〈第15回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」

みひろの元を訪れたのは、
慎のかつての部下、監察係の本橋だった。

CASE4 禁じられた関係:パートナーは機動隊員


 5(承前)

 ママに案内され、本橋はカウンターのみひろの隣に座った。

「突然すみません。監察係の本橋です。独身寮に行ったら、隣の部屋の人が三雲さんは多分ここだって教えてくれたので」

「そうですか。昼間はどうも」

 戸惑いながら挨拶を返し、みひろは本橋を見た。シンプルなブラウスとフレアスカート、パンプスという恰好だが、ブラウスのパフスリーブとパンプスの推定七センチのヒールに、女子力の高さを感じる。

 ママは本橋が注文したウーロン茶をカウンターに置き、「ごゆっくり」と告げてボックス席に戻った。みひろに向き直り、本橋は言った。

「阿久津係長――今は室長ですね。阿久津室長のことで、お話があって来ました」

 みひろが頷くのを確認し、本橋が話し始める。

「阿久津室長は監察係では私の上司で、二年間同じチームにいました。すべてに完璧な人で付いて行くのは大変でしたけど、たくさんのことを教わって尊敬もしていました。だから異動になった時はショックで納得もいかなかったんですけど、職場環境改善推進室でも活躍してると聞いて、私も気持ちを切り替えなきゃと思っていました。でも、最近になって事情が変わって」

「どう変わったんですか?」

 みひろが問うと、本橋は後ろをちらりと見た。ボックス席ではママと吉武たちにエミリも加わり、盛り上がっている。視線をこちらに戻し、本橋は答えた。

「阿久津室長は、今年の春に起きたある事件が原因で異動になりました。その事件について、阿久津室長が私的に調べているらしいんです。それに、今日になって独断で警備実施第一係の係員の調査を始めたとわかって」

「堤和馬巡査部長ですね。室長が調べてる事件って、何ですか? 監察係と警備第一課の間に起きていることと、関係があるんでしょう?」

 ちょうど考えていたところだったので、勢い込んで問うた。本橋は「順を追って行きましょう」とみひろをなだめ、ウーロン茶を一口飲んだ。

「これからの話は私から聞いたということを含め、他言無用でお願いできますか?」

「もちろんです。お約束します」

 みひろは力を込めて頷いた。本橋も小さく頷き、すっと息を吸ってから口を開いた。

 本橋の話は、三十分以上続いた。監察係のデータ抜き取り事件の概要と、捜査状況。さらに事件には、警備実施第一係のパソコンが関わっていること、その真相究明を巡って監察係と警備第一課が対立していること。そして今朝、監察係が警備第一課の課員に聞き取り調査を始めたこと。本橋が語り終えるとみひろも、柿沼の調査を機に慎が気になりだし、出勤簿から中森を不審に思ったと伝えた。すると本橋は、こう付け加えた。

「柿沼警部補の調査なんですけど、内通電話をかけてきたのは中森主任のようです。制度調査係の音声データでわかりました。阿久津室長は、その音声データを入手しています」

「えっ!? ……そう言えば柿沼さんは、私たちの調査を男が電話で知らせてきたと話してました。あの時、室長は男が中森さんだと気づいたんですよ」

 記憶が蘇り、みひろは隣に身を乗り出した。「ちょっと声が大きいです」と綺麗なアーチ型の眉をひそめ、本橋は返した。

「監察係はいずれ阿久津室長を懲戒処分にするつもりでしょう。今しないのは、阿久津室長が事件についてどれだけの情報を摑んでいるか、わからないからです」

「敢えて泳がしてるってことですね。持井さんらしいわ」

「でも、阿久津室長の監察官としての能力を一番評価しているのも持井首席監察官です。持井首席監察官は、阿久津室長が近いうちに中森主任とデータを見つけると考えているはずです」

「ふうん」

 みひろの頭に、昼間の慎と持井のやり取りが浮かぶ。と、別のことも思い出した。

「中森さんが抜き取ったのは、何のデータですか?」

「お答えできません。ただし非常に重要で、秘匿性の高いデータです」

「そりゃそうでしょ」

 思わずタメ口で突っ込むと、本橋は一瞬黙ってから改めてみひろを見た。

「いきなり押しかけて来て、勝手を言ってすみません。私は阿久津室長が心配なんです。気持ちはわかるけど、やっていることは規則にも倫理にも反しています。だから、三雲さんに阿久津さんを止めて欲しいんです」

「私? 本橋さんは?」

「阿久津さんは今後監察係にマークされて、いずれ私にも及ぶでしょう。それに、私では阿久津さんの気持ちを変えられません。阿久津さん、私にはあんな顔は見せてくれなかった」

 慎の呼び方を「室長」から「さん」に変えて答え、本橋は前を向いた。

「顔?」

「ええ。異動になった後、庁舎の中で何度か阿久津さんを見かけました。いつも三雲さんと一緒で何か言い合っていて、阿久津さんが本気で呆れたり苛立ったりしているのがわかりました。『あの阿久津さんが』って驚く反面、羨ましかった。私にはあんな風に素を見せて、真正面からは向き合ってくれなかったから」

「羨ましかった」と言ったが、本橋の口調と表情はむしろ不満げだ。みひろは戸惑い、言い返した。

「それは単に、私がとんでもなく出来の悪い部下だからでしょう。羨ましがられるようなことはなにも」

「阿久津さんを止めて、守って下さい。三雲さんならできるはずです」

 言うが早いかスツールを降り、本橋は頭を下げた。ぎょっとして、みひろも立ち上がる。

「やめて下さい。そりゃ、何とかできるものならしたいけど。でも」

「お願いします。話を聞いた以上は、三雲さんも当事者だし」

 後半は口調を強め、本橋は顔を上げた。こちらを見る眼差しは強く、とっさに言葉を返せないみひろに今度は挑むように、

「私たち、気持ちは同じだと思います」

 と告げ、一礼した。そして「動く時は、くれぐれも慎重に。とくに持井首席監察官には注意して下さい」と付け足してバッグから財布を出し、千円札を一枚カウンターに置いた。

「そう言われても」

 ようやくみひろは返したが、本橋は「ごちそうさまでした」とボックス席に会釈をして店を出て行った。

「当事者だし」って、最後は脅し? 監察係って、みんなこのパターンじゃない。呆然と閉じられたドアを見てカウベルの音を聞きながら、みひろは思った。煙草の臭いがして、ママが隣に来た。

「あの美人。元エリート絡みで来たんでしょ?」

「そうだけど。でも、ママが考えてるようなことじゃないから」

 スツールに座り直してみひろが返すとママは、

「どうだか。でもあの美人、元エリートに惚れてるね」

 と無表情で言い放ち、鼻から煙草のけむりを吐いた。

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
山本文緒さん『自転しながら公転する』
池上永一さん『海神の島』