、そこからのカウンターで〝ロリ〟の澪が生まれました。長女の汀が散らかし、末っ子の澪がバカをやって、真ん中の泉がもろもろ片付ける(笑)。三姉妹のことはとっても好きなんですけど、うるさいし自分の欲をぜんぜん隠さないし、大型犬を多頭飼いしているような感じでずっと書いているとクターッとなるんですよ。〝みなさんもう少し社会性を持ちませんか?〟と言いたくなる。でも、〝この人たちから目が離せない!〟ってところまでのことをしてくれないと、書いている僕自身の興味が持続できない。それは読者にとっても同じで、ものすごく魅力的な人たちがだんだん深刻なところへ向かっていくからこそ、先の展開を読み進められると思うんです」

 続く第三章で、病床に伏した漣オバァから遺言が告げられる。石嶺賢治が発見した海神の秘宝を探し出した者が、先祖代々の土地を相続する。

 年間の地代収入は約五億円。米軍基地内の土地ゆえ日本政府が米軍にかわって巨額の賃借料を払っているというカラクリだ。

 かくして花城三姉妹による、「海神の秘宝」争奪戦の火蓋が切って落とされる。

「僕はいつも事前にプロットを立てないので、海神の秘宝が何なのかは、一年間の連載を進めていくうちに決めればいいやと思っていました(笑)。書く前に決めていたのは、同時代性を確保すること、キャラクターにもこだわること、高度な社会批評であること、作家性や僕自身の身体性は譲らないこと、ザッツ・エンターテインメントであること。その五個だか六個の連立方程式になっていて、どれかが一個欠けても正解には辿り着けないんです」

 舞台は沖縄を皮切りに、東京、鹿児島、福岡、山口、台湾へ。どこへ進むかが分からない三姉妹たちの背中を、書き手自身も追いかけた。

「とにかく、めくるめくものでありたいという気持ちは強かったです。一回分の連載でやりたいことを一〇個ぐらい箇条書きにして、次回へ持ち越さずに全部やる。毎月一〇〇枚書いて、規定の六〇枚まで縮めるやり方でした。そうすると、三人の言動がぎゅっと圧縮されて、欲望がより匂い立つ(笑)。目の前の原稿をどうするかで毎回精一杯だったんですが、宿題もいくつか抱えていました。例えば、泉は水中考古学者なのに、陸の調査ばっかりしている。どこかで水中考古学者としての見せ場を作る必要がある、それがクライマックスになるべきではないかと思っていました」

 ラストシーンも、ぼんやりとしたイメージだけは最初からあったそうだ。

「読者も編集者も僕も、明るい気持ちになって終われる。ものすごく肯定感に包まれたラストになるんだろうなぁという予感だけがあったんです。ただ、それがどんなものかというディテールは一切なかった(苦笑)」

個人の感傷を排除して公共的なものを目指す

 欲にまみれた花城三姉妹の宝探しは、沖縄の「暗部」にも否応なしに触れていく。

 前作『ヒストリア』で描かれたのは戦後の南米ボリビア移民という、知られざる沖縄の歴史だったが、本作における「暗部」は、沖縄に暮らす人ならば誰もが知っているものの、見て見ぬフリをしている問題系だ。すなわち、基地地主、平和活動家、尖閣諸島。

「虎の尾を踏むことになる、という自覚は最初からありました。一つでも大変なのに、三つも踏んでいる(苦笑)。例えば基地地主の問題は、沖縄社会における最大のタブーです。ウチナーンチュ(沖縄人)は戦争の被害者であるはずなのに、米軍基地に土地を貸している地代収入で、貴族的な生活を送っている人たちがいる。メディアが報じる〝無垢なるウチナーンチュ〟というイメージが、一瞬で崩れ去ってしまうものなんです。米軍基地の前で座り込んで怒鳴っている平和活動家たちも、〝抵抗する沖縄〟の象徴としてよくメディアに取り上げられますけれども、彼らの主張の〝正しさ〟は誰もが認めるところであっても、主張の仕方に共感できるかは別です。尖閣諸島の問題に関しては〝自分のものは自分のもの〟という感情論ばかり語られていて、何のインテリジェンスもないですよね」

 物語の最終盤で、「本来のメディアの在り方」というキーフレーズが出てくる。現実に幾重にも覆いかぶさった無知や偏見のベールを取り去り、本物の情報を伝達する。そうしたメディアに、小説もなり得る。

「ただ、いわゆる戦後沖縄文学は、今びっくりするぐらい読まれていませんよね。その理由は、センチメンタリズムに流れていたからだと思うんです。書き手の感傷が、作品を覆い尽くしてしまっていた。ただでさえ沖縄はセンチメンタリズムと相性がいい場所なので、〝悲しい歴史のある土地なんだ〟とか〝伝えたいことがあるんだ〟と押し付けてしまいがちなんです。でも、書き手が思っている以上に、個人の感傷って読者に伝わらないんですよ。そこはできるだけ排除しなければ、公共的なものにまで持っていけないんです」

 向き合いたいテーマや伝えたいメッセージがあるならばなおさら、書き手の感傷の暴走にブレーキをかけるような、キャラが濃すぎる登場人物たちや、骨太な物語が必要となってくるのだ。

「沖縄文学の新しいスタンダードと呼ばれるものができたんじゃないかな、と思っています。個人としてみても、『ヒストリア』と『海神の島』を続けて書いたことで、沖縄と自分との距離感が今までにないくらい良いものになっている。ただね、ヘトヘトです(苦笑)。毎回毎回アクセルを踏んでリミッターを解除して、〝なんで俺はこんなに無茶苦茶なことするんだろう?〟って自分でも疑問に思うんですよ。今回書き上げてみて感じたのは、作品の強度をできるだけ増して、できるだけ熱いものにしたいからなのかもしれない。そうでなければ、後世に残っていかないと思うんですよ」



海神の島

中央公論新社

汀・泉・澪の花城三姉妹が、先祖代々の土地を相続するため三つ巴の争いに。米・中・日本の思惑も複雑に絡まり合う。尖閣諸島や基地地主といった沖縄のタブーを描ききったエンタメ巨編。


池上永一 (いけがみえいいち)
1970年沖縄県生まれ。早稲田大学在学中に『バガージマヌパナス』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。『風車祭』で直木賞候補に。ボリビアに渡った沖縄女性を描いた『ヒストリア』で山田風太郎賞を受賞。著書に『レキオス』『シャングリ・ラ』『テンペスト』『黙示録』など。

(文・取材/吉田大助 撮影/藤岡雅樹)
〈「STORY BOX」2020年10月号掲載〉

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